お盆も過ぎ急に寒くなりだした9月上旬
キャンプもあと1が月が限度かと思いつつ北へと進路をとる事を思いつきました。
実は旭川-留萌ラインより北へ上った記憶がなく工程やキャンプ場もいろいろ考えてしまいました。順路 386.52㌔ 標準時間6:27
萌える天北オロロンルートを利用することとしました
休憩や撮影ポイントなったところをまとめてみました
順をおってUPしていきます
①道の駅「つるぬま」樺戸郡浦臼町 国道275号沿い マップCD360100833
男性用トイレ
国道275線沿いにあり札幌から62.83㌔北上して最初の道の駅となります
男子トイレ(つつじ苑)、女子トイレ(桜花苑)と命名されていて
初めての人は戸惑います
さて今回ここを訪問したの時間は09時21分-10分
なぜ判るかといいますとここの駐車場でFMを聞いていると
放送中にチャイム音2回がながれ「緊急地震速報」です・・・・
そうなんです
在札民放ラジオ4社(HBCラジオ、STVラジオ、AIR-G'、FM NORTH WAVE)は
2008年9月1日から「緊急地震速報」の放送運用開始していました
チャイム音を聞きたい方ここ
しばらく外の景色を見ていて揺れるか?・・・・
周りの車の中の人はそれらしき振る舞いなし?
札幌の知り合いにmailをすると「揺れた!・・・・・」とのこと
揺れは終わったことを確認して車を北上させました
車を運転しながら地震が気になりAM局に変更すると
09時21分 十勝沖 M7.0
であることがすぐわかり釧路地方などの被害情報を流していました
FM局はkey局からの放送の為か地震速報の詳細情報の対応が無理かと
認識してました(1時間後ぐらいしてFMに切り替えると詳細情報を流していましたが!?)
さて旅行の工程は275号線を北上して留萌市へと入ります
そこから232号線に変わり日本海側を北上ここが「萌える天北オロロンルート」
シーニックバイウェイ北海道についていはここ
海岸沿いを札幌から155.62㌔で
②道の駅「おびら鰊番屋」
ここで2度目の休憩に入りました留萌郡小平町 国道232号沿い マップCD959184155
「重要文化財旧花田家番屋」
かつて明治期のニシン景気によって明治38年(1905年)頃に建築されたが、
ヤン衆生活エリアはそれよりも数年早くに建築されたとされる。
明治29年ごろから、地元(鬼鹿の南部にある)大椴の山から木材を調達し、
三半船で運び製材した。
1971年12月28日に国の重要文化財に指定され、同時に小平町所有物となり、
1億9千万円をかけて解体修復した。
この地域は今回はじめての訪問とおもったのですが!!!
それは次回
画像 2008-09-11
秋に入り季節の頼りの一つとなり楽しみにしていたマガンの季節
春の圧巻の風景を見てる私にとり「宮島日記」のプログで情報収集
09/20初飛来の情報がUP
札幌地方は夕方から雨情報にもかかわらず月形方面に車を走らせてしまいました
月形に入りやっぱり雨
とりあえず宮島沼を訪問しばらくして雨が止むと
来ました! 編隊飛行!
久々の落雁
連写
<!-- 落雁 -->
-- clip Start▲ -- を押してください
訪問時のマガンカウントは6300羽だそうです(宮島日記より)
動画
<!-- マガン飛来! -->
-- clip Start▲ -- を押してください
生憎の雨上がりで画面が暗い状態でしたので画像処理をしています
まだまだ沼の隅に固まっています、ピ-ク時は一面真っ黒になります
昨年の秋の飛来数としては過去最高の48,500羽を数えたそうです。
例年9月20日前後に初雁が現れて、
10月20日を過ぎるとほとんどマガンは見られなくなるという傾向とのこと
皆さんも訪問されては私も春同様、朝駆け、夜がけとチャレンジしてみます
画像 2008-09-27 宮島沼
札幌建設の第6弾
前回地図には記号を付けましたがのこりG~Nまでと+αの写真をUP
明治6年は最後ですので長めに1873(明6) 北海道札幌之図を参考
町並みは
G:札幌病院 H:今井呉服店(丸井今井百貨店の前身)
I:西洋壱番邸地絵図 J:洋造弐邸(御雇教師館)
写真がありませんでしたので 別名を「外国教師五人住居」
L,K:大・小主典邸 M:勅奏邸
2つの写真は開拓使職員今でいう公務員の階級で官舎です N:薄野遊郭 繁華街すすきのの発端です
前回札幌建設 明治6年No2でUPしたF:札幌工業局器械所を補足
明治5~8年に完成した開拓使の器械場で
水蒸気木挽器械所、水車器械所(創成川を利用)、鍛工所などが建設された
水車器械所の二階に明治6年官営製粉所が建設
洋式水車+石臼製粉器で道産小麦を挽きました
輸入石臼製粉器(北大植物園内博物館) 工業局器械所鳥瞰図
1872年より開拓使十年計画が実施されることになりました。
開拓に長じた外国人の指導を受け,本格的に北海道開拓を行おうとするもので
生産・生活資材を供給したり,北海道の物産を輸出・移出品にしようとして,
F:工業局器械所以降、多くの官営工場が建設された。(のちにUPしていきます)
北海道神宮は
明治3年に明治政府により三神を祀る仮社殿(北6条東1)を建て
奉遷されたのがはじまりです。
当時は一ノ宮とか開拓社、勅祭社などと呼ばれていました。
明治2年ごろの札幌を建設中の図(旧札幌図 高見沢権之丞)に表示されています
過去のプログ「札幌建設 No2」を参照
開拓の守護神と明治天皇を祀って明治4(1871)年今の場所円山が鎮座地と
定まり札幌神社と称して仮本殿が造営
第2鳥居(神宮表参道入口)桂の巨木 仮本殿
本殿は北方への守りということもあり北を向いています(ほかはどこ向き?)
明治5年 札幌脇本陣屋上ヨリ東西南ヲ望ム (パノラマですクリックしてください)
明治6年ごろ