最新の日経ビジネスに、躍進著しい日本マクドナルドの原田社長についての記事がありました。
外資系企業で、数々の成功を収めてきた原田氏。
店長の残業不払い問題を乗り越えての、好業績のストーリーを追います。
甘えを断つ一志貫徹3
日本マクドナルドホールディングス 原田泳幸CEO(最高経営責任者)
1948年長崎県生まれ。東海大学工学部を卒業後、アップルコンピュータ日本法人などを経て2004年日本マクドナルドホールディングスに転じる。現在、社長・会長・CEOを兼ねる。
【リーダーの研究】
決して乗り心地の良いバスではなかった。
耐えかねて、自ら降りることを選ぶ“乗客”も少なくなかった。5年後、苦楽をともにしながらバスに残った社員たちは、神戸のイベント会場でその成果を喜び合った。
◆経営の迷走が現場を荒らす
そもそもなぜ今、原田マクドナルドは業績好調なのか。
一般に「低価格」がその理由と言われる。確かに100円メニューなどが充実したマクドナルドは、ユニクロやニトリなどと並ぶいわゆる「デフレ銘柄」の1つだ。
ところが、現実は異なる。
売上高とは、「客数」×「客単価」から成る。この両者を同時に上げるのが理想だが、現実には難しい。デフレ期の勝ち組は、一般に「客単価」の落ちを「客数」でカバーする。
対してマクドナルドはどうか。
リーマン・ショックが起こり、消費不況が本格化した2008年後半、むしろ客単価を上げているのだ。つまりマクドナルドは、不況下に「値下げ」で集客しているわけではない。「値上げ」にすら成功している。
その象徴が、2008年11月に発売された「クォーターパウンダー」だ。
通常のおよそ2.5倍のビーフパティ(牛肉)を挟み込んだアメリカンサイズのハンバーガーは、1個350~360円と高額に売価を設定しながら飛ぶように売れ、同社の好業績を牽引した。
実は同社は、原田就任の直後に似たようなコンセプトの、ボリュームのあるハンバーガーの新商品を発売している。「マックグラン」と呼ばれたこの商品は、しかしほとんど売れずに店頭から姿を消している。
原田はマックグランの商品化には反対していた。理由はこうだ。
「誰もがマクドナルドをバカにしている時に、新商品なんか出しても売れるわけがない」。
マクドナルドのブランドカは、外食産業の素人だった原田にここまで言わせるまでに落ちていた。原田の就任前にマクドナルドが何の手も打たなかったわけではない。
ただ、原田の目から見れば、そこに「戦略」はなかった。
戦略不在のまま、ハンバーガーの価格を65円、80円、59円ところころ変えたり、業績の落ち込みを猛烈な出店でカバーしたりと場当たりの「戦術」を駆使した結果、同社の基礎体力は徐々に蝕まれた。
現場の「QSC(品質・サービス・清潔さ)」は、外食産業の基本と言われる。
経営の迷走は、現場のQSCを直撃した。業績悪化を糊塗するように出店攻勢を優先させた結果、既存店舗に対する投資は後回しになり、現場が荒れたのだ。汚い店舗に不親切な店員がいれば、どんな魅力的な商品を発売しても顧客は来店してくれない。
それから5年。マックグランは売れなかったが、クォ一夕ーパウンダーは売れた。2つの商品の命運を分けたのは、新商品を売るためのブランドカの差だ。原田の5年間は、この差を生み出すために費やされてきたと言っても過言ではない。
就任したその日、原田は幹部社員に向かってこう告げた。
「1年間はQSCの向上だけに取り組んでほしい。それ以外のことは何もやらなくていい」。
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外資系企業で、数々の成功を収めてきた原田氏。
店長の残業不払い問題を乗り越えての、好業績のストーリーを追います。
甘えを断つ一志貫徹3
日本マクドナルドホールディングス 原田泳幸CEO(最高経営責任者)
1948年長崎県生まれ。東海大学工学部を卒業後、アップルコンピュータ日本法人などを経て2004年日本マクドナルドホールディングスに転じる。現在、社長・会長・CEOを兼ねる。
【リーダーの研究】
決して乗り心地の良いバスではなかった。
耐えかねて、自ら降りることを選ぶ“乗客”も少なくなかった。5年後、苦楽をともにしながらバスに残った社員たちは、神戸のイベント会場でその成果を喜び合った。
◆経営の迷走が現場を荒らす
そもそもなぜ今、原田マクドナルドは業績好調なのか。
一般に「低価格」がその理由と言われる。確かに100円メニューなどが充実したマクドナルドは、ユニクロやニトリなどと並ぶいわゆる「デフレ銘柄」の1つだ。
ところが、現実は異なる。
売上高とは、「客数」×「客単価」から成る。この両者を同時に上げるのが理想だが、現実には難しい。デフレ期の勝ち組は、一般に「客単価」の落ちを「客数」でカバーする。
対してマクドナルドはどうか。
リーマン・ショックが起こり、消費不況が本格化した2008年後半、むしろ客単価を上げているのだ。つまりマクドナルドは、不況下に「値下げ」で集客しているわけではない。「値上げ」にすら成功している。
その象徴が、2008年11月に発売された「クォーターパウンダー」だ。
通常のおよそ2.5倍のビーフパティ(牛肉)を挟み込んだアメリカンサイズのハンバーガーは、1個350~360円と高額に売価を設定しながら飛ぶように売れ、同社の好業績を牽引した。
実は同社は、原田就任の直後に似たようなコンセプトの、ボリュームのあるハンバーガーの新商品を発売している。「マックグラン」と呼ばれたこの商品は、しかしほとんど売れずに店頭から姿を消している。
原田はマックグランの商品化には反対していた。理由はこうだ。
「誰もがマクドナルドをバカにしている時に、新商品なんか出しても売れるわけがない」。
マクドナルドのブランドカは、外食産業の素人だった原田にここまで言わせるまでに落ちていた。原田の就任前にマクドナルドが何の手も打たなかったわけではない。
ただ、原田の目から見れば、そこに「戦略」はなかった。
戦略不在のまま、ハンバーガーの価格を65円、80円、59円ところころ変えたり、業績の落ち込みを猛烈な出店でカバーしたりと場当たりの「戦術」を駆使した結果、同社の基礎体力は徐々に蝕まれた。
現場の「QSC(品質・サービス・清潔さ)」は、外食産業の基本と言われる。
経営の迷走は、現場のQSCを直撃した。業績悪化を糊塗するように出店攻勢を優先させた結果、既存店舗に対する投資は後回しになり、現場が荒れたのだ。汚い店舗に不親切な店員がいれば、どんな魅力的な商品を発売しても顧客は来店してくれない。
それから5年。マックグランは売れなかったが、クォ一夕ーパウンダーは売れた。2つの商品の命運を分けたのは、新商品を売るためのブランドカの差だ。原田の5年間は、この差を生み出すために費やされてきたと言っても過言ではない。
就任したその日、原田は幹部社員に向かってこう告げた。
「1年間はQSCの向上だけに取り組んでほしい。それ以外のことは何もやらなくていい」。
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