さて先程の続きです。
ないじゃん!なんて言いながら目線の先に現れたもの、それはただの柱跡でした。確かに遺跡なんか書いてあると大きな建物を想像してしまい上ばかり見てしまいますが、それならもっと有名になっているはずですものね。だったらこちらの方が正しいのかもしれませんが、それにしてもサイズがミニマムな事で。
でもこの辺りが栄えたのは飛鳥時代。日本はまだようやく形が出来はじめた頃。まあ歴史でいえば、あまり興味もそそらない時代。ということは私からみたら小さな跡だったとしても、昔の技術がない時代だとしたらこれでも大きなものなのかもしれませんが…。
まあ話がかなりズレてしまいましたが、ズレなければたぶん「へぇ~」の一言で終わってしまいそうな勢いでしたので。
でも、正直これだけ見て何を思えば良いのでしょうか?まだまだ私の知識ではわかりませんね(^_^;)
ないじゃん!なんて言いながら目線の先に現れたもの、それはただの柱跡でした。確かに遺跡なんか書いてあると大きな建物を想像してしまい上ばかり見てしまいますが、それならもっと有名になっているはずですものね。だったらこちらの方が正しいのかもしれませんが、それにしてもサイズがミニマムな事で。
でもこの辺りが栄えたのは飛鳥時代。日本はまだようやく形が出来はじめた頃。まあ歴史でいえば、あまり興味もそそらない時代。ということは私からみたら小さな跡だったとしても、昔の技術がない時代だとしたらこれでも大きなものなのかもしれませんが…。
まあ話がかなりズレてしまいましたが、ズレなければたぶん「へぇ~」の一言で終わってしまいそうな勢いでしたので。
でも、正直これだけ見て何を思えば良いのでしょうか?まだまだ私の知識ではわかりませんね(^_^;)