気ままな生活 一枚の写真

一枚の写真からプログが始まればと思っています。

道東に旅行 ④ 

2009-09-14 21:34:18 | アウトドア

道東に旅行も四回目となりました。
二日目釧路から標津への行程、ツル三昧から自然へ

そこは【コッタロ湿原】
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ヨシ・スゲ湿原が広がり、蛇行するコッタロ川や無数の小さい沼が
散在する様子をみることができます。

釧路湿原の中でも太古の自然をほうふつとさせる景観で
国立公園の特別保護地区に指定されている地域です。
コッタロ湿原は釧路湿原から道道 1060 号線を挟んで北側に位置する低層湿地帯だ。
釧路湿原を含めてこの周辺には数多くの展望台が存在するが、コッタロ湿原展望台は湿原に
最も近い位置にある展望台だ。
また、釧路湿原ほどの広さはないものの、湿原独特の蛇行するコッタロ川や三日月湖の名残など、
湿原の原始な姿を観察することができる。
その様子からコッタロ湿原は「湿原のサンプル」とも言われている。
 
第一展望台前              未舗装
未舗装で車を止めて後ろを撮影しても土煙は消えてません!
 
案内地図                  シラルトロ湖
2目の風景で見られるように釧路湿原(コッタロ湿原含む)には
岬が付く地名があります
今回知らずに迂回したように車を走らせましたがそれは、宮島岬とキラコタン岬です
これは湿原の生成にかかわってきます

釧路湿原は約6000年前に起こった気温の上昇に伴う海面上昇(海進)により、
現在の湿原域は海に覆われていました。

その後海進は停滞、徐々に海水は引いていき、
約3000年にはほぼ現在の釧路湿原に近い輪郭が現れました。 
この海進の停滞とともに、湿生植物が繁茂、その遺体が泥炭として堆積し、
さらに水深が浅くなり、湿原が形成されていったのです。
キラコタン岬
アイヌ語でキラコタンとは「津波で逃げた村」と言う。
太古の時代、釧路湿原は海だった。
その海にせり出した半島の先端がキラコタン岬だ。
その時代に津波があったのだろうか。
それとも津波で逃げてきた人たちが住んでいた村なのだろうか。
宮島岬
その地は1913年(大正2年)に和人の内務省(現在の財務省)の所管となり、
その年の10月には宮島徳三郎氏の生活の場となり国から払い下げられた。
釧路湿原に突き出た突端に小屋を建て、木を切り出し、馬を放牧して、
チルワツナイ川と雪裡川を川舟で行き来した。
釧路湿原の川面に浮かぶ舟から見たその突端は、4,000年前は海だった釧路湿原に
突き出す「宮島岬」と呼ばれるようになった。
海水は引いていき取り残されたのが塘路湖、シラルトロ湖、達古武湖
の3つの海跡湖です
色々と調べているうちにまたまた見逃している地域があることに気が付きました。
また訪れる機会がありましたらと思っています。
車は
391号- 摩周国道
 13号- 中標津標茶線
885号- 養老牛虹別線
505号-. 摩周湖中標津線   と乗り継ぐと

裏摩周
第一第三展望台には2度訪問しましたが今回は裏

クリックで拡大表示できます
左は摩周岳(カムイヌプリ)

カムイシュ島
 
14:43  151.5k
この地訪問途中には
 
牧草地が広がり思わず車を止めて撮影していると
牛さんが起き上がりポ-ズを付けてくれました
また目の前には小鳥が留まり囀りを聞かせてくれました
観光も終わり宿泊地へ車を走らせました
 
場所は標津町 【しべつ海の公園AC】
まだ完成はしていないキャンプ場で2010年全面完成とのこと
16:01 212.9k 前日の半分の距離
テントの設営もおわりいよいよ近場を観光することに
それは次回に
画像 2009-08-09 


二度目の道北 No1

2009-09-11 09:28:49 | アウトドア

最近天気の良い日が続かない状況です
いままたまたキャンプを計画しているのですが・・・
そうこうしているうちに9月、ブログも停滞気味
家に篭っていたわけではありません。
(道東旅行のブログも完了ではありませんが!
実は8月下旬道北に行ってきました~

全工程 1、120k 2泊3日でした 
今回の行程作成目的
①利尻富士が見たい!(昨年は雲に覆われてしまった!)
②日本海側の道は道の駅を含み制覇済み
③二泊以上同じ場所に宿泊(道東は3箇所i意外にシンドカッタ!)
と言うことで

1日目行程
滝川までの道の駅は制覇済みこれは時間的に強みです
伏古IC-深川ICを高速で利用出来ました
自宅出発 7:54
最初の休憩地は
 
【道の駅ライスランドふかがわ】 到着 9:22  距離 105.0
深川ICそばなのか車が並んでいます
次に車を留萌方面に向けると
   
道の駅                   百年記念塔
【道の駅 鐘のなるまち・ちっぷべつ】 到着 9:49  距離 118.1
秩父別町
明治28.29年屯田兵は入植し拓かれ、開拓時鐘を使って時刻を知らせた由来から
「鐘のなるまち」としたとのこと、開基100年に 百年記念塔が建てられ
最上部には国内最大級のスイングベルが設置されている
町の中の道の駅も開店間もないのか車は止まっていませんでした?
いよいよ北上することとなり次に訪れたのは
 
【道の駅 森と湖の里ほろかない】 到着 10:51 距離 171.6
国道275号にあるのですが周りには何も無く寂しいところでした
次は道の駅に付けられた湖

朱鞠内湖は、
雨竜川上流部をダムによって堰き止めたダム湖で、
周囲は40kmに及び冠水面積は2373ha、人造湖として日本一の広さです。
湖周辺は、針葉樹・広葉樹の広大な森などの豊かな自然が広がります。
この巨大な湖を支えている雨竜第一ダム、雨竜土堰堤は特別に巨大なものではなく、
豊かな自然に囲まれてほとんど目立たないため、
人造湖とは思えない自然景観をみせています。


 
朱鞠内湖
 
到着 11:23 距離197.5
これより宗谷支庁入り車を稚内へと向けます
画像 2009-08-25


えぞりすを追って

2009-09-06 20:26:01 | 写真(動物)

2ヶ月サボってました~
久々の円山
 
神宮境内では市民がラジオ体操をしていましたが
エゾリスは食事に中
 

一方円山の裾のほうでは
 
シマリス君が偵察中
画像 2009-09-06 円山公園


道東に旅行 ③ 生ツル三昧 

2009-09-01 23:12:59 | 写真(動物)
過去に2度道東に旅行しましたが、まだ見ていないものが何個かあり、
今回はその一つを見ることが出来ました。
初日目的地に到着テント設営が出来残り時間を買い物と観光にしました。
それは【道の駅 阿寒丹頂の里】の横にある阿寒国際ツルセンタ-
 
人工給餌発祥の地と呼ばれています
昔は日本のいたるところで見られたタンチョウですが、
乱獲や開発により本州はおろか北海道でも姿を消してしまいました。
しかし1924年に釧路湿原にわずかなタンチョウが生き残っている事が判ると、
翌年にこの地域は禁猟区となり国の保護政策が始まりました。
1950 昭和25年 ・阿寒町で人工給餌に成功しました
ここには3羽のツルが居ました~
 
オグロヅル ラサ(♂)         
 
タンチョウ  
2羽ともタンチョウの格好をしたヒトに育ててもらったそうです
さて山花公園キャンプ場で一泊2日目に入りました

前日の阿寒国際ツルセンタ-の説明員から
日本では北海道東部(釧路、根室、十勝)などに多く住んでいて
日本のタンチョウは1年中、北海道で生活しているそうです。
(丹頂は冬 渡り鳥と思っていました)
またもう一つツルが居るところを聞き行ってみました
それは
釧路市丹頂鶴自然公園
 
園内のタンチョウがいるところは11ヶ所に区切られています。
天井がなくこの中に営巣しているタンチョウのつがいは
公園を自由に出入することができます。
 
天井がないくても自分の縄張りと認識して外に出ても戻ってくるとのこと
 
ここの公園は2羽の子供が居るそうです

ツルの一年が看板で説明していました
さて
ツルの観光もおわり2日目の移動となりました、当初予定を変えて
鶴居村経由としました、野生のツルが見れるかもしてないとのこと
 
車で目的地へ移動していると緑の一色に1羽のツル (発見①)
 
鶴居村に入り牧草地には2羽のツガイ?(発見②)
このように生ツル三昧で時間は12:50 50kの移動していました
2日目の残りは次回に
画像 2009-08-08・09