会計業界戦線 異常アリ

インターネットの登場によって、顧客の流動化が進む会計業界。このブログでは、会計業界の変化を綴っていければと思います。

日本マクドナルド好業績の向こう側2/「私の運転するバスに乗るか、乗らないか」

2009-05-23 21:55:44 | 活躍するビジネスマン
最新の日経ビジネスに、躍進著しい日本マクドナルドの原田社長についての記事がありました。

外資系企業で、数々の成功を収めてきた原田氏。

店長の残業不払い問題を乗り越えての、好業績のストーリーを追います。


甘えを断つ一志貫徹2

日本マクドナルドホールディングス 原田泳幸CEO(最高経営責任者)

1948年長崎県生まれ。東海大学工学部を卒業後、アップルコンピュータ日本法人などを経て2004年日本マクドナルドホールディングスに転じる。現在、社長・会長・CEOを兼ねる。


◆「バスに乗るか、乗らざるか」

5年前の2004年5月、原田は、同じイラストの前に立っていた。

同年2月、アップルコンピュータ日本法人の社長から日本マクドナルドのCEOに転じた。IT(情報技術)業界から外食業界への意外な転身に、新聞や雑誌には「マックからマックヘ」の見出しが躍った。その直後、原田は全社員を集めてこう突きつけたのだ。

「私の運転するこのバスに乗るか、乗らないか」

当時、同社の業績は危機的な状況にあった。2003年9月まで24ヶ月連続で既存店売上高が前年同月比マイナスに沈み、決算は2期連続の最終赤字を喫した。来客数の落ち込みに歯止めがかからない。

「ハンバーガーは飽きられてしまった」

「何をやってもダメだ」

社員たちの心を蝕むのは、もはや諦念とも呼ぶべき感情だったろう。

外食産業の「素人」だった原田がぶち上げた数字は、そんな現状とはあまりに乖離していた。

「全店売上高6000億円。これは必ず達成する」

既存の売上高をどう維持するかで必死だった時代に、「バス」の向かう先として日本の外食産業にとって未踏の地平を示す。原田はそのうえで、並み居る社員たちに自らの意思による「選択」を求めたのだ。

「乗ると白分で決めたからには、バスの運行のために全力を尽くせ」。

そして「それができないならば、乗らなくていい」。

乗る者には覚悟を求め、その覚悟を持てぬ者には「去れ」。そんな決意の表明だった。そこには情実やおもねりはない。これが心通わぬ冷徹な合理主義なのか、あるいは強力なリーダーシップなのか。当てる光によって、いかようにも変わって見えてくる。

その結論はひとまず置くとして、1つ確実に言えることは、「結果」だ。

原田が就任して5年間で全店売上高を1316億円、経常利益を163億円伸ばした。しかも、出店による増収増益ではない。むしろ5年間で店舗数は3773店(2003年末)から3754店(2008年末)に微減している。つまり、1店舗あたりのの売上高を着実に伸ばしている。


◆あなたにぴったりの税理士を無料で御紹介致します


最新の画像もっと見る