マザー・テレサは貧しい人や
孤児、病人への奉仕に身を
捧げ、ノーベル平和賞を
受賞。
「わたしは賞に値しない。
世界のもっとも貧しい人
の代表として受賞する」と
言い、賞金をすべて寄付
しました。
マザー・テレサは貧しい人や
孤児、病人への奉仕に身を
捧げ、ノーベル平和賞を
受賞。
「わたしは賞に値しない。
世界のもっとも貧しい人
の代表として受賞する」と
言い、賞金をすべて寄付
しました。
大切な恋だと思うのならば
抱きあわず語りあかせる
夜ありて
これもやさしき情事と思う
「そばにしようか」得意先
からの帰り、ホームで部長
が言った。
「あ、いいっスね」と笑顔
で返す僕。でも内心は「?」
である。いつも高そうなス
ーツを着ている部長が、た
まに見たこともないごちそ
うをオゴッてくれる部長が、
なぜ、このように駅のそば
を食べたがるのか。カウン
ターで大きな背中を丸めな
がら「学生の頃から世話に
なってるから、たまにむし
ょうに食べたくなるんだよ
な」とそばをすする部長。
そんな妙に嬉しそうな横顔
に、たまにじゃなくけっこう
食べている僕は中途半端な
笑顔を返して、ただそばを
勢いよくすするしかない
のだった。
忘れられない、あの味、
立ち食いそばは如何で
しょうか。
恋についての決断は、自分の
気持ちも相手の気持ちも、
目で確かめられないから
難しい。
特に、結婚を意識して相手を
選択する時は、本当に難しい。
なぜなら、結婚相手を考える
のに期限はないから、後に
なれば、もっと素敵な人と
出会えるかもしれないから
と迷うからだ。
ただ、何かを選ぶ時、その
選択が正しかったか、謝り
だったか、という答えは、
選んだ時にはまだわからな
いのである。
それが決まるのは、決断
した後、その選択を大切に
したかどうかである。
つまり答えは、選択時にあ
るのではなく、選んだ自分
にかかっている。
選ぶ時に迷ったり悩んだり
するのは、それぞれに長所
があり、短所があるからだ。
選択枠のどれかが飛ぶ抜
けて素晴らしければ、誰も
迷わない。
だから、「こちらに決めてよか
った」と選択が成功する確率
は、どちらを選んでも、50
%は選択の後の自分にかかっ
ているのである。
「自分の人生と恋愛の方向が
一致しない時」や「好きだけ
ど、でも嫌いな恋人がいる
時」、別れるかどうか、
とても迷うと思うけど、別
れるにしても、交際を続ける
にしても、どんなに迷って
選択しても、
その後、いい加減な気持ち
でいたいなら、良い結果
は生まれない。
それを忘れてはならない。
美しい女には、どこか
わざとらしさが必要である。
化粧、饒舌、技巧、仮面
――― そして、そのかげに
ひそむ、はっとするほどの
無垢の心。
遊びのきらいの女に、
美しい女はいない。
詩を解さない女、
ベットのきらいな女にも、
美しい女はいない。
「美しい女とは、美しい女に
なろうとする女のことである」
わたしたち、あの時、なぜだか
ずーっと黙って、歩いたよね。
波の音、聞きながら。
すると、音のなく、ハイビスカ
スの花が、砂の上に落ちてくる
のです。
ぽとっ。ぽとっ。ぽっ。ぽっ。
って、
実際には音はしないんだけど、
そんな気配だけがして。スコ
ールのあとの夕暮れ時には、
特にたくさん落ちてたよね。
どの日も、どの場面も、素敵だっ
たけれど、黒砂のピーチと、そこ
に静かに落ちてきたお花のことは、
なぜだかほかの風景よりもくっき
りと、覚えているのです。
きっと、あれが、わたしにとって
の楽園の原点かもしれません。
楽園というのは素敵なところだけ
れど、人が楽園のまっただ中に
いる時、その素敵さには、あまり
気づいていないような気がします。
楽園の素晴らしさは、楽園を去った
時、あるいは失った時、初めて
気づくものものなのでしょうか。
つまり、楽園は記憶の中にだけ
存在する、と。今、バリ島を思い
出しながら、そんなことを考えて
います。
なんだかとりとめのないお手紙に
なってしましました。
あなたがこれを読んでいるのは、
大阪のホテルのお部屋だと思いま
す。
手紙を読んで、バリで過ごした
あの熱い日々のことを、思い出
してくれたら嬉しいです。
元気でね。お仕事、うまく行き
ますように。
はやくもどってきて。
愛をこめて
「生きている心臓」の中で加賀乙彦さんは、主人公・天木友作 に次のように語らせている。
「医者なんてのは無力な存在でしてね、病気を治す力にも限界 があります。
それに、病気が治るのは、医者の力ではなく、患者さんの中にある不思議な力によるのです。
医者はただその不思議な力に、 医学の小さな力を加えるだけです。
16世紀のフランスの有名な外科医、アンプロワーズ・パレも『私が処置し、神が治した』と言っています」
そう告げられた患者は、「ぼく、の中にも」とあえぎながら「その、不思議な力が、ありますか」 と尋ねた。
「もちろん、あります。肉体 の力と同じように、心の力も あります」。
「なんとしても生きよう」「病気になんか負けてなるものか」 という強い情念がある限り、 どんな重い病からも立ち直る ことができるのが人間です。
それはなにも病気だけのことではなく、すべてのことの成功と失敗を分ける大きな力の源泉 です。
人は心理の動物です。「できる」 と思えば成功し、「ダメだ」と思えば駄目になるだけのことです。