
毎日、休みなしで仕事場に出かけています。ひょっとすると、お盆休みもなくなるかもしれない。恐ろしいことです。なんとブラックなのか。もちろん残業代なんかありません。
そんなの仕方がないジャン。やりたいようにやるサ。
そうですね。世の中楽しんだもの勝ちです。まあまあ今の状況は楽しめているから、ヨシとしましょうか。
そんなのはどうでもいいことでした。夏の夕方に帰宅するのは、あまり良くはありません。どうしてかというと、エアコンをつけないと走れないし、他のクルマからものすごい熱が押し寄せてくるし、何を今ごろ帰っているのという、割り切れなさがあるし、夕方といえども、熱と日ざしが押し寄せてくるからです。
近ごろのように、日が沈んで、シカとかタヌキとかカエルとかが道に飛び出してくる時間に帰宅していると、家であまり余裕がなくなるから、それはザンネンなんだけど、いいこともあります。
昨日、「さあ、帰ろう」と妻に電話して、あっさりと切って、エンジンをかけたら、
「もうエアコンはいらないから、窓を開けてぶっ飛ばすことにしよう」
そう決めました。
世の中的には日曜だったので、自然界でも休息日みたいで、シカにもタヌキにも出会わず、スイスイぶっ飛ばしました。山の向こう、東の空に飛行機なのか、それとも火星かというのが見えて、そちらに向かって走りました。
ラジオは諦めていて、チューリップの「心の旅」にしました。
ああ、だから、今夜だけは、キミを抱いていたい。
ああ、明日の今ごろはボクは汽車の中
なんと、ありふれた文句で、今の人からしたらトンチンカンな感じでしょう。
夜中に汽車に乗るって、それってどういうこと? と、訳が分からなくなるでしょうね。
「汽車」という言葉も、古くさく、今風に言うと、電気もディーゼルも、みんな「電車」なのにね。「汽車」というと、蒸気機関車くらいしかイメージできないでしょうね。
でも、私は、それが好きで、声を張り上げたくて、このCDを放りこみました。あまり歌詞は憶えていなくて、ここしか歌えないのだけれど、それなりの解放感がありました。
二人はどんな関係だ? ボクはキミを抱きしめているのか? どうしてボクは勝手に旅をするんだ? キミも連れて行けよ! まさか、ひとりでトウキョウに行くとかいうんじゃないよなぁ。……もう、勝手に聞き手が物語を作れる構造になっている歌なんだと気づいたのです。
ありふれた思わせぶりの詩句であったとしても、そこから新たなイメージを引き起こすことができたら、詩としては成功です。いや、むしろ詩というのは、そうでなくてはならない。
昔風のサクセスストーリーなのかもしれないし、昔風の故郷を捨てて都会へ出る話なのかもしれない。過去の日本人は、あちらこちらで田舎を切り捨ててきましたからね。
今なら、地方で自分らしく生きるという生き方もありだと思うけれど、昔はそれがなかった。第一、就職にしろ、結婚にしろ、ものすごいエネルギーが要ります。そういうのは若い時しかできません。若い時は、ものすごいエネルギーを抱えて都会に出ていったことでしょう。
そして、いつか田舎へ帰っていったものでした。都会に住み着いた人々もいたでしょうけど。
「心の旅」で、人それぞれの物語ができるんだろうな、私は……。
クルマの中で物語をひねろうと思っていましたが、対向車も、交差点でも、山の中も、どこにも誰も、人もクルマも生き物も、みんないなくて、私だけが山の中を走っているようで、私の「心の旅」空想は広がりませんでした。
そして、うちの近所に戻ってくると、ぶっ飛ばすことができなくなり、モワッとしたので、ほんの十数分なのにエアコンをつけてしまった。こらえ性がなくなっています。
家に帰ると、「心の旅」ではなくなった、酔っぱらったオヤジになりました。モスコーミュールに焼酎入れて、ふくらませてカンタンに酔ってしまいました。
それで、5時起きして、にわかづくりの「心の旅」になったのでした。
