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Mind Feeling0503~0504-2 『小公子セディ』を読破

2011年05月04日 01時33分50秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

昨今、カラオケでもよく歌う『ぼくらのセディ』。その曲が使われた世界名作劇場作品『小公子セディ』の文庫本を今更のタイミングで読んでみた。
1988年、今から23年前にテレビで放映されていた様だが、全く記憶にない。と言うことは観て居なかったんだろう。
この本は今から7年前に出たとあり、この本が発売されて次が
『ロミオの青い空』とあり、そうだったのか、と言う所。
アニメ作品に触れた事はないが、読みごたえは充分にありであった。主人公:セディの人柄の良さと子供らしい無邪気さそして純真さを観てとれた。
ありふれた日常で嫌でも目につく「要領よく、ちゃっかり、ずる賢く」と言う汚れ所がない事が1番にホッとした所がある。
また、「誰からも受け入れられる」と言う力があることは、羨ましく、良いなぁと思う所だ。その姿は「決してお人好しからくるものでない」ので余計かも知れないが、反面、模範的過ぎる姿に貧しき心の持ち主の私は憎しみを抱いてしまう要素があり、素直に受け入れられるかは疑問ではある。物語の世界だから許せる、そんな事を今更気付いてもなぁ…と言う話。
またこのアニメのテーマソング『ぼくらのセディ』の歌詞にある通りの姿があり、なるほど、これが、君が笑うとなぜだろうか、みんな楽しい気分になる、や、これが、君が笑えば誰もつられてあかるい笑顔になってしまう、にあたるんだろう、と言う所に繋がる所と前に話したこの物語ファミコンゲームのエンディングで出てくるト書きにあったシーンも出てきて、これがそうか、とひとりで頷く事があった。

しかしそれにしても、何故に出会う世界名作劇場の作品達の多くに「人と人との死別」があるのだろうか?それだけ、ありふれた物なのだろうか?しかもそれが主人公に関わり哀しみを背負うのは何故なのだろうか?
アニメ作品や詳しい前段階の知識なしでも、楽しめた事は1つの慶びである。物語はその様にシンプルさが大切だが、それを形創るのは大変な話である。
最後に、「セディ」と言う名前、これは言うまでもなく「ニックネイム」であり、本名は「セドリック・エロル」である。セドリックと言えば車の名前にもなっていて、へぇ、あのセドリックと同じ名前なんだ、と言うのがこの話とであった時、感じた1つの事である。どこの車メイカーの車種かは忘れたが…。
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