篠原美也子“Good Friend”を、セルフカバーアルバム“everything is passing”(2004年)から聴いてみる。
今夜も星降る願いも、時に、切ない?と厨2っぽく思う。
2004年の篠原美也子のセルフカバーアルバム“everything is passing”より、“Fool in the Rain” を、聴いてみる。
1995年版のより、アーティストの想いが、集約された感じである。故に、たまに、手を伸ばしたくなる。
篠原美也子のセルフカバーアルバム“everything is passing”(2004年)から、『ありふれたグレイ』を聴いてみる。
1粒で2度美味しい、と言う感じで、アレンジ違いでも、良いなと想える。それすなわち、この曲自体が良曲と言えそうだ。
篠原美也子『河を渡る背中』を、2004年のセルフカバーアルバム“everything is passing”より、聴いてみる。
河を渡ろうとする、挑戦感が溢れるアレンジとなっているのが、良いなと思う。
篠原美也子、2004年のセルフカバーアルバム“everything is passing”から“Passing”を聴いてみる。
切なさ倍増、というか、切なさしかない感じがするアレンジだな、と何度聴いても思う。1993年版のは、きっと、あの歌、とアレンジを変えたかったが故の理由だったのか、と勝手に妄想。
篠原美也子“Time is ripe”を、セルフカバーアルバム“everything is passing”(2004年) から聴いてみる。
全ては、過ぎ去っていく――けれど、その時は、常に来ているものだったら、良いなと思う。
2004年の篠原美也子のセルフカバーアルバム“Everything is passing”より、“Don't forget”を聴く。
朝のへヴィー時に、よく合う1曲で、良いなと思う。しかしこの曲は、ナイーブなままに感じ、自分で掴みとったその強い想い、を忘れるな、と言う、アーティスト哲学が込められたものである。
篠原美也子『情熱』を、2004年のセルフカバーアルバム“everything is passing”から聴いてみる。
静かな、熱を帯びた想いが込められた感じがある。青い炎みるような想い、それはクール――だろうか?
篠原美也子2004年のセルフカバーアルバム“everything is passing”から、『風のかたち』を聴いてみる。
オリジナル版にはない、素朴さがあり、それが個性となっている。とは言え、どうも、此の胸との距離は遠いままである。
篠原美也子“Keeping my step -Self Cover Mix-” を2004年セルフカバーアルバム“everything is passing”より聴いてみる。
オリジナル版より、メッセージ性が高く聴こえる訳は、何だろうか?
過ぎ去りし日にあった、''自由に、自分らしく、自分の哲学で、明日を活きよう,,そんなメッセージがあるようにおもえてならない。