さる5月の16日。
いつものJ君たちと長野へ行った。
目的は、善光寺前立本尊の御開帳。
数え年で7年に一度というが、「数え」の一年目は御開帳の年から数えるので、6年ごとと言ったほうがわかり易い。
金曜日の夜半を過ぎたころにこちらを出て、お天道様が上るまえには境内裏の駐車場に着いた。
時刻は4時過ぎ。あたりはまだ暗いが、それでも駐車場はもう半分以上が埋まっている。
車から降りた人たちが、迷うことなく、境内方面へと流れていく。
まるで毎度なじみの初詣にでもお参りに来たかのような、そんな人ごみの中を、僕らも一緒に歩く。
この日、天気予報は雨だったが、降ってくる気配もなく、傘も持たずにすみそうな雲行き。
このまま、降らずにすめば儲けもの。雨が降らないことを我が手柄のような言い合いをしながら、本堂の前まできた。
本堂前まできた頃になって、ようやく曇天の空が白んできた。
大香炉の手前には、回向柱がそびえたっていた。
一尺五寸角(45cm角)・高さ三十三尺(約10m)。
「善の綱」が結ばれていて、前立本尊の阿弥陀如来の御手とつながっている。
柱に触れれば本尊に触れることと同じ。それで阿弥陀如来との結縁が叶うという。
僕らも柱に触れたあと、もうじきいらっしゃるご住職から御数珠を頂戴させていただこうと思っていた。
そう思いながら振り返ると、お朝事を聴聞しようとする人々の列が、すでに本堂の右手のほうへ、本堂から垂れた尻尾のようにつながっている。
はて、参道に並んでお数珠頂戴のなでなでをありがたく頂いた後にこの列に並ぼうとした場合、はたして本堂内に入りきれるのかと心配になってきた。
近くにいた警備のおにいさんにそのことを問うと、「ご住職の帰りにもいただけますから」と、返してきた。
そうだ、そうすればいい!
せっかく夜明け前に着いていながら、これだけ人がいたせいで本堂内陣に入れずに、願っていた畳の上でのお朝事が聴けないんじゃがっかりしてしまう。
ってことで、そそくさと尻尾の先に並ぶことにした。
おかげでどうにか内陣に入れたのだが、座った時点で畳の上はすでに8割近く埋まっていた。
お朝事は、天台宗と浄土宗の山内寺院が毎日交代で行っている。
5時半からはじまったお朝事は、宗派が違うからか、御経が違うからか、かつて聴いたものよりは静かな印象だった。
さて、およそ小一時間の御経のあとにいよいよ御開帳である。
ご住職がうやうやしく厨子の扉を開けると、待ちかねた参拝者の”おぉ~”というどよめきが響く。
厨子の中には、金色に輝く阿弥陀如来が勢至菩薩と観音菩薩を従えて姿を現された。
「一光三尊阿弥陀如来」と呼ばれる、善光寺独特の様式だ。
鎌倉時代に作られた。真ん中の阿弥陀様が42cmの高さ。
かつて、本田善光が難波ケ池から持ち帰ったとされる秘仏のご本尊も、これと同じ姿かたちをしているのだろう。
ふと、これまで十数回もの火災にあった際も、ご本尊はご無事だったのだろうか?と疑問がわいた。
戦国時代に、武田信玄や織田信長や豊臣秀吉やらに連れ回されたのは本物のご本尊だったのか?、
だとすれば、その時には秘仏も人前に晒されてしまったのか?、とか考えてしまった。
そして、二宮の専修寺にある、親鸞聖人が持ってこられたという一光三尊仏はなんだったのだろう?と疑問がわいてきた。
もしかしたら、前立本尊がいくつかあって、そのひと組だったとかいうことなのだろうか?
かつて善光寺聖が勧進活動の際に持ち歩いた分身仏のうつのひとつなのだろうか?
・・・・・??
前立本尊を遥拝したあと、御数珠を頂戴しようと本堂をでると、外は折悪しく降りしきる雨。
いやいやこれでは、参道で御住職の出待ちどころではなくなった。
あきらめて、車まで傘を取りに戻り、せっかく来たついでに参道散策へ。
・・としたところが、まだ開いている店もすくない。
おまけに、雨足が強いせいで足元はびしょびしょになってしまった。
しかたなく、ちょっと路地裏の喫茶店で一休みをすることにした。
ちょっとした腹ごしらえもでき、ストーブに当てていた濡れた裾もほぼ乾いたころ、うまい具合に雨が弱くなってきた。
会計を済まそうとして、ふと柱に貼られたお札に目がいった。
「戸隠月〇(立立、立つが横並びに並んでいる字)太々神楽」とあった。
戸隠神社からいただいたお札であろうが、立つ立つって書いて、なんて読む字なんだろう?
店の方に聞いてみたが、知らないと言う。
調べてみると、どうやら「並」の異体字らしかった。つまり、月並みということか?
なればこのお札は、戸隠神社で毎月行われる太々神楽へ納めたものへの返礼のお札だったのかな。
解けない疑問はさておき。
小止みの雨模様の中、またぶらぶらと歩きだした。
8時過ぎに本堂の前まで戻ってきたころには、回向柱の周りには人だかり。
戒壇巡りをしようにも、90分待ちだというのでやめた。
ならば、せめて記念の御朱印をいただこうと列に並んだが、いっこうに進まない。
もうずいぶん並んでいたころ、僕らの前にいる人の連れがやってきて、「御朱印帳を預けたら、またあとで取りに行くんだって。」と伝えていた。
こりゃもう無理だ。いつになるのかわかったもんじゃない。御朱印をいただくのもやめた。
しょうがない。参道の郵便局でだしたハガキの、記念の風景印で我慢するとしよう。
さてさて。
とまあ、こんな感じで今日のメインイベントは、朝の9時には済んでしまった。
このあとはノープランだったので、とりあえずなにかあるだろうと小布施に向かった。
ひとまず、小布施ワイナリーでワインを買い、桜井甘精堂で栗羊羹を買い、早めの昼食に蕎麦を食らう。
もう一日が終わったかのような顔をしているJ君に、北斎の絵見る?と聞いても、う~ん・・と気の抜けた返事。
幕末の豪商が描いた妖怪の絵もあるよ?と聞いても、同様だった。
福島正則のお墓は?と聞いても、乗り気じゃない。
じゃあさ、でっかい地下壕、行く?と言うと、聞いた途端、J君の目が輝いた。
行く!行く!見たい!
かくして、小布施に行っていながら、観光らしい場所には一つも立ち寄らず、お土産だけ買って、松代に向かうことになった。
(つづく)
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