ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム 『行合の空』

2015年08月31日 08時09分47秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年祝で
早朝割引を実施』

【コラム:】

行合うとは、両方向から進ん
できたものが出会うことをい
います。

つまり、「行合の空」とは、
二つの季節模様を浮かべて、
空が渾然としている様。

去りゆく夏と近づいてきた
秋が出会い、溶け合い、
やがて本格的に秋へと
移行する季節になりました。

夏と秋、たしかに二つの
季節が行き合い、暑気、
涼気がともに感じられる

そんあ日があるものです。

※渾然
別々のものが一つにとけあって、
差別のないさま。


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム 『行合の空』

2015年08月31日 08時09分47秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年祝で
早朝割引を実施』

【コラム:】

行合うとは、両方向から進ん
できたものが出会うことをい
います。

つまり、「行合の空」とは、
二つの季節模様を浮かべて、
空が渾然としている様。

去りゆく夏と近づいてきた
秋が出会い、溶け合い、
やがて本格的に秋へと
移行する季節になりました。

夏と秋、たしかに二つの
季節が行き合い、暑気、
涼気がともに感じられる

そんあ日があるものです。

※渾然
別々のものが一つにとけあって、
差別のないさま。


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム「人間関係で悩むのはどんなヒト」。

2015年08月30日 04時10分14秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

人間関係で悩むのはどんな人か
知っていますか。

毎日、おかしいな、変だなと感じる
現実を見捨てている人です。

極端に言うと、百万円の借金は
気をつけます。

しかし、人は毎日五円の借金は、
いつでも返せると安易な気もち
になります。

何でもない五円が、ちりが積もって
いって、百万円になったとき、

あわてふためくのです。

何でもない五円(ご縁)を
大切にしましょう。
今日がよい日でありますように。


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム「喧嘩で男と女の関係がわかります」。

2015年08月28日 05時01分38秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年祝で
早朝割引を実施』

【コラム:】

本音を言えない関係は、
心がふれていません。

たまに本音を言って喧嘩に
なる関係は、どちらかが
耐えています。

心の中に敵意がめばえ
ます。

いつもお互いが感情を出せる
関係は、心がふれています。
しこりも残りません。

昔から、ケンカするほど仲が
よい、といいます。

心のふれあいは、相手を見守る
自分に素直になるところから
生まれます。


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム/「夏の果て」

2015年08月27日 04時59分12秒 | owarai

酷暑に耐えながら悶々と過ごした

ひと夏。とはいえ、いざ夏が終わ

りに近づき、

 

折りふしに秋の気配を感じるよう

になると、あの暑さまで恋しく思

われるのは不思議です。

 

どんな季節であっても去り行くと

きはそれを惜しむ・・・・。

 

なんとなく人生もそれに似て、

つらい体験も後になれば甘酸っ

ぱさの残る懐かしい思い出に

なっていく・・・・・。

 

そんな人の心の感傷を感じさ

せる言葉を思い出しました。


ブリュー・ミュージアム 佐久:ヤナギダ店長コラム「あなたは、時計をチラっと見る人ですか」。

2015年08月26日 08時56分36秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

満足したとき、緊張感がとけた
とき、飽きたとき、人は時計を
見ます。

時計や携帯電話を見たときに、
自分と相手との関係がわかり
ます。

時計をチラっと見る人は、
繊細で優しいこまやかな人
です。

チラッと時計を見ても、相手が
平気で喋っていると、
その無神経さに腹を立てるのです。

人がチラっと時計を見るのは、
我慢と優しさが葛藤している
ときです。

ちなみに、指輪型時計をして
指の裏側でみるクリでござい
ます。


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム[心が満ち足りている子どもは、「自分」を持っている。

2015年08月25日 09時18分10秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

例えば、ショッピングセンター内の
遊び場で、遊びたい友達を見つけると
子どもは初対面で遊べます。

好きなおもちゃを持っている友達を
見ると「ちょっと貸してくれない」と
素直に自分の気もちを伝えます。

子どもは、どんなに好きな女の子が
来ても、自分のしたいことがあると
断ります。「今日この遊びをしたいんだ。

明日遊ぼうね」と相手に対しての
思いやりも最後に忘れません。

だから、子どものトラブルは毎日
起きていても、その日のうちに
解決しています。

大人はこの状況を見て、「子どもは
単純だから」とひと言でかたづけて
しまいます。

ここに大きな問題があるのです。
単純な行動ができていれば、大人に
なってもトラブルは起きません。

そして、単純な行動は、自分をき
ちんと持っていなければできない
のです。

自分を持って生きるといことは、
自信がなければできないことです。


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム 「幸福な人の“考え方の構造”にはパターンがある」

2015年08月24日 08時28分38秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

他人のために、まごころをもって
尽くす(ギブをする)と、それが
何倍にもなって自分に返ってくる。

「ギブ・アンド・テイク」と、
ギブを先にいうことには、わけが
あるのだ。

「風呂の湯を手で、むこうへ押し
やれば、こちらへ返ってくる。

こちらにかき寄せれば、むこうへ
行ってしまう」という二宮尊徳翁は
説いた。彼は“経済の法則”として
説いたのであったが、

これはそのまま“幸福の法則”で
あるにちがいない。

幸福になりたかったら、
人に尽くしなさい、

せいぜい、あたえなさい、という
ことだ。

 




ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム 「愛とは“心を並べて立つ”こと」

2015年08月22日 08時53分48秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

愛とは、相手の眼を見つめる
ことではありません。

二人並んで、同じ方向を向い
て立って、一つのものを
いっしょに見つめることです。

相手と向きあって、たがいに
眼を見つめあうことが愛であ
るならば、

「愛は惜しみなく奪う」にも
なりかねないし、

「自分だけがかわいい」になる
危険性もある。

客観的な精神が失われて、エゴの
愛になる可能性が大きいのである。

並んで、「一つのもの」を四つの
眼で見つめるとき、客観的な眼も、
いのちの一体感も・・・・・

真正の愛がはじめてうまれるのだ
ろう。
「我執」を超えることができる

※我執
自分に執着すること。自己の意見に
執着すること。→仏教語。


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム「人生は、蒔いた種のとおりに花が咲く」

2015年08月21日 09時00分56秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

失敗を恐れ、自分を信じないと、
いつか、人生を恨むことになり
ます。同時に、他人をも恨み、
憎んでしまうのです。

悩みは、そんな弱い自分を認め
ないところから、生まれます。

素直になれば、対立を恐れません。

素直になれば、素直になれば、
無理がありません。

素直になれば、自分の意志を貫く
強さが生まれます。

人生にトラブルはつきもの
です。

無理をして自分を抑えても、
その犠牲は、必ず相手にも
犠牲を強いることになるのです。

そう、愛の種を蒔けば、愛の花が
咲きます。

恨みの種を蒔けば、恨みの花が咲き
ます。

妬みの種を蒔けば、恨みの花が咲き
ます。

自分の心がそのまま花になるのです。


ブリュー・ミュージアム :ヤナギダ佐久店長コラム「今、ここでどう触れあうか」

2015年08月19日 08時50分18秒 | owarai

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』

【コラム:】

一生一度の出会い
わたしたちは、人と出会うとき、
仕事であれ、遊びであれ、
これが最後の出会いと思って、

心して、語り、触れ合っている
だろうか。

だいたい、忙しいとか、他に
用事があるとか、また会える
と思って、その出会いを

“ゾンザイ”にしていないだ
ろうか。
ソンザイは存在とも書く。

つまり人との出会いをなんと
なく、あるいは自分の都合で
いい加減に会っているのなら、

相手の存在、人格を軽んじて
いる。

さらに言えば人という存在は
限られた生命を生きているの
だから、

相手の生命さえ軽視している
ことにほかならない。

※お盆前に来られたお客さまの
大学生のお子さんは、朝、起きず
布団で亡くなっていたそうです。
原因は不明です。
子どもと、もっと話したかったと・・・。