ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「悲しみの中に止まらないこと」

2019年08月31日 12時47分25秒 | owarai
物語のひとつが終わったのだ。
素晴らしい恋の物語だった。
しかしあの恋にも、何かが決
定的に欠けてしまっていたのだ。

何かめくるめくようなものが・・
・・・。
それは初めのうちは確かに在った
もので、歳月と共に、少しずつ、
しかし確実に色あせていったもの。
―神秘性―

貝殻をひろった
貝殻がきれいだったから

それをもって帰って机の上に
飾った
貝殻はずっとそこにあって
やがて私に忘れられた

そのように人をひろってきても
人はずっとそこにいないから
なかなか忘れ去られない

時には大いに被害をこうむった
りする

泣かされない恋なら覚悟もでき
ない
覚悟のない恋はガラスのない
窓だ

「言動でわかること」

2019年08月31日 12時11分54秒 | owarai
自 信のある女性は、平気で
人に甘えることができる。

人に甘えられないのは、そ
の人が強いからじゃない。
自信がないからだ。

強がっている人は、自信のな
い人なんだ。

たとえばケンカをした時、自分
から謝ることができない人は、
自信のない人だ。

自信のある人が、先に謝る。

人間というのは、みんな弱くて、
みんな強い。

強い人と弱い人がいるのでは
ない。

弱い部分のない人は、強い
部分もない人だ。

自信のない人は、甘えるのが
怖い。勇気がなければ、甘える
ことができないんだ。

灯(ひ)ともしごろ

2019年08月31日 11時49分29秒 | owarai


夕方の明かりをともす頃、
主婦は夕げの支度をし、
勤め人は帰りを急ぐ。

灯のついた住宅のそばを
通ると、魚を焼くにおいが
道に流れてきたりする。

灯ともしごろは火点(とも)
しごろであり、電気のなか
った昔、家の中の
行灯や街路を照らすガス燈
は、人の手でともされた。

花の蕾がほころぶことも、
火点しという。花の蕾は
夕方から夜にかけて
開くと信じられていたの
である。

「線香が火点す梅の花の技」






「残んの月」 ーのこんのつきー

2019年08月31日 09時02分00秒 | owarai

残っている月は、はかなさを
感じさせる。朝とともに消えてゆく
定めだ。日本人は、失われてゆくも
の、はかないものに美意識を持って
きた。

「残んの」という表現に詩的な響き
がある。「遠山の花は残んの雪かと
見えて」と『平家物語』にあるよう
に、「残んの」という言葉は数多くの
文芸作品に使用されてきた。

残り香りは、その人がいなくなった
あとに残っているほのかなにおいだ。
ここにいないことがいっそう愛着を
つのらせる。



頬をかすめてゆく 九月の夜風は、ぴりりと 冷たい。

2019年08月31日 08時43分09秒 | owarai
人生はたくさんの「さよな
ら」で成り立っている。

けれどもその一言がスマートに言え
たためしはなく、惨めにすくみあが
ってばかりいる。

「さよならに乾杯」と、さりげなく
言えたら、どんなにいいだろう。
別れをそんなふうに優雅に茶化すこ
とができたら・・・・・。

いさぎよくできないのならいっその
こと、女ならなりふりかまわず泣き
喚き、

別れたくないのだ、さよならなんて
いやだとすがりつけば、まだ可愛ら
しいものを、

そんなふうに姿勢を崩してしまうく
らいなら死んだほうがましと、笑え
もしないお粗末なユーモアを一席
披露して、結局泣きたくなるのが
セキのヤマ。

あぁ人生はなんとまあよく、
ウッディ・アレンの映画の世界と
似ていることか。ドジで、哀しくて、
滑稽で。

この声は、いつかどこかで、聞いたことのある声。

2019年08月30日 12時52分50秒 | owarai
幼いころ、よく「影踏み」という
遊びをした。鬼ごっこのバリエー
ションで、鬼は相手の影を踏む。
踏まれたら、今度はその人が鬼。

つまりその遊びにおいて影は、
その人の一部分、あるいはその
もだった。

“その肩にわが影法師
触るるまで

歩み寄りふとためらひ止みぬ“

「その肩」、ひそかに恋心を寄せて
いる相手・・・・・
その人は、背を向けて立っている。
近づきたい思いと、近づきがたい
思いと、その葛藤のなかで、

そっと自分の影法師を、相手の
肩に触れさせようとした。

影法師は、「影踏み」のように、
本人の一部分であり、さらには、
魂そのものだ。

そして結局、影を触れさせる
ことができずに立ち止まって
しまった。

物理的にはかなり接近して
いるのに、心理的な気の
遠くなるような遠さ。

あなたにとっての「影」は誰
ですか・・・。



YouTube
影踏み/一青窈

https://www.youtube.com/watch?v=K3xSgbG7xmI

「ナイト」

2019年08月30日 08時52分14秒 | owarai
もう 決して後悔するような
ことはしない
自尊心の痛みを忘れない

天の女神さまに聞こえるほど
高く

ちゃんと真面目に誓います
あなたを守りますと



YouTube
Ryuichi Sakamoto Trio_Merry Christmas Mr.Lawrence.mp4


https://www.youtube.com/watch?v=DHy1iKBtTq4

運命の女神は待つ よりも、迎えに行くほうが確実 に会える

2019年08月30日 08時45分10秒 | owarai
『運を味方にするのは
いい。

だが、頼りにするのは
いけない』。

人にも企業にも、運不運
といものが確かに存在す
る。

だが、運を自在にあやつれ
るかというと、それは不確実
だ。

確実なのは、運をつかめるか
どうかは、行動や準備にかか
っている。

ある心構え、ある姿勢を持った
人間である。

「微香」

2019年08月30日 08時27分23秒 | owarai
考えてみれば、香りはなかなかの
曲者である。何も語らない。その
くせ饒舌である。

私たちの無意識に訴えかけて、そ
の行動をさりげなく支配する。

順番からいえば、花はまず香りから
抜けてゆく。形を保ちながらある日、
香らなくなる。

香りの抜けた花は、すでに美しさの
ピークを過ぎている。

ということは枯れる前に形だけの花
が存在する。昨日と同じように咲き
ながら、もう芳香を放たない花を見
ると、何やら淋しくなる。

文章を書いていると、香らないと思う
ことがある。そんな時、文章としては
形は整っていても、失敗作だと思う。

薫りは作品の色気につながり、生命力
につながる。躍動する生命力が感じ
られない文章なんて、意味がない。

立派な文章を書きたいわけではない。
美しい文章も要らない。ただただ、
匂い立つ文章を一編でも良いから
書けたらと思う。

そういえば最近、季節の香りを感じ
ることが少なくなった。昔ほど木の
芽が匂わなくなった。

柚子も同じだ。匂わない木の芽
や柚子なんて、お吸い物の中で
邪魔なだけだ。

多分、女性も同じだろう。
形だけ美しく飾っても香らなく
なったら・・・・・。

そう考えると、女でいることを
大切にして欲しい、と切に思う。

「行く道」

2019年08月29日 19時47分22秒 | owarai
今、好きな場所
好きな花

今、好きな色
好きな匂い

今、好きな声
好きな人

今、好きな本
好きな歌

それらは何を意味するか

それら全部が
今、行く道を教えてくれる
行くべき道を教えてくれる

好きなものは刻々変わる
とるべき道も刻々変わる



YouTube
rain 大江千里 × 秦基博

https://www.youtube.com/watch?v=u1SWm06Kaj4

「このささいな“違い”こそが最大の財産」

2019年08月29日 11時46分30秒 | owarai
朝日新聞の「窓」欄に、『演技の
無理』と題して次のような記事
があった。

「ある中学校の先生が、『いじめられ
る子といじめる子の間に大きな
違いはない。ほとんどの子が、
どっちの立場にもなり得る。

いじめられる側にまわるので
はないかと、多くの子が内心、
おびえている』とテレビで
語っていた。

おまえは変だと仲間から
言われていじめられる側に
まわらないために、皆が見る
テレビや漫画を見、ゲームを
して話を合わせる。

別の誰かがいじめられている
間は、自分が免れられるから、
見て見ぬふりをする。

一人が皆の犠牲になることに
よって、暗黙のうちに多数の
利益が一致する。

いったん犠牲者の役まわりを
押しつけられると、容易にそこ
から抜け出せない仕組みができ
上がる・・・・」

日本では、一人が個性を発揮
すると、「平等」の名のもとに
皆が横並びを主張します。

人は一人ひとりが違って
当たり前です。そこに存在
価値があり、仕事の価値、
創造の価値があるのに、

「みんなが同じでなければ
ならない」という考え方が
強い。

横並び商品やカラオケにゴ
ルフ、献金など皆同じ根です。
もっと自分の責任で判断し、
行動することです。

「雨ですね」  ーArt Farmerー

2019年08月29日 09時03分05秒 | owarai
“あなたからきたるはがきの
かきだしの「雨ですね」

さう、けふもさみだれ“

電話で、「雨ですね」と言いあ
うのとは違う、不思議な連帯感が
生まれる。電話ならまさにリアル
タイムで、今自分の見あげている
空を、

相手も見あげて相づちを打つわけ
で、それは単なるあいさつにすぎ
ない。

葉書に書く「雨ですね」は、そう
ではない。それは、あなたのこと
を思ってペンをとっていた時間に
雨が降っていました、といいう
一種のしるしのようなもの。

私はその時「・・・・ね?」と
あなたに話しかけたかった、
という気持ちの消印のようなもの。

リアルタイムでなく、時間の幅を
持って、その想いが届けられる。
「さう、けふもさみだれ」という
相づちも、同様に、気持ちの消印
である。

今あなたの文字を見つめながら、
心の中で返事をしました、と
いう。

正確な意味では時間はズレている
けれど、「さみだれの降る季節」と
いう視点から見れば、わたしたちは
時を共有しあっている。

そして一枚の葉書をとおして、
心を共有しあっている。




YouTube
Art Farmer / Gentle Rain

https://www.youtube.com/watch?v=rNPY8WzqoQw