
昔、ビール業界は、4つのメーカーがシェアを争っていたそうです。東京のキリンとエビス、札幌のサッポロ、大阪のアサヒ。たぶん戦前の話です。
戦争が激しくなり、エビスとサッポロが合併し、サントリーが参入し、低迷していたアサヒはドライで見事業界トップになり、本社も東京に出て行くし、地域ごとのメーカーではなくて、それぞれのメーカーが各地域に工場を持ち、それぞれの水と伝統を維持しながら、日本のビール業界を支えている。
もう日本だけではなくて、世界に活動範囲を広げ、世界各地で日本風のビール作りをしているはずです。さしあたっては、欧米はある程度進出したから、中国やアジア、将来はアフリカへと向かっていくことでしょう。グローバル企業になるのはよろこばしいことだけれど、国内での地道な活動もしてもらいたいなあと思ったりします。
それで、サントリーさんなんかは、プレミアム路線でずっと引っ張っていて、それなりに伸びていくだろうけど、また、いつか戦略の練り直しするときがあるんでしょうね。
1つの銘柄を大事にして、それを徹底的に推し進めるアサヒの戦略、ドライの黒でずっこけたけど、そして消費量も伸び悩んでいると思うけど、好感が持てます。いつまでも堅持して欲しいし、その味を磨いてもらえたらと思ったりします。
まあ、スーパードライって、昔ほどの衝撃はありませんね。冷えてたらどれでもそれなりにうまいのかもしれない。……本当に私って、味音痴ですね。お酒の味も分からないのに、ぼんやりと飲んでいる。

私は、半田市のカブトビールの工場だった赤レンガ建物をめざしていました。ここは、地元の醸造会社(ミツカン)さんが、昔から酢・日本酒などを造り、消費地の江戸へ送り込むという伝統的な産業がありました。
地元のそうした会社が結集して、ビール会社を作った。それがカブトビールで、フランスの博覧会で認められたりもしたそうですし、宣伝なども大々的に行って、4大メーカーに割って入ろうとしたことがあったそうです。
それが戦争の時代を経て、会社もなくなり、せっかく新しい産業に参入しようとした工場も、別の会社の工場となり、そちらでずっと働いていた。それが工場が移転し、廃墟となったため、跡地を半田市が買い取り、赤レンガ部分を多目的スペースとして利用しているということでした。
内部を公開し、カブトビールに関する展示を始めたのも最近のことで、他のスペースは、先週はクラフト市が行われていて、たくさんの家族連れが訪れていた。

私は、時間の関係で、電車の時間にハラハラしながら、ゆったりと見るのではなくて、ササっと見るだけで、あわただしく出てきてしまった。ただ、そういう意欲的な会社があったのだと感心し、その赤レンガ部分をよくぞ再利用してくれたとうれしくなったりしたものでした。
どちらかというと、電車よりもクルマの方が利用しやすい、地元にシフトした施設であり、今後はその方向を拡大していって、よそから来た旅人も楽しませてくれる物になっていったらいいなと思ったんでした。
外からキレイに写真は撮れたし、この周りにはまだまだ知られていない、古い雰囲気のところがありそうだったし、新美南吉さんのふるさとだし、そういう面を発掘し、教えてくれるようなものになっていったらと思ったんです。
私は、すぐに駅へと戻りました。

ここの駅は、レールをまたぐ陸橋がなかなかの古い物で、日本最古のものという表示もありました。そういう古い物がゴロゴロ転がっている町らしいのです。
ということは、それなりに昔は、今よりももっと華やかな時代があったことがしのばれます。

駅前には、知多半島の酪農の発祥地であるという碑がありました。

いろんな産業のスタートになった土地らしいのです。確かに、水田が開け、海も近く、江戸へも行けるし、世界ともつながることができた。そうした地の利をつかって、あれこれと知恵を絞って、町作りがなされた。
基本は、今も残るミツカンさんで、大きな社屋が見えていました。博物館だってありました。でも、完全予約制なので、予約をしていなかった私は、外から眺めるだけだった。

そして、あわただしく駅に戻り、すぐ名古屋方面にもどっていったんでした。何だか、落ち着かない旅になりました。もう少しゆとりを持って、1つの所にとことん向き合えばいいのに、表面しか見られなかったんですね。それにとても暑かったし、台風前でお天気も不安だったんです。まあ、言い訳です。
でも、新しい町を見つけることはできました。彼岸花のころに、ここを訪れることができたら、それはなかなかいいんですけどね。

地元有志の鉄道博物館も見学させてもらいました。情熱はいっぱいで、見ていて楽しかったし、1つひとつに思い入れはあると思いました。でも、こちらにゆとりがないと、楽しめません。ダメですね。ゆとりが必要です。行けるところにどんどん行かなければ! という功名心だけではいかんなあ。
戦争が激しくなり、エビスとサッポロが合併し、サントリーが参入し、低迷していたアサヒはドライで見事業界トップになり、本社も東京に出て行くし、地域ごとのメーカーではなくて、それぞれのメーカーが各地域に工場を持ち、それぞれの水と伝統を維持しながら、日本のビール業界を支えている。
もう日本だけではなくて、世界に活動範囲を広げ、世界各地で日本風のビール作りをしているはずです。さしあたっては、欧米はある程度進出したから、中国やアジア、将来はアフリカへと向かっていくことでしょう。グローバル企業になるのはよろこばしいことだけれど、国内での地道な活動もしてもらいたいなあと思ったりします。
それで、サントリーさんなんかは、プレミアム路線でずっと引っ張っていて、それなりに伸びていくだろうけど、また、いつか戦略の練り直しするときがあるんでしょうね。
1つの銘柄を大事にして、それを徹底的に推し進めるアサヒの戦略、ドライの黒でずっこけたけど、そして消費量も伸び悩んでいると思うけど、好感が持てます。いつまでも堅持して欲しいし、その味を磨いてもらえたらと思ったりします。
まあ、スーパードライって、昔ほどの衝撃はありませんね。冷えてたらどれでもそれなりにうまいのかもしれない。……本当に私って、味音痴ですね。お酒の味も分からないのに、ぼんやりと飲んでいる。

私は、半田市のカブトビールの工場だった赤レンガ建物をめざしていました。ここは、地元の醸造会社(ミツカン)さんが、昔から酢・日本酒などを造り、消費地の江戸へ送り込むという伝統的な産業がありました。
地元のそうした会社が結集して、ビール会社を作った。それがカブトビールで、フランスの博覧会で認められたりもしたそうですし、宣伝なども大々的に行って、4大メーカーに割って入ろうとしたことがあったそうです。
それが戦争の時代を経て、会社もなくなり、せっかく新しい産業に参入しようとした工場も、別の会社の工場となり、そちらでずっと働いていた。それが工場が移転し、廃墟となったため、跡地を半田市が買い取り、赤レンガ部分を多目的スペースとして利用しているということでした。
内部を公開し、カブトビールに関する展示を始めたのも最近のことで、他のスペースは、先週はクラフト市が行われていて、たくさんの家族連れが訪れていた。

私は、時間の関係で、電車の時間にハラハラしながら、ゆったりと見るのではなくて、ササっと見るだけで、あわただしく出てきてしまった。ただ、そういう意欲的な会社があったのだと感心し、その赤レンガ部分をよくぞ再利用してくれたとうれしくなったりしたものでした。
どちらかというと、電車よりもクルマの方が利用しやすい、地元にシフトした施設であり、今後はその方向を拡大していって、よそから来た旅人も楽しませてくれる物になっていったらいいなと思ったんでした。
外からキレイに写真は撮れたし、この周りにはまだまだ知られていない、古い雰囲気のところがありそうだったし、新美南吉さんのふるさとだし、そういう面を発掘し、教えてくれるようなものになっていったらと思ったんです。
私は、すぐに駅へと戻りました。

ここの駅は、レールをまたぐ陸橋がなかなかの古い物で、日本最古のものという表示もありました。そういう古い物がゴロゴロ転がっている町らしいのです。
ということは、それなりに昔は、今よりももっと華やかな時代があったことがしのばれます。

駅前には、知多半島の酪農の発祥地であるという碑がありました。

いろんな産業のスタートになった土地らしいのです。確かに、水田が開け、海も近く、江戸へも行けるし、世界ともつながることができた。そうした地の利をつかって、あれこれと知恵を絞って、町作りがなされた。
基本は、今も残るミツカンさんで、大きな社屋が見えていました。博物館だってありました。でも、完全予約制なので、予約をしていなかった私は、外から眺めるだけだった。

そして、あわただしく駅に戻り、すぐ名古屋方面にもどっていったんでした。何だか、落ち着かない旅になりました。もう少しゆとりを持って、1つの所にとことん向き合えばいいのに、表面しか見られなかったんですね。それにとても暑かったし、台風前でお天気も不安だったんです。まあ、言い訳です。
でも、新しい町を見つけることはできました。彼岸花のころに、ここを訪れることができたら、それはなかなかいいんですけどね。

地元有志の鉄道博物館も見学させてもらいました。情熱はいっぱいで、見ていて楽しかったし、1つひとつに思い入れはあると思いました。でも、こちらにゆとりがないと、楽しめません。ダメですね。ゆとりが必要です。行けるところにどんどん行かなければ! という功名心だけではいかんなあ。