甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

菅笠日記17 吉野の妹背山 

2019年03月17日 08時49分31秒 | 宣長さんの旅

 今年の桜は、三月二十日あたりから咲くということです。あと一週間くらいしたら、東京あたりでは花見のシーズンになるのでしょうか。

 私は、昔の人々が楽しみにしていた「如月の望月のころ」というのを目安にしたいんですけど、お月さんはどんどん太くなっていっているから、もう今日あたりは何日になるんだろう。旧暦でいうと、二月十一日になるみたいです。やはりあと数日でサクラは咲くんですね。例年通りというところかな。

 そうしたら、どんなに世の中すさんでいても、フワフワした空気だけは流れることでしょう。

 それでいいとは思わないのだけれど、少しだけ穏やかな気分を自分のまわりに感じることができるということでいいのかな……。

 それでは、宣長さんの三月八日の記事を見てみましょう。


 八日。きのふ初瀬の後(のち)雨ふらで。よもの山のはも。やうやうあかりゆきつゝ。多武のみねのあたりにては。なごりもなく晴れたりしを。今日も又いとよき日にて。吉野もちかづきぬれば。けさはいとゞあしかろく。みな人の心ゆく道なればにや。ほどもなく上市に出ぬ。

 昨日は初瀬の里からは雨も降らないで、まわりの山々は明るくなり、多武峰のあたりはすこぶるの晴れ。そして、今朝もまたいいお天気で、吉野の里は近づいているので、足取りも軽く、同行の人々も同じ気持ちなのか、すいすいと大和上市に到着しました。

 さあ、吉野の里にたどり着いたようなものです。吉野川の対岸に吉野のお山が見えて、サクラはところどころに見えていたことでしょう。

 このあひだは。一里とこそいひしか。いとちかくて。半里にだにもたらじとぞ覚ゆる。よし野川。ひまもなくうかべるいかだをおし分けて。こなたのきしに船さしよす。

 夕暮れならねば。渡し守ははや(早)ともいはねど。【いせ物語に渡し守はや船にのれ日もくれぬといふに云々】みないそぎのりぬ。

 いもせ山はいづれぞととへば。河上のかたに。ながれをへだてて。あひむかひてまぢかく見ゆる山を。東なるは妹山。にしなるは背(せ)山とをしふ。されどまことにこの名をおへる山は。きの国にありて。うたがひもなきを。かの「古今恋五 中におつるよし野の川に思ひおぼれて。必ずこゝとさだめしは。世のすきもののしわざなるべし。されど。
   妹背山なき名もよしやよしの川よにながれてはそれとこそ見め。

 四キロの道のりというものの、かなり近く感じて、その半分くらいのしんどさで着いてしまいました。それくらい気もそぞろで、心も足も軽く、吉野の山をめざしていたようです。

 間には川があります。東から西にまっすぐに、太く大きく流れるのが吉野川で、岸部は河岸段丘になっていて、深い谷になっています。

 川にはたくさんの水が流れ、材木を運ぶいかだが列をなして進んでいました。私たちは対岸から船を呼び寄せて、吉野の里に向かおうとしています。


 後醍醐天皇がその昔、吉野に逃げ隠れたという事実があります。だったら、京都から吉野を一気に攻め滅ぼせば簡単ではなかったかと思えます。

 でも、現実の吉野川を目にしたら、とても大軍は向こうへ渡ることはできないし、回り道をしようとしてもどのようにしたらたどり着けるのか、わからないくらいに隔絶されたところに南朝の陣地がありました。

 対岸のことなので、目には見える。けれども、渡るには橋はないし、船でしか渡れない。裏側からそこに行こうとしてもまともな道はない。

 そうした独特の地形のところに吉野がありました。

 今は、いつくもの橋ができていますし、渡ることは簡単です。でも、その橋のたもとに行くまで、それなりに時間はかけなきゃいけないし、それなりに遠い聖地ではあります。


 渡し船の船頭さんは、せっかちな人ではなく、自分たちをせかすことはありません。けれども、伊勢物語の隅田川の渡し船に乗るような気分で、私たちは平安朝の気分に浸っています。

 船頭さんに妹背山というのがありますかと訊ねると、川上の東側を妹山、西側を背山といいます、ということでした。本当の妹背山というのは紀伊の国にあるそうですが、古今集の恋歌五の最後によみ人しらずの歌があって、

 「流れてはいもせの山の中におつるよしのの河のよしや世の中」
 (ここでは認められない二人は、自分たちの住んでいる世界を出て、吉野の山中にあるあなたとわたしという名前を持つ山のふもとまで行き、その川のほとりで暮らしていけば、無事にやっているよと世の中のうわさにでもなるんじゃないかな。)



 そんな歌がありました。この歌を作った人は、なかなかお洒落な人だと思われました。歌の中で自分たちの恋をしっかりと歌い、前向きに語っているんですから。

 というわけで、私も歌を詠んでみました。

  妹背山なき名もよしやよしの川よにながれてはそれとこそ見め[さっき出ています]
 (実際に吉野の里に来てみましたら、妹背山というのはありませんでした。でも、それもいいではありませんか。吉野というのは、その名の通り、何でも受け入れてしまうところがあって、すべてを呑み込んで川は流れています。それらしいお山があれば、それを妹背山ということにして、私たちは喜んでしまえます。そうしたおおらかな風がこちらには吹いている気がします。)


★ まだまだ続きますが、日曜の朝、ここまでにしておいて、少し出かけてきます。


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