最新の日経ビジネスに、躍進著しい日本マクドナルドの原田社長についての記事がありました。
外資系企業で、数々の成功を収めてきた原田氏。
店長の残業不払い問題を乗り越えての、好業績のストーリーを追います。
甘えを断つ一志貫徹4
日本マクドナルドホールディングス 原田泳幸CEO(最高経営責任者)
1948年長崎県生まれ。東海大学工学部を卒業後、アップルコンピュータ日本法人などを経て2004年日本マクドナルドホールディングスに転じる。現在、社長・会長・CEOを兼ねる。
◆「カリスマ」という名の甘え
原田は取材に応じる中で、こんな言葉を漏らした。
「私を好きで、私に認められたいという思いで仕事をしている社員は1人もいませんよ、多分」
日本マクドナルドという会社の生い立ちを思い合わせる時、その響きはやや複雑な色彩を帯びる。
日本マクドナルドが産声を上げたのは1971年。銀座三越に1号店を開店した。米国に本拠を置く外資企業でありながら、大家族主義を貫き、むしろ、なまじの日本企業よりも日本型経営の傾向が強い「青い目をした日本企業」だったことはよく知られている。その経営は、米マクドナルド本部からほぼ独立していた。
創業者であり初代社長・藤田田(ふじた でん)の個性によるところが大きい。
「藤田さんにかわいがってもらったことがどうしても忘れられない。あれが自分の原点だった」。
ある同社出身者は、目を潤ませながら藤田との思い出話を聞かせてくれた。接する人の心を鷲づかみにするようなその魅力には「カリスマ」という言葉が似合う。
「あの人に認められたい」。
それが藤田時代の同社の原動力だった。一方で原田の「私に認められたいという思いで仕事をしている社員はいない」という言葉は、まるで正反対だ。
一見すれぱ、人問味のある藤田の経営に対して、原田のそれは冷徹な印象を受けるかもしれない。
しかし、こうも考えられる。カリスマを形作るものとは何か。カリスマとして偶像化される個性でもあるが、それだけではない。「藤田さんが決めてくれる」「藤田さんに任せていれば間違いない」。
藤田というカリスマを産み落としたのは、組織の一人ひとりの、そんな依存心や思考停止の連鎖ではなかったか。
原田はその甘えに切り込んでいく。2004年、西新宿の本社は大混乱を来した。原田が経営の手綱を握って早々に、組織改変の大ナタを振るったためだ。
全国を5つの地区に分けていた「地区本部」を解体し、組織をフラット化させた。全員の役職を解き、新たな仕事を与えた。誰1人として、それまでと同じ仕事を与えられた者はなかった。
「日本のことは、日本で決める」。その独立性にもメスを入れる。
各人に対して、米国本部のスタッフがカウンターパート(交渉担当者)としてあてがわれた。例えば人事担当者は、米本社の人事担当者とコミュニケーションを取り、同社のグローバルな戦略を踏まえながら仕事をすることが求められるようになったのだ。英語が苦手な社員は頭を抱えた。給与制度には成果主義が取り入れられた。
「組織を変える」と宣言してから、実際の人事異動までに要した時間はわずか3日間。つまり、日本マクドナルドという会社は、3夜にして日本企業から無理やり「グローバル企業」へと変貌させられたのだ。
会議の席上でこんなやり取りがよくあった。
原田が尋ねる。「米国のこの仕組みを導入してはどうか」。社員が答えて「難しいと思います」。
「なぜ米国にできて日本でできない」。「日本の市場は米国と違って、嗜好が多様化していて…」。
答えをさえぎるように原田は断じる。
「日本だから、という言い訳をするな。日本マクドナルドは、米国籍のグローバル企業なんだ。やれる方法を考えろ」。
以後も原田は、米国本社と緊密な連携を収りながら改革を進めていく。原田が進めた「24時間営業の積極推進」「100円メニュー(米国では「ワンダラー・メニュー」)の拡充」などの施策は、マクドナルドグループが世界的に展開しているものだ。
2009年からは、年間100人の社員やFC社員を海外のマクドナルドに「留学」させる教育研修制度を開始した。
嗜好の多様性、過剰なまでの品質要求…。マクドナルドに限らず日本の流通・外食産業は、日本市場のこうした特殊性をあげつらい、自らの高コスト構造や収益牲の低さへの言い訳としてきた。
原田にはこう見えていた。
「日本は特殊だから」という正当化と、「藤田さんが決めてくれる」という甘えは、自らの努力不足に向き合わない弱さの表れに過ぎない、と。原田は「グローバリゼーション(国際化)」の嵐を社内に吹き荒らすことで、この弱さを払拭しようと試みたのだ。
およそ10年前にも似たような光景があった。
アップル日本法人の社長に就任した原田は記者会見の席上でこう言った。
「アップルの苦境は(マイクロソフトの)ウインドウズが原因ではない。不振の原因はすべて社内にある」。
できない理由を求めて仮想外敵を作り上げるような社内風土では、ブランド価値の向上は実現できない。これが原田の変わらぬ信念だ。
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外資系企業で、数々の成功を収めてきた原田氏。
店長の残業不払い問題を乗り越えての、好業績のストーリーを追います。
甘えを断つ一志貫徹4
日本マクドナルドホールディングス 原田泳幸CEO(最高経営責任者)
1948年長崎県生まれ。東海大学工学部を卒業後、アップルコンピュータ日本法人などを経て2004年日本マクドナルドホールディングスに転じる。現在、社長・会長・CEOを兼ねる。
◆「カリスマ」という名の甘え
原田は取材に応じる中で、こんな言葉を漏らした。
「私を好きで、私に認められたいという思いで仕事をしている社員は1人もいませんよ、多分」
日本マクドナルドという会社の生い立ちを思い合わせる時、その響きはやや複雑な色彩を帯びる。
日本マクドナルドが産声を上げたのは1971年。銀座三越に1号店を開店した。米国に本拠を置く外資企業でありながら、大家族主義を貫き、むしろ、なまじの日本企業よりも日本型経営の傾向が強い「青い目をした日本企業」だったことはよく知られている。その経営は、米マクドナルド本部からほぼ独立していた。
創業者であり初代社長・藤田田(ふじた でん)の個性によるところが大きい。
「藤田さんにかわいがってもらったことがどうしても忘れられない。あれが自分の原点だった」。
ある同社出身者は、目を潤ませながら藤田との思い出話を聞かせてくれた。接する人の心を鷲づかみにするようなその魅力には「カリスマ」という言葉が似合う。
「あの人に認められたい」。
それが藤田時代の同社の原動力だった。一方で原田の「私に認められたいという思いで仕事をしている社員はいない」という言葉は、まるで正反対だ。
一見すれぱ、人問味のある藤田の経営に対して、原田のそれは冷徹な印象を受けるかもしれない。
しかし、こうも考えられる。カリスマを形作るものとは何か。カリスマとして偶像化される個性でもあるが、それだけではない。「藤田さんが決めてくれる」「藤田さんに任せていれば間違いない」。
藤田というカリスマを産み落としたのは、組織の一人ひとりの、そんな依存心や思考停止の連鎖ではなかったか。
原田はその甘えに切り込んでいく。2004年、西新宿の本社は大混乱を来した。原田が経営の手綱を握って早々に、組織改変の大ナタを振るったためだ。
全国を5つの地区に分けていた「地区本部」を解体し、組織をフラット化させた。全員の役職を解き、新たな仕事を与えた。誰1人として、それまでと同じ仕事を与えられた者はなかった。
「日本のことは、日本で決める」。その独立性にもメスを入れる。
各人に対して、米国本部のスタッフがカウンターパート(交渉担当者)としてあてがわれた。例えば人事担当者は、米本社の人事担当者とコミュニケーションを取り、同社のグローバルな戦略を踏まえながら仕事をすることが求められるようになったのだ。英語が苦手な社員は頭を抱えた。給与制度には成果主義が取り入れられた。
「組織を変える」と宣言してから、実際の人事異動までに要した時間はわずか3日間。つまり、日本マクドナルドという会社は、3夜にして日本企業から無理やり「グローバル企業」へと変貌させられたのだ。
会議の席上でこんなやり取りがよくあった。
原田が尋ねる。「米国のこの仕組みを導入してはどうか」。社員が答えて「難しいと思います」。
「なぜ米国にできて日本でできない」。「日本の市場は米国と違って、嗜好が多様化していて…」。
答えをさえぎるように原田は断じる。
「日本だから、という言い訳をするな。日本マクドナルドは、米国籍のグローバル企業なんだ。やれる方法を考えろ」。
以後も原田は、米国本社と緊密な連携を収りながら改革を進めていく。原田が進めた「24時間営業の積極推進」「100円メニュー(米国では「ワンダラー・メニュー」)の拡充」などの施策は、マクドナルドグループが世界的に展開しているものだ。
2009年からは、年間100人の社員やFC社員を海外のマクドナルドに「留学」させる教育研修制度を開始した。
嗜好の多様性、過剰なまでの品質要求…。マクドナルドに限らず日本の流通・外食産業は、日本市場のこうした特殊性をあげつらい、自らの高コスト構造や収益牲の低さへの言い訳としてきた。
原田にはこう見えていた。
「日本は特殊だから」という正当化と、「藤田さんが決めてくれる」という甘えは、自らの努力不足に向き合わない弱さの表れに過ぎない、と。原田は「グローバリゼーション(国際化)」の嵐を社内に吹き荒らすことで、この弱さを払拭しようと試みたのだ。
およそ10年前にも似たような光景があった。
アップル日本法人の社長に就任した原田は記者会見の席上でこう言った。
「アップルの苦境は(マイクロソフトの)ウインドウズが原因ではない。不振の原因はすべて社内にある」。
できない理由を求めて仮想外敵を作り上げるような社内風土では、ブランド価値の向上は実現できない。これが原田の変わらぬ信念だ。
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