灰色の空模様は、久しぶりな感じであるが、やっぱり良い感じはしないものである。心の中、重たい…
結構、情緒不安定な所があるので、気分の浮き沈みが多い。ある意味、うつみたいな所ではある。
小さい事でくよくよするな…というタイトルの本もあった様に思うが、気になり始めると、とことんああじゃね、こーじゃね、と悪い方向に悩んでしまうのはよくあるので、まずいにはまずいが、解決策は出ていない。
最後になるが、更新しなくても40数人方が気にかけてこのブログを観ていただいた事を心から御礼申し上げる。毎日更新しないといけないとわかってはいるが、なかなか教科書とおりに行かないのは単なる言い訳だけれど、極力更新していくので、今後とも宜しくお願い致します。
ふと思ったのだが、自分の表情がここの所、豊かでなくなっている気がした。
自分の生活ぶりがその様にさせているんだろうと思うが、ビックリである。
深夜アニメで笑ったり時に涙したりしているのにも関わらずなので、余計である。
まるで『3年B組金八先生』ではないが、人間という漢字は人の間と書き、人は人関わっていく物であるし、人と言う漢字は互いに支えあって生きるものでもある…と言われるし、以前も紹介した『ヒロイックエイジ』でもそれと似たような事は述べられている。OFF会はともかくとして、人と触れ合う機会はあっても、長く話す機会がない昨今である。
「表情」というのは、快、不快の2つに大きくは分類されるんだろうが、特に「笑顔」が減ったように思う。機械的に、ネットやテレビの文字に音しか視聴しないと、いつしかそれが出なくなる様だ。
話は、少しそれるが以前、「テレビゲームにテレビ、インターネットが子供に及ぼす悪影響」に関する本をある人から勧められて読んだ事がある。別段、読みたいとは思わなかったのだが、諸事情により読まざるを得なかった。結局、それらは子供達にとって有害な事が多いという結論でまとまっていたと記憶しているが、その中で、気になったのが「笑わない乳幼児が出て来ている」という事だった。その年齢ではテレビの中身の意味なんて解らず「ただ観ているだけ」になり、いつしか表情がなくなるという。昨今の共働き事情や子育て事情からか、直接、人間と触れ合う機会が減っていて、それが「無表情」につながり、果ては、「感情が淡白になる」つまり「冷めた人間」になってしまうと言う内容の話にびっくりしたものだった。
考えてみれば、私も小学校に上がる前から朝のテレビはNHKニュースで、テロップに映る時間やキャスターとにらめっこして学校に行っていた。確かに訳は解らなかったので、あまりかじりついて観ていた記憶は無いけれど、テレビは身近な存在としてそこにあったし、そんなニュース以外でも、親が観ていた番組を一緒になって観ていた。勿論子供向けではない。時代劇(『必殺仕事人』(殺陣のシーンのサウンドは今でも好きだが、そのきっかけを与えたのは子供の頃だった)が記憶にある)、バライティー番組(『おれたちひょうきん族』、『徹子の部屋』、『笑っていいとも』、『テレビタックル』(今もお気に入り)、『ブロードキャスター』等枚挙にいとまなし)を意味も解らず観ていたように思う。
そして、昨今はすっかりインターネットに深夜アニメにつかり、いくら笑い有り、涙有りとは言っても、自然な「笑顔」が減っていたと思うし、それ以外の「豊かな表情」、特に顔の筋肉が固まっていたんじゃないか…とさえ思うのだ。
いつかに、物を飲み込めなくなる症状が年輩の方に多く出ている話が紹介されたテレビを観た事がある。原因は、舌の力が弱まった為と言う。食べる以外では使わずすっかり退化してしまったというのだ。特に「喋る」という行為が減った事も原因らしい。これを1つの『廃用症候群』(漢字が一部あやしいが)と言うそうで、所謂「退化」という事らしい(使わないから弱くなる…という悪循環の1つでもある)。顔の筋肉も案外、これで、固まってしまうものなのか…と思ったりもする。
気をつけなければいけない事だなと思いつつ、人はやはり1人では生きては行けない、という事を少し学んだような気がするが、別に表情1つでどうこうなる訳でもないし、感情に対して「淡白」になってもそれほど問題ではないようにも思うのだが、軽視出来る問題でもなさそうだ。
宗田 理氏の有名作品であるそうだが、私は、原作を読んだことは無い。中学1年か2年の頃に、初めて、この『僕らの~』シリーズを知った(そんなタイトルの本があったな~くらいな事は小学校の図書館にあったような記憶はあるが、気にもとめてなかったし、まさかシリーズ化されているとは思ってもみなかった)。当時、通って居た学習塾で同じクラスだった人物の口から、その作品名が出たのだ。私は、以前も書いた通り、中学時代は、誰かに薦められる本より、自分の手で良作を探したかった口である。
今回、作品を観て思ったのだが、やはり有名なだけあって「面白い」。登場人物達は、中学生の設定で、10代に入ってから芽吹き出す心(オシャレ、スポーツに対する情熱、恋心、大人への反抗心等)模様がよく描かれていた様に思う。殊に、「大人(この作品の場合は、教諭諸氏になるが)達への反抗」模様は、素晴らしく描かれた。私も、中学の学年の担当教諭達以外でも嫌いな教諭諸氏が居たし、反発した事もあったので、登場人物達の気持ちは、ひしひしと伝わってきた。
登場してくる教諭諸氏の行動は、「体罰」とも取れるものがあり、こんな事が現実に起きたら、まず問題になるだろうな…と思う。自分自身に学生の頃、その手は及ばなかったものの周囲には充分それと捉えられる行為があり、校長の耳にまで届いた事もあったようだ。幸か不幸か教育委員会やPTAにまでは話が行かなかったようだが、当該教諭が学生諸氏に謝罪する形で幕を閉じたようだ。今は、そんな心無い事をするような教諭が居ない事を祈らざるを得ない。中学時代、私は、図書館に行って学校教育法の「体罰禁止」の所をコピーして、その部分を切り取って生徒手帳に入れて、いつでも突きつけられる様にしておいた過去がある。
作品の話から少しそれたが、何のかんの言っても学校とはあるいは社会もそうだが、「住みにくい所ある」場所である。そんな環境は間違っている!と思って、生徒数人があのように団結した行動に出るのが、時代を表しているなと思う。あの当時は、現代と違って、「仲間意識」や「誰かと一緒に手を繋いでいたい」という思いが強かったように思う。他人と他人との距離が近い、そんな時だったと思うのだ。だからこそ、あんな風な団結が物語の中とは言え、出来たんだと思うが、登場人物達の手先が凄い器用だなと思ったし、考える事も賢いと思った。篭城する基地の改造やトラップを仕掛ける大工作業、戦車を弄れる知識(これは、今はネットが発達しているから、案外いけるかもしれないが…、当時は、そんなもの無かった筈なので、凄いものだ)を見れば明白であろう。
懐かしさと同時に、羨ましさを覚えつつで観た、映画の感想はこんな所である。
秋なんだな…と思う。
陽射しは柔らかいが、どこか力強さがない。
空の水色も淡さをまし、美しい色を広げている。
こうして、窓の向こうの映り行く景色を見ながら、書き込みしているからって、何かネタが浮かんでくる筈も無く、ただ何となく書いている。
土日はすっかり、ブログの書き込みがおざなりになってしまい、サボりすぎた自分に反省。ちゃんと更新していかないと、やっぱり、閲覧数も落ちるようで。
そう言えば、E233形に関する話で「クリスマス」という言葉が出てきた。それに誘われたかのように、トラックバックにそれに関する物が出てきた。気がつけばもう10月で、あと2ヶ月と3日でその日である。
「白い息が行き交う街はクリスマスの歌思い出す頃 腕を組んで恋人達は、賑わう街角どこかへ消える」
(篠原美也子 “HOPE” 2005年 より引用)
吐く息が白くなる季節が近づいている。
冬へ向かう日は、どこか切ない。
以前も書いたが、今、冬の深淵に向かって、緩やかに長い下り坂を私達は歩いている。
下り坂を行くより上り坂を行く方が大変だけれど、夏という頂上へ向かう道の途中、殊に春は、どこか希望に満ちている。しかし、冬にそれはなく、寒さに怯える日々を考えると何だかもの悲しいものがある。
趣味の話。
プロフィールにも書いてあるし、以前も「自己紹介」として書いていたのを流用してみる事にする。
・鉄道とバス
ガキの頃から好きだった気がする。理由は解らない。多分、過ぎ行く景色を見る所から吸い込まれたのだろうと思うし、両親が鉄道関連の書物(カラーブックが一番大きい気がする)や玩具を買ってきた所為もあると思われる。
当初は、東急好きだった。今では当り前だが、ステンレス車両を理由も解らず好きだった気がするし、素晴らしい物だと言う印象が強かった。
中学に入って、鉄道仲間が出来て、乗った京浜急行デハ1000形特急の運転台を見て、なんと開放的で観易い(運転台後部にまで座席がある!)のだろうと感動。そして105KM/Hでぶっ飛ばすその姿に感動。せいぜい80から90KM/H程度だろうとその当時はたかをくくっていたので、もの凄く驚いた。その後、どうしても快速特急にも乗りたくなり1人で乗りに行った。120Km/h運転が開始され600形電車がデビューした頃に、快速特急に乗ったと記憶している。品川から2000形(当然、2つドア、集団見合い式固定クロスシート時代)で京急久里浜まで乗車。120Km/hはその時点では出なかった。土休日の朝早い時間だった事によるものと思われる。MAX115Km/hだった気がする。
京急久里浜からの折り返しは、偶然にも600形電車だった。今度は120Km/hばっちり出て、驚いた驚いた。こんな凄い電車が存在するとは思わなかったと言わせるくらいのど迫力に恐れ行って以来、ファンと化す。
後に、気がつくと、京急のカラーブックスを手にしていた事が解り、幼かったので絵しか終えなかった段階から文字が読める段階へと進化していてので、歴史も紐解き、かつては京成線からの臨時直通特急や直通快速特急(殊、SHという列車コードが何故か気に入った)があった事が解り、感動した覚えがある。
フリーランスで浅草線に乗り入れる話が出て、京成やら北総やらにまで知識の根が広がって行ったのは言うまでも無いが、あまり京成については過去の情報が少ないのでよくは解らない。
そんなこんなで現在に至り、先述も述べた通り、リンクを貼らせて頂いた方々と出会い、更に鉄道の知識が深まる事になり、現在に至る。
学生時代、結局、鉄道の部活に出会えなかったのは痛いが、語り合える仲間があった事を幸いと思うべし…という所か?
一方で、どこに何の路線があるか、とか、運賃がいくら、とか、駅で車両の何号車にのると出口が近い、とか言う知識は乏しく、殊、JRは全般的に本当に知識が少ないのが特徴である。一般的に、鉄道好きというとJRがメインであり、私鉄はその次にあるという感じがするのは、お得意の妄想であろうか?
かなり偏り狭いコアな知識しかもたない、鉄ヲタである。
・バス
もともと生まれた土地は、今住んでいる街とは違ったので、鉄道と比べると歴史は浅い。知識はせいぜい地元を行く、小田急系列の橙色に黄色と思しき色を貴重としたバスの事が少ししか解らないので、あまり声を大にして語れない。
鉄道と同じく、路線の相関関係や料金の話なんぞは、さっぱしである。
・深夜アニメ鑑賞
これは以前、書いたような気がするので殊更、書く事は無い趣味だが、最近では、すっかり生活の一部と化し、無くては成らないものになっている。
ジャンルは問わないが、萌系が苦手。また、血生臭すぎる作品でかつや冷酷非道な話も駄目である。好きなのは、人間関係を豊かに描かれたもの、友情もの系。そんな感じで、作風が自分に合えばなんでも観る。
観るきっかけに関して、プラスアルファで話をしておくと、ゴールデンでやっている番組は、比較的メジャーで誰しもが知っている感じの物が多く、観て面白くてはまるのは当り前という思い込みがあり、あえて、「深夜を選んだ」というのもある。
アニメというと「声優」という話になるが、それに関する知識は無い。あまりそこいらへんの話に興味はない。
・カラオケ
これも以前述べた話なので、詳しくは述べないが、「誰かと行くと歌い足らない」という理由(2時間から3時間設定で数人で行くパターンが多かった)で、1人で行く事になった。
とはいえ、1人で行って良いものなのか?という戸惑いに不安が多く、周囲の知り合いに「ひとりで行って平気なものか?」と訊きまくった記憶がある。大丈夫だ!という話を何度か聴いたので、実行に至る。初めて、1人カラオケしたのは、京急線のとある駅前(優等列車の止まらないマイナー駅)にある(今はどうか解らない) 店屋。名前は覚えていないが、なかなかリーズナブルな値段であった気がした。
・駄文作成
主に、Mind Feelingでよく書くような文章(私は、勝手にそれをエッセイと呼んでいる)に、小説(以前、リンク先のブログで書いているという話をしたが、あんな感じのもの)を書く事が趣味である。
きっかけは、ラジオの深夜放送によるが、なんか高校3年の頃になって今の気持ちを書きとめておきたい…みたいな衝動にかられて書き出したのが全てだったと思う。質は、観ての通り、お話にならない感じの悪いさである。
・深夜首都高の旅
これは、鷺沢萌著『少年達の終わらない夜』(河出文庫 1993年)の中の『ユーロビートじゃ踊れない』という話にある。その本の133ページに、
「首都高を一周しようか」
という台詞が出て来る。この時の情景を話の前後を追っていくと、どうも夜中(少なくとも深夜0時を過ぎている事は間違いない)という設定であり、
――暁子のサンタナは大通りをずっと北上し、用賀から高速道路に乗った。首都高に入ると、暁子はさっきまで流していたコステロのテープを取り出し、左手で別のテープを探ってからヒロシに言った――
というのがあり、渋滞だらけの昼間の首都高ではなく、深夜のすいた時間の首都高に乗ってみたい…という衝動から始まったものである。最近は、やっていないが、かつてはそれなりにやっていた。
「ルーレット族」がやはり多かったが、別段事故られた事はなかった。煽られた事はあったが、すんなり道を譲ると、ハザードランプで「ありがとう」と言う意味を示す合図を出したりする事があったのには驚いた。単に馬鹿にされただけかも知れないが…。
その後、去年の連休前に、この夜間ドライブの応用で、東名に乗っていて、スピード違反でつかまり(オーヴィスでひっかかる何とも情けないものだった)免停処分となった事がきっかけで、最近ではすっかりやらなくなってしまった。一応、免停期間は過ぎ、免許は返っては来たが、今度はガソリン様が異様な高値になったので、気軽さを失ってしまったのもある。
・篠原美也子の曲を聴く/弾き語る
彼女のファン歴はかれこれ12年位になる。知ったきっかけは、深夜放送。たまたま夜中に目覚めて、自分の部屋にその当時、ラジオはあってもテレビはなかったので、そっちに逃げたら出会った。
ピアノを幼い頃数年ならっていた(腕はかなり悪い)ので、彼女の曲も弾けたらなぁ、歌えたらなぁ…と思い、耳コピで音は取れたので、適当に今でも弾いている。
これまでの人生で、彼女の事をよく知る人物は出会った事が無いが、今も好きである。
しかし、こんな趣味を持っているとは言え、大抵の人は、「マニア」だな程度しか見られないので、あまりこう受けは良くないので、ドキドキな話ではある。