甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

菅笠日記20 後醍醐天皇をしのぶ

2019年04月03日 21時34分37秒 | 宣長さんの旅

 さあ、吉野のお山のど真ん中に着きました。お宿に荷物も置きました。少しそのあたりを散歩するようです。

 このかりつるやどは。箱やの何がしとかいふものの家にて。吉水院(よしみずいん)ちかき所なりければ。まづまうづ。この院は。道より左へいさゝか下りて。又すこしのぼる所。はなれたる一ッの岡にて。めぐりは谷なり。

 私たちのお宿は、はこやのなにがしというお宿だそうで、後醍醐天皇の御所となった吉水院に近いところなので、まず吉水院にお参りすることにしました。

 すべては南朝関係の世界で、お寺も神社も当時の記憶を宿しています。

 吉水院というのは、道から左に少しだけ下りて、また少し上ったところにあります。吉野のお山から突き出たような1つの岡になっています。まわりは谷になっていました。


 後醍醐のみかどの。しばしがほどおはしましし所とて。有りしまゝにのこれるを。入りてみれば。げにものふりたる殿のうちのたゝずまひ。よのつねの所とは見えず。かけまくはかしこけれど。

   いにしへのこゝろをくみてよし水のふかきあはれに袖はぬれけり。

 こちらは後醍醐天皇さまが、吉野におられたときに生活されたところになります。帝がおられたときのままに残されていて、建物の中に入れていただくと、確かに歴史を感じさせる古めかしさと、高貴な雰囲気が漂っていて、尋常の人々の生活する空間とは違っていました。ことばにするのも、心で思うのも申し訳ないくらいにおごそかな空間になっていました。

  古き昔の高貴な方々の様々な思いを集めたような吉水院の雰囲気にふれて、その深く世の中のことをお考えになっておられたことを思うと、ついつい涙を禁じ得なくなるのでした。

 私は、吉水院に二回ほど行かせてもらったかもしれません。ああ、それなのに、「いにしへのこころ」をくむことができなくて、「フーン、こんなへんぴなところに帝はおられたのだ。」くらいは思ったかもしれません。

 そうじゃなくて、都を離れて不便でさびしいのは当たり前なのです。どうしてここにおられたのか。その思いはいかばかりであったのか、想像することが大切なのに、ピンと来ていませんでした。まあ、私みたいなのは感じることができないのは当たり前ですね。


 かのみかどの御像(みかた)。後村上帝(ごむらかみのみかど)の。御(おおん)てづからきざみ奉り給へるとて。おはしますを拝み奉るにも。

   あはれ君この吉水にうつり来てのこる御影(みかげ)を見るもかしこし。

 後醍醐天皇さまの像がありました。これは息子さんである後村上天皇さまがご自身で刻んでお作り申し上げられたという像なのだそうで、それを現在の私たちが見させていただいて、拝ませていただきました。

  ああ、帝さま、この吉水院に移ってこられて、今も残る帝さまのお姿を写した像を拝するのも恐れ多いことです。

 又そのかみのふるき御たから物ども。あまた有りて。見けれど。ことごとくはえしも覚えず。この寺の内に。さゞやかなる屋の。まへうちはれて。見わたしのけしきいとよきがあるに。たち入りて。煙ふきつゝ見いだせば。子守(こもり)の御社(みやしろ)の山。むかひに高く見やられて。その山にも。かたへの谷などにも。ひまなく見ゆる桜どもの。今は青葉がちなるぞ。かへすがへすくちをしき。

 南北朝の頃の由緒ある宝物がたくさんあり、それらを見せてもらいましたが、一つ一つは憶えられませんでした。

 このお寺の中に、こぢんまりとした建物があって、その前が広々としていて、見渡す景色がきれいなところを見つけました。タバコを一服いただき、そこから遠くを見てみますと、子守神社のお山が、吉野の山の向かいに高くそびえていたり、その山にも谷にも、こちら側にもたくさんの桜の木々が見えて、どの木もみんな花は散って若葉青葉となっているようで、残念な気持ちも湧いてくるのでした。


 さはいへどおくある花は。さかりとみゆるも。猶(なお)あまたにて。
  みよし野の花は日数もかぎりなし青葉のおくも猶(なお)盛りにて。

 瀧桜といふも。かしこにありとをしふ。
   咲にほふ花のよそめはたちよりて見るにもまさる瀧のしら糸。

 とは言っても、遠くの方には満開という感じの木もあるのです。まだまだ奥に行けばたくさんあるようです。
  吉野の山は、今が盛りという限定された日はないのです。花が散って青葉になったサクラの奥にはまだまだ花盛りの木がたくさんあるのでした。

 瀧ザクラという木がもう少し行けばあるということでした。
  咲き誇るサクラは少し遠くにあるけれど、実際に間近く見るサクラにも勝るくらいの滝の白糸のようなサクラであることだ(そんな見事なサクラもあるそうです)。


★ 古い絵図には、「吉水院」というお寺なのに、明治になってから、お寺は廃止されてしまいます。だったら、後醍醐天皇ゆかりの御所ということにすればいいのに、とことんまで振り切れなきゃいけなくて、神社に模様替えしたそうで、現在は吉水神社となっています。

 どっちだっていいのに、ハッキリさせなきゃいけない時代があったそうです。そして、後醍醐天皇は神格化されてしまった。だったら、明治天皇は北朝の流れをくむから矛盾するじゃないの、という理屈は述べなくて、とりあえず、祭り上げられるものは持ち上げた。すべて政権側のご都合でそうなったわけですね。

 今だって全く同じです。理屈ではないのです。権力を握る人のご機嫌をとることにみんなが必死になっているし、下々のものもそれに合わせてバンザイとか、新しい時代の到来だと、もろ手を挙げて喜んでいるんでしょう。

 何も変わっていないし、むしろ悪くなっていたとしても、そんな事実は言わない。とにかく、権力を握る人にみんながおもねっている。それでいいわけがないのに、みんなが何となくそういう気分になっている。

 長期政権って、腐敗を生むというのをもう少し私たちは学習しないといけないのに、そんなことはなかったような、歴史に学ばない姿勢で平気でいます。それでいいのだろうか。


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