気ままな生活 一枚の写真

一枚の写真からプログが始まればと思っています。

温泉

2008-05-20 12:25:01 | 写真(風景)
十勝岳撮影ドライブも望岳台をあとにして帰るだけとなりました。
道々吹上上富良野線(十勝岳温泉郷-白金温泉:横断道路)が冬季間閉鎖でしたので
美瑛の白金温泉に立ち寄りました。
 
横を美瑛川が流れています

美瑛川に掛かる白金橋を渡ると白ひげの滝があり、地下水から湧き上がる水が
勢いよく白金小函の渓流に流れ落ちています。
 

何の花か判りませんが目立って咲いていたので一枚撮影
ここからの十勝岳は

大正火口と62-2火口の煙がが良く見えます
十勝岳を調べてみて判ったのですが
1963年地質図(十勝岳)より
この周辺の温泉が書かれていますが、まず丸岡温泉(望岳台付近)と畠山温泉
(白金温泉付近)が以前ありました。
これは大正15年の十勝岳噴火で流され従業員が犠牲になったそうです。
上記地図にある温泉は今は
会田温泉:凌雲閣(りょううんかく)  吹上温泉:吹上露天の湯・白銀荘
翁温泉:ヒュッテ バーデンかみふらの
その後新しく
十勝岳温泉カミホロ荘      凌雲閣別館(旧十勝青年隊員の家「上富山荘」) 
が出来ています
ただし 熊ノ沢温泉がどのような温泉なのか判りませんでした!?
わかる方がいましたらコメントください!
十勝岳温泉付近マップ

白金温泉付近マップ


大正噴火では美瑛川と富良野川沿いを泥流が走りました

上富良野側には慰霊碑があります(岩は十勝岳から流されたの物です)

白樺街道(大正15年噴火後美瑛川沿いに自生した白樺)
2008-05-01 上富良野・美瑛町

十勝岳噴火

2008-05-18 19:51:02 | 写真(風景)

十勝岳の有史以降記録をUPするにあたり訂正させていただきます。
過去のブログの写真内でグランド火口と説明させていただきましたが
実際は
大正火口の間違いでした
下記写真左に見える茶系のすり鉢状が大正火口グラント火口はその奥になります


噴火記録で安政火口(旧噴火口)と呼ばれるものは上記写真右側の奥の谷間になります
主な噴火
1926年 大正15年 ◯5月24日           大噴火 大 正火口       /  2か村(上富良野・美瑛)埋没。
                                死者・行方不明144名,負傷者約200名
                                                                            建物372棟,家畜68頭,山林耕地被害。
1962年 昭和37年 ◯6月29日           大噴火 中央火口丘南側  中央火口丘南側湯沼付近から噴火。
                                                                            噴石により大正火口縁の硫黄鉱山事務所を破壊。
                                                                            死者 4名,行方不明1名,負傷者11名
1988年 昭和63年 ◯12月16日          小噴火    62-2火口         上富良野町・美瑛町-泥流
                                      危険域の一部に避難命令

                                                                        (まとめると1988年12月~1989年3月に計21回噴火。)

大正15年の噴火で泥流が発生してか25~26分で火口から25km麓の村を襲いました
この火口が大正火口と呼ばれています
昭和37年6月29日に、大正15年以来の静穏を破って36年ぶりに噴火
<十勝岳噴火>

朝日ニュ-ス YouYubeよりパクリました
十勝岳(1988年12月16日)26年ぶりに噴火。
1988年12月16日から1989年3月5日
にかけ62-2火口から21回の噴火を繰り返した
上記内容から判るように同じ火口から噴火をしていない特徴があります
パクリました
いま活動しているのは気象庁のHPを見ますと
 
1998年 平成10年 ◯6月23日~24日  62‐2火口。62‐3火口。    
                   現地観測により,62‐2火口北西側内壁に新噴気孔形成。
                    62‐3火口で噴気活動再開。
                       62‐0火口,62‐1火口
                      振子沢噴気孔群    
                    62‐0火口,62‐1火口,振子沢噴気孔群で地温上昇,
                    地熱域・変色域が拡大。     
今回振子沢とゆう単語を知りました
十勝岳は気象庁の監視対象である活火山ですので毎月報告がUPされています

実際は活火山ですから一般に知れられていない活動がありました。

今回ほとんど十勝岳の火口の知識を持たずに撮影しましたので唯一噴煙を見つけ
連続撮影してみました
<動画>
<!-- 十勝岳62-2火口 -->

-- clip Start▲ -- を押してください
十勝岳 火山活動の記録
火山活動解説資料    
噴火の歴史をまとめてUPしようと調べたのですがブログの文字数に制限
興味があるかたは
今回かなりの時間十勝岳のことを調べてみましたが、科学的調査報告や
防災計画、十勝岳の登山報告と面白いHPを見つけることが出来ました。
また十勝岳に行くときはまた違う意味での写真が撮れたら言いと思っています。
画像 2008-05-01 十勝岳


十勝岳 

2008-05-16 04:26:38 | 写真(風景)


十勝岳連峰の写真を撮りに十勝岳に向かい望岳台へ到着しました。
ここは車でこれる最終地点、登山をする人はここから徒歩となります。
目の前には十勝岳(標高2077メ-トル)小さいころから慣れ親しんだ山で
唯一標高を覚えている山です。
前回UPしたように噴煙が目印今回も何処が火口かとしばらく探したものです。

私が生まれてから3度噴火をしていて小さいころは学校での避難訓練も経験しています。
この十勝岳の元にした小学校の自由研究も思い出します。
さて今回いろいろなことを調べるに至りました。

目の前の火口をUPしてみました、大正火口と呼ばれています。
ここでいままで調べた十勝岳連峰の生い立ちをまとめてみました
十勝岳火山の形成史
おおきく、古期・中期・新期の火山群に区分さる、  
古期・中期は  
新生代第三紀末:
   大雪十勝火山群の基盤をつくる火山活動(オホーツクプレートがユーラシアプレートに衝突) 
~約100万年前:
    火山噴出物層でできて約1,200mの標高で広大な基盤岩を形づくった。 
約50万年前:
    前富良野岳・富良野岳など火山が現れ、次いで美瑛岳・オプタテシケ山・上ホロカメットク山などが形成 
    十勝岳の主体をなす溶岩円頂丘が生じた。 
約1万年前:
    美瑛富士と鋸岳の形成 
上記の山々は過去ブログにUPしています
十勝岳連峰              2008-03-21 上富良野   2008-04-06 02:11:48
新期ごろの内容は地質調査が出来るようになりました(以前のものは噴火物の下に埋没している)  
B.C.240年頃:    グランド火口噴火 スコリア流が白金温泉まで流下
   |        擂鉢・北向・焼山火口の活動  
1670年頃  :    中央火口丘噴火 溶岩流が望岳台付近まで流下

私は3度の噴火は記憶にあるのですが地質調査だけで複数の火口がありました
今は有史記録を物色中ですそれは次回に
なお望岳台の位置は


画像 2000-05-01 


十勝岳連峰 5月

2008-05-13 09:24:21 | 写真(風景)
桜も開花した5月連休帰省
十勝岳連峰はまだまだ雪が残ります。

十勝岳は相変わらず天候がパットしないので、今回は近くまで移動してみました。14:01
十勝岳 前十勝岳 グランド火口  焦点距離 300.0 mm

富良野岳   焦点距離 280.0 mm

三峰山  焦点距離 280.0 mm
さらに移動してみました14:25
前回より左へ移動 十勝岳 グランド火口 焦点距離 300.0 mm

美瑛岳   焦点距離 145.0 mm

美瑛富士  焦点距離 170.0 mm

辺別岳 石垣岳  焦点距離 170.0 mm

オプタテシケ山  焦点距離 170.0 mm
さらに移動して望岳台へ行ってみました
15:04
目の前には十勝岳とグランド火口  焦点距離 75.0 mm
前回の写真は
十勝岳連峰              2008-03-21 上富良野   2008-04-06 02:11:48
まだありました! 十勝岳連峰  2008-03-21 上富良野     2008-04-25 07:49:10
で比較ご覧ください
いまだに雪が残っております
ここでふと思ったのは火山の煙は????火口はどこ?
ここでいろいろ十勝岳にまつわる内容を調べるに至りました。
それは 次回へ
画像 2008-05-01 十勝岳

日高を後にする前に

2008-05-11 22:39:25 | 写真
新ひだか町二十間道路の桜見物も終わり地図を見ながら目的とを探していました。

道沿いは牧場だらけ さまざまな子馬も珍しそうにカメラ目線

シャクシャイン像
1604年   松前藩が成立する
1600年頃 松前藩が静内場所を開設
1648年   シャクシャインがアイヌ間の抗争を起こす
1669年   シャクシャインの乱  
1800年   伊能忠敬が東蝦夷地を測量、途中静内を通過 
         ・
         ・
         ・
上記の様に江戸時代後期から和人が住んでいたようです、私の田舎は
明治30年頃の開拓ですから、開拓使以前から歴史のある地方でしたのでびっくりしました。

シベチャリチャシ跡でチャシ(砦)跡
「シャクシャインの戦い」の拠点として知られている。

静内川 これの漁狩猟権をめぐるアイヌの部族間争いに発展しています。
この川沿いにチャシ(砦)跡が何箇所か存在しているとのこと

チャシ(砦)跡の展望台からは生え変わり中の海鳥が見えました

ここからさらに2時間で襟裳岬に到着します、一度は行ってみたいところです
また日高地方にお邪魔出来ることを願い札幌に戻りました。
画像 2008-05-06 新ひだか