弓道修行日記

このブログに、弓道修行する中で、学んだこと、考えたこと、試行したこと等を書き残し弓道修行の友とする。

残身(残心)を考えるー弓道書による残身(残心)ー2

2010-02-28 | Weblog
前稿「残身を考えるー弓道書による残身(残心)ー1)」の続き

8.残身のまとめ
残身について考察しようとすると、いろいろな項目に分けて考える必要があります。弓道書を見ますと残身にほとんど触れていない場合もあります。昔はそれほど問題にならなかったのかも知れませんし、それは、会、離れの結果で、とやかく言うものではないということであるかも知れません。残心の方が大切だということもあるかも知れません。

ここにきて理想の残身をどうすべきかについて考える場合、芸術性を追求する弓道という観点から独自に考えてみようと思いました。写真を見て格好が良い残身があります。それはどういう要素を持っているのかを考えて見るとヒントが出てくるものと思います。

弓道教本第一巻の残身の図解図を参考に理想の残身を考えますと
(1)矢束はおよそ身長の半分で足の開きは矢束である。丹田は体の中心にあるとなる   と、丹田を頂点とし両足開きを底辺とする正三角形がなければならない。これは足   踏みで完成させていなければならないことである。
(2)両足の開きを底辺足とし頭の天辺を頂点とする二等辺三角形、エッフェル塔み   たいな形がなければならない。これは足踏み、胴造りで完成させ残身まで堅持しな   ければならない。
(3)両手は肩の線で一文字となり、それを底辺とし丹田を頂点とする逆二等辺三角   形となるべきである。
  (4)上記の三つの三角形を組み合わせると縦長の星形となる。
  (5)この縦長の星形からやや両手を上げた方が張りがあって美しい。この点は木の   枝を考えれば、枝が上に上がっている木でありその方が迫力があるように思います。   高さも揃っている方が均整がとれ美しいものです。太陽の塔もやや上に上がってい   ますので凛としているように見えます。
  (6)両手の開きは出来るだけ伸びて一文字となるべきです。
  (7)両手の残後の位置については肩の線よりやや後ろにある方が、張りがあって美   しい。この点については縦の線も丹田を中心にやや反り味があった方が張りが見える と思ういます。もう一つやや前傾の方がこれも気迫が出ているようで良いのではないかと考えます。従って、縦線と横線は共に反って十文字となってやや前傾するべきと考えます。
    
星形と言えば保安官バッチがありますが、これは反っています。それを縦に長くして、両手をやや上に上げ、前にちょっと傾けた姿が理想の残身と考えます。これを目指して例え両手が肩の線に来てもそれは許容範囲の中にあると考えます。

両手の高さですが、口割り、あご、肩とある中で口割りの残身、上田範士の残身は素晴らしいと思います。両手は肩の線に下がり、後ろに開くという考えもありますが、会では矢筋に無限に開いているので両手は矢筋に開くのが自然だと思います。

両手を開くと主張する根拠は、引分けで両手はもっと開きたいのであるが顔が邪魔をして開けないので離れで邪魔がなくなるので開くのであると言うことですが、弓手は的に向かって矢筋に押し、妻手は矢筋に一文字に抜くように伸びを利かせている中で離れたら真っ直ぐ矢筋に開くのが当然とも考えられます。
結局、前稿で考えた自然体形、木の形、縦長の星、これが基本の形でこの形の戻るのが、離れで戻った形が残身であると考えます。

近い内に残心について考察してみたいと思います。

この過去のブログを調べたら「理想の基本体形ー理想の残身像」というのを投稿していました。
そこでは残身像は縦長の星形と書いています。

もう一つ残身作るものでないと言われていますが、残身は射の総決算と言われています。
決算が悪かったらどうするのでしょうか。
決算が悪かったら何によって悪かったのか、原因と対策を考えなければならないのです。
そして良い決算になるように努力すべきです。

私は射芸論として理想の残身はどうあるべきかから考えるのです。
それが縦長の星形です。

今、バンクバーオリンピック、フィギュアのキムヨナと浅田真央の比較、金と銀の差が何処にあるかを考えています。

両方を見て、やはりキム選手の法が、芸術的であったと思います。何処がどうなんだとは一言では言えませんが、芸術性はどうしたら表現できるかの意識の差ではないでしょうか。

例えば浅田選手は3回転半のジャンプににこだわりましたが、それは技術点を高めることでしょう。弓道で言えばより中心点をを目指したということではないでしょうか。

キム選手は難易度のやや低いジャンプでGOE、芸術点を狙ったのです。
弓道にもフィギュアの採点法で審査をすることを提案します。

キムヨナの様な表現の弓道、それが弓道の芸術化と考えています。
点数の発表もフィギャースケートのように直ぐに発表するのです。
そう言う弓道、それは実利の弓道ではありません。
小笠原流に統一して、その芸術度を競うのです。

弓道は中りでないと言っておきながら的中至上主義の射会を開催しているのは矛盾しています。

射会も採点方式でやるべきです。
日本選手権や全国大会等も採点方式でやるべきです。

確かにスケートもスキーもスピードを競う種別や跳びを競う種別もあります。
弓道にも矢飛びを競う種別や、的中を競う種別も有って良いと思います。

弓道はもっと国民に受け入れられ、フアンを増やせるスポーツと思われます。
全日本弓道連盟は今後の弓道はどうあるべきか考えるべきです。
もう一度弓道30年史を読み直すべきです。

弓道連盟の役員も若返りを図るべきです。民主化を図るべきです。

そうすればテレビでも放映されます。

・・・と一フアンは考えました。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (うにっこ)
2010-06-17 21:16:33
大変失礼ですが、キム・ヨナさんの芸術性は低い、と思います。
場の空気を読み、観客の望みに応える力がずば抜けた第一級のエンターテイナーです。
万人にわかりやすく、かつノりやすい007の選曲からも明らかです。
ですが、点数を稼げる要素以外はハッキリ手を抜いています。
体も固いです。腰に爆弾を抱えているのは姿勢が良くないことも一因ではないでしょうか?
ですが、それを観客の目に止まりにくくする術、
自分をより魅力的に見せるテクニックを体得しているのです。
補って余りある天賦の才能です。
ただし、それは芸術としてではなく、あくまでもエンターテインメントの枠内ではないでしょうか。
一方の浅田真央さんはけしてジャンプ頼みの未熟な選手ではありません。http://gxc.google.com/gwt/x?client=ms-kddi_blended-jp&u=http%3A%2F%2Fyaochosports.up.seesaa.net/image/maokim09.jpg&wsi=2e1f5fbda98adc29&ei=rRAaTK7vGoXqsAKW1t3aBQ&wsc=tw
あらゆる要素を長年の鍛錬で鍛え抜かれた美しい姿勢で臨みます。
大変きつい姿勢にも関わらず、しなやかにこなすので、難しく見えないのです。
「鐘」という、重苦しく、鉛がまとわりつくような、
悪夢のようなプログラムをこなせるのは、過去も現在彼女だけです。
あの優美そのもののミシェル・クワンですら完成出来なかったプログラムなんです。
観客が望む、軽やかでバンビのような真央ちゃん「らしい」プログラムを選ぶ事も出来たのに、
敢えて己の限界に挑戦し、シーズン半ばまで不調にもがき苦しみ、ついに殻を破りました。
残念ながら、その円熟と完成はシーズン最後という皮肉な結果になりましたが。
真央さんは「007」を滑ろうと思えばやれるでしょう。
しかし、キム・ヨナさんに「鐘」や「仮面舞踏会」は不可能です。
実際、プロのバレリーナが評価するのはキム・ヨナさんではなく、浅田真央さんの方です。

身体芸術の美しさはバレエなどの舞踏に留まらず、
合気道や剣道、勿論弓道にもあると考えていたのでガッカリです。
返信する

コメントを投稿