慎ましく生きたい。
でも、心豊かに生きたい。
「幸せになるには必ずなにかがな
くてはいけなくて、それがあるか
ら幸せなのだ。つまり、外界から
に依存した感情だ。
喜びにはそんなものはいらない。
目に見える理由がなにひとつなく
てもわたしたちをつつみ、まるで
太陽みたいに、自分自身の核を燃
やしながら燃えつづける」
幸せと喜びとの違い。幸せには
「○○だから」というような、
ある程度客観的な理由が存在し、
他人もそういうものさしで人の
幸せを見ている。
が、喜びというのは、人それぞれ
で、何をもって喜びとするか、ど
ういうときに喜びを感じるか、に
客観的な理由というのは存在しな
い。
せつなさと淋しさとの違い。これも
また、幸せと喜びとの違いに似てい
るような気がする。
淋しさには、客観的な理由がある。
この人は淋しそうだなあと、他人
でも想像がつく。でも、せつなさ
は人はそれぞれだ。
そして幸せよりも喜びを――
と同じように考えると、淋しさ
よりせつなさを、たくさん感じる
ことのできる恋愛のほうが、より
素敵かもしれない。
たとえば七夕に、何ら
かの理由で恋人に会えない場合。
淋しさではなく、せつなさ感じる
恋を、私はしたいと思う。
淋しさというのは、他人の目を
気にしたり、自分を中心にして
生まれる感情だろう。みんなは
デートしているのに、とか。
でも、せつなさは、違う。会え
なくても、相手のことを思うから
こそ、生まれる感情だ。
“せつなさと淋しさの違い問う
きみに口づけをせり これはせつなさ“
ねぇ、私、誰と会っても
少し会っても少し淋し
いの。
それは、相手があなたじゃ
ないからよ。
会いたくて 淋しい
あなたに 会いたくて淋しい
会えなくて淋しいではなく。
夢の中で、「これは夢じゃない
か」と頬をつねったこと
が、私には何度かある。
「逝きたる人」に会うことは、
それほど信じがたく、またそ
れほど遠くに感じられる存在
なのだ。
にもかかわらず夢に見るのが、
せつない。
“夢の中にはこれ夢かと
思ひをり逝きたる人に
出会ひたるとき“
もちろん、「これは夢か」には
疑問だけではなく、驚きと喜び
もふくまれている。
けれど、その驚きと喜びとは、
夢から醒めたときにはため息
に変わり二重にせつない。
夢から醒めたら次のように歌う
ほかはない。
“不意の出会ひある筈はなし
信号を幾つ超えても
空あるばかり“
夢の中で、「これは夢じゃない
か」と頬をつねったこと
が、私には何度かある。
「逝きたる人」に会うことは、
それほど信じがたく、またそ
れほど遠くに感じられる存在
なのだ。
にもかかわらず夢に見るのが、
せつない。
“夢の中にはこれ夢かと
思ひをり逝きたる人に
出会ひたるとき“
もちろん、「これは夢か」には
疑問だけではなく、驚きと喜び
もふくまれている。
けれど、その驚きと喜びとは、
夢から醒めたときにはため息
に変わり二重にせつない。
夢から醒めたら次のように歌う
ほかはない。
“不意の出会ひある筈はなし
信号を幾つ超えても
空あるばかり“
あなたの笑顔の一瞬や
あなたの憂いの一瞬と
出会えた時
写真のようにこの感じを
忘れないように胸に刻む
思い出すために すこしでも強く
思い出すために すこしでも長く
悲しくてもこの恋が純粋である
ように
心をこめて
またあなたを思い出すために
手紙を読んだら、すぐ連絡ください。
電話のそばで待っています。
僕は来週、ここを出て、オレゴン州へ
旅立ちます。成田で僕が詩音ちゃん
を待っていた理由は、
春になったらアメリカに来て、僕と
一緒にオレゴンへ行って、一緒に住
んでもらえないかということを、
詩音ちゃんに直接会って、伝えあた
いと思っていたからなのです。
「返事がYESなら、空港まで来て
欲しい」と、書きました。
詩音ちゃん、僕は先に「人の気
持ちは他人には絶対にわからない」
と書きました。
冷たい考え方のようですが、これ
は真実だと僕は思っています。
どんなに相手のことを思ってい
ても、別の人間である相手には、
その思いは「わからない」のです。
そして、どんなに深く、一生懸命
相手のことを思っていても、その
相手が同じくらい自分のことを
思ってくれているのかどうか、
それも、わからないのだと思い
ます。
しかし、ひとつだけ、わかるこ
とがあります。それは自分の
気持ちです。
自分の気持ちだけは、わかりすぎ
るほど、わかります。僕が詩音ち
ゃんを思う気持ちは絶対的なもの
で、それは出会った時から今、
この瞬間まで、少しも変わりま
せん。
成田空港では、恥ずかしながら、
僕はひとりでめそめそな泣きま
した。僕は詩音ちゃんが考えて
いるほど、強い人間じゃないよ。
非常に弱虫で、さびしがりやで、
とんでもない小心者です。
心の中の醜い「どろんこいかだ」
が浮かんでくまで、あの展望ロ
ビーのベンチに、じっと座って
いました。
そして、詩音ちゃんが成田に来て
くれなかったことを、詩音ちゃん
の出した最終的な答えとして、
真摯に受け止めようと思っていた
のです。
もうこれ以上、・・・・・。
咲けば必ず散るのが花の
運命だ。
美しければ美しいいほど、
散るのはさぞ辛いことだろ
う、と思うのが人の心だが、
花の心は、どうやらそうで
もないらしい。
堂々と花ひらく薔薇。散る
ことを前提としていながら、
こんなにもいさぎよく、明
るく、美しい。
これまでの自分の生き方は
散ることを怖れて、咲くこと
をためらっていなかっただろう
か?
散ると決まったわけでは
ないときにも、一歩が踏み
出せないことがあったので
はないだろうか?
花は生きている、これからは
違う生き方を選んでいきたい。
『ためらひもなく花季(はなど
き)となる黄薔薇
何を怖れつつ吾は生き来し』