
16号は温帯低気圧になり、雨は心配したほどではなくて、あっさり過ぎていきました。それはそれで良かった! でも、何か物足りない気持ちもありますね。
兼好法師さんが「台風の過ぎていった次の日の朝は、なんだかいい感じがするよね」と語っていたのは、今回のような肩すかし台風のことではありません。ものすごく恐ろしい夜が明けて、やっと朝になった。恐ろしい台風は遠ざかったと実感できた日の朝は、それはしみじみするものです。今回は、それではありませんでした。

もうすぐ10月がやってきます。資源ゴミを出してサッパリしたら、混乱している書斎を機能的に片づけようと思います。
そのためにはもっといろいろ捨てないとダメです。あれこれ抱えないでどんどん捨てる。シンプルな整理された世界におりたいのです。ぜひ、そうなれるように努力したいです。
そんな何もないところから何かを作り出したいです。さしあたって今は、昔話みたいなのを描きたいですね。今日から少し取材します!
昨日帰る時、NHKのラジオを聞いてました。作家の関川夏央さんが出ていて、「青春」という価値観は今はありません、と言われていました。びっくりでした。青春は死んでしまったのか……。
そう言えば思いあたります。誰もが若い時期を尊重せず、ただの未熟な時期であり、早くそこを通り過ぎるようにしています。
残念ですが、みんなが未熟をいやがり、ジャンジャン金儲けができて、年収一千万以上をめざし、何人もの有能な人たちはそれを実現しています。みんなものすごく現実に生きて、みんなが日々商売をしている感じなんですね。最先端の人たちはそうです。

私は青春は過ぎたし、商売にも(残念ながら)あまり興味がありません。だったらそれを言葉にすると……? 思いつきません。また、いつか考えることにします。
折角の野分のあしたなのに、何だかいじけていますね。そんなに卑屈にならなくていいから、楽しいことを考えて過ごすことにします!
★ 全く私は、去年も今も同じようなことを書いて、ボヤいて、何もしないで、ただ時間だけが過ぎていきます。何も真実を語れていない。いや、本当にこの50数年で何がやれたというのでしょう。ろくなことをしていません。
嘆いても仕方がないので、何かだれかの役に立つことを、小さなことでいいからやりたいですね。(2015.9.25)


★ 2018年の1月末です。何も私は変わっていません。でも、着実に「青春」という言葉は古くさいものになり下がっています。
どういうわけか、みんなが「青春」を毛嫌いしている。みんな、一人前になりたがり、一人前として自分の家を持ちたがっている。定職に就き、長いローンで家を建て、家族が増え、その家族がどんどん成長しても、そこには「青春」は息づいているはずなのに、みんな、「青春」を卒業したがっている。
確かに、「青春」は、アカがついて、サビサビで、みじめったらしく、不安定で、むやみに走っていて、無意味なことばかりしているように見える。
でも、他者から見れば、どんなに落ち着いた行動をしていたとしても、何だか不安定でいい加減に見えたり、もう少し余裕を持とうぜ、と見えるものなのに。
どんなにミスなくふるまおうとしても、みんなそうなってしまうのに。
なのに、みんな毛嫌いしている。よろしい、私は、「青春」の伝道者として名乗りを上げようかな。でも、何をウリにして立ち上がろう。作戦を考えなくちゃね。とにかく「青春」って、一生ものなんだよ! そう言いたいです。クタクタのオッサンのくせに、何が言いたいんだろうね。(2018.1.28 Sun)
兼好法師さんが「台風の過ぎていった次の日の朝は、なんだかいい感じがするよね」と語っていたのは、今回のような肩すかし台風のことではありません。ものすごく恐ろしい夜が明けて、やっと朝になった。恐ろしい台風は遠ざかったと実感できた日の朝は、それはしみじみするものです。今回は、それではありませんでした。

もうすぐ10月がやってきます。資源ゴミを出してサッパリしたら、混乱している書斎を機能的に片づけようと思います。
そのためにはもっといろいろ捨てないとダメです。あれこれ抱えないでどんどん捨てる。シンプルな整理された世界におりたいのです。ぜひ、そうなれるように努力したいです。
そんな何もないところから何かを作り出したいです。さしあたって今は、昔話みたいなのを描きたいですね。今日から少し取材します!
昨日帰る時、NHKのラジオを聞いてました。作家の関川夏央さんが出ていて、「青春」という価値観は今はありません、と言われていました。びっくりでした。青春は死んでしまったのか……。
そう言えば思いあたります。誰もが若い時期を尊重せず、ただの未熟な時期であり、早くそこを通り過ぎるようにしています。
残念ですが、みんなが未熟をいやがり、ジャンジャン金儲けができて、年収一千万以上をめざし、何人もの有能な人たちはそれを実現しています。みんなものすごく現実に生きて、みんなが日々商売をしている感じなんですね。最先端の人たちはそうです。

私は青春は過ぎたし、商売にも(残念ながら)あまり興味がありません。だったらそれを言葉にすると……? 思いつきません。また、いつか考えることにします。
折角の野分のあしたなのに、何だかいじけていますね。そんなに卑屈にならなくていいから、楽しいことを考えて過ごすことにします!
★ 全く私は、去年も今も同じようなことを書いて、ボヤいて、何もしないで、ただ時間だけが過ぎていきます。何も真実を語れていない。いや、本当にこの50数年で何がやれたというのでしょう。ろくなことをしていません。
嘆いても仕方がないので、何かだれかの役に立つことを、小さなことでいいからやりたいですね。(2015.9.25)


★ 2018年の1月末です。何も私は変わっていません。でも、着実に「青春」という言葉は古くさいものになり下がっています。
どういうわけか、みんなが「青春」を毛嫌いしている。みんな、一人前になりたがり、一人前として自分の家を持ちたがっている。定職に就き、長いローンで家を建て、家族が増え、その家族がどんどん成長しても、そこには「青春」は息づいているはずなのに、みんな、「青春」を卒業したがっている。
確かに、「青春」は、アカがついて、サビサビで、みじめったらしく、不安定で、むやみに走っていて、無意味なことばかりしているように見える。
でも、他者から見れば、どんなに落ち着いた行動をしていたとしても、何だか不安定でいい加減に見えたり、もう少し余裕を持とうぜ、と見えるものなのに。
どんなにミスなくふるまおうとしても、みんなそうなってしまうのに。
なのに、みんな毛嫌いしている。よろしい、私は、「青春」の伝道者として名乗りを上げようかな。でも、何をウリにして立ち上がろう。作戦を考えなくちゃね。とにかく「青春」って、一生ものなんだよ! そう言いたいです。クタクタのオッサンのくせに、何が言いたいんだろうね。(2018.1.28 Sun)