ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「“本当に頭がいい人”の器」ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月31日 05時19分21秒 | owarai
【コラム:】
「頭がいい」と言われる人や
エリートの中には、自分の説や
考え方にこだわって、

少しも人の意見を聞こうとしな
い、人を許そうとしない人がい
ます。

本当に頭がいい人というのは、
小さく固まって「自分だけが
正しい」としてしまう思い上が
った人を言うのではないはずで
す。

人を許せないのは、人間が小さく
器が小さいからです。

この世の中、自分が正しい、相手
が悪いと簡単にさばけるほど単純
ではありません。

世の中の善悪というのは、自分に
とって都合がいいか悪いかだけの
ことです。

立場を変えて相手の立場に立って
みると、百八十度変わることもあ
ります。

本当に頭がいい人とは、相手の立
場に立って考えることのできる心
の豊かな持ち主を言うのだと思い
ます。

本当に人を愛したり尊重したりす
る気持ちがあれば、人の意見にも
耳を傾け、「いろいろ心配してくれ
てありがとう。私も考え直してみ
よう」と言えるはずです。

才能が乏しければ自分を生かすこ
とはできないが、才能に愛がこも
っていなければ人をいかすことは
できません。

思いやりと敬愛の心のない人との
付き合いは虚しいものです。

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業121年』

「無人島漂流記」ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月30日 05時22分18秒 | owarai
【コラム:】
どこか少し変わっているのか、
血液型のせいか、私が面白い
と思うことが、どうも他の人
とずれているような気がして
いた小学生の頃。

さて、
男二人と女一人が、孤島に漂
着したとすると、彼らはどう
するだろう。

イギリス人:誰も正式に紹介
する者がないから、彼らはお
互いに話をしない。

イタリア人:男たちは陽なた
ぼっこをし、女がスパゲティ
料理をする。

スペイン人:男たちが決闘する。

ドイツ人;男の一人が結婚し、
もう一人が戸籍係を務める。

フランス人:女は男の一人と
結婚し、もう一人と浮気する。

スウェーデン人:男同士は愛し
合い、女は自分を愛する。

ロシア人:女は愛していない
ほうの男と結婚し、三人で海辺
に腰をおろし、果てしなく嘆き
悲しむ。

最後に、
ブラジルは移民の国で陽気で
笑うのが大好きである。
日本人をネタにしたコントに
こんなのがある。

ある朝、背が低く陽にやけた、
いかにもお百姓然として日系
人が女郎屋から出てきた。

見送りに出てきた大柄な女が、
その日系人に向って手をふる
かわりに、小指を一本立て、

それをくるくるとまわしてみ
せる。

おまえさんの持物はこんなも
んだったよと云わんばかりに
・・・。
すると、その日系人はニヤリ
と笑い、やおら、かぶってい
た帽子を脱ぐと、それを人差
し指にかぶせて、

帽子をくるくるまわしてみせた。
おまえさんの持物はこんなにぶ
かぶかだったよと云わんばかり
に・・・・。

このコント、その日系人は一世
であるような気がしてならない。
祖国から遠く離れてブラジルへ
たどり着き、

まだあまり言葉もしゃべれず、
ただひたすら営々と土地を
耕してきて、ようやく、
ちょっとだけお金とひまが
できたので、

街へ出てきた素朴な日系人
一世の姿が眼に浮かぶので
ある。


野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業121年』

「はさみのあそび」ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月29日 04時45分38秒 | owarai
【コラム:】
「はさみのあそび」
豊田章一郎氏(トヨタ)が、以前
新聞で、対談されていた。

戦後の教育では、画一的管理
者ばかりを養成してきたので、
職人がいなくなった。

それが今日の企業の混乱を招
いたと、大ざっぱにいえばそ
うことであった。

私が、祖父の関係でつきあって
いた工芸の世界でも、同じこと
が起こっていた。

大企業とは比較にならぬほど
ささやかな手工芸であるが、
芸術家やデザイナーは山ほど
いても、

地味な職人は少なくなった。

たとえば花鋏一つ作るのでも、
わざわざ京都まで行かねば気
に入ったものは少ない。

そして、行けば必ず貴重な体験
を得て帰ってくる。

花鋏は、日本刀と同じようには
がねを用いるため、特殊な技術
を要する。

私の鋏屋さんは、土の上に蓆
(むしろ)を敷き、昔ながら
のふいごを使っているが、
場所をとらないのでその方
が簡単で、仕事がしやすいと
いう。

そうして出来上がった二枚の
刃を真中でとめる。

この止め金のことを「遊び」と
いい、花鋏では一番重要な部分
だと教えてくれた。

花を生ける時は、片手に花を
持ち、もう一方の手で鋏を使
うが、「遊び」の部分がきつす
ぎると鋏がひらきにくく、

ゆるすぎると巧く噛み合わ
ない。

つまり、その止め金はいつも
真ん中でふらふらしていない
と、自由に動かないのである。

ゾーリンゲンでもまったく同
じ形の花鋏を作っているが、
似て非なるもので、

日本のそれは手をひらくと鉄
の重さで自然についてくるし、
手を握るとしまる(切れる)。

重さもバランス、自分の手の
延長のような感じがして、ただ
もてあそんでいるだけでも気持
よい。

ある時錆びたので、知合いの
研屋さんに持って行くと、

この花鋏さけは研ぐことはで
きない、「遊び」のところをは
ずすと元に戻らないからだとい
った。

鋏を作った職人も断ることの
できる職人も、両方とも偉い
と私は思った。

何でもないようなことだが、
「遊び」が完全にきる人は、
一人か二人しかいない。



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ぴんころ地蔵通側
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『創業121年』

「最大の敵、最大の味方」ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月28日 05時24分56秒 | owarai
【コラム:】
「花を花と見て花と見ず」
/『般若観音』

「花を見る」というのは、自分
の立場から発した行為です。
人間の先入観でそう見えるので
あって、実はそうではないかも
しれない。

とにかく、今自分が見ているだ
けがすべてだなどと思わないこ
と。

見る私が花そのものになって
みて、はじめて花の真の姿が
見えてくるとの教えだそうで
す。

相手の身になって、ものを見た
り聞いたりしないと、真実は
見えてこない。

正しい判断をするには、物事を
あるがままに見よと言いますが、
難しいことです。

そこで起こったただ一つの真実
でも、見聞者の心のフイルター
を通ると、

その人の主観によって左右され、
見方や受け取り方が違ったり、
単純な問題が複雑になることが
よくあります。

ネット社会の現代、情報の多さが
真実を隠してしまう場合がありま
す。

つまり、自分の損得勘定とか
好き嫌い、かかわりたくない
などという私欲に基づいた
判断が、

簡単な問題を紛糾させてしま
うのです。

臨済禅師が、「道で仏にあえば
仏を殺せ」と言ったのも、己
の心が最大の味方であり、

楽な生き方、自分によって都合
の良い生き方が敵なのです。
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『創業121年』

『心が変われば運命が変わる』ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月27日 04時43分54秒 | owarai
【コラム:】
「心が変われば態度が変わる。
態度が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる」。
蓮沼門三/教育家

学生時代に覚えた言葉。
これほど見事な四段論法も
珍しい。

蓮沼さんは日本初の社会教育
活動団体「修養団」を創設
した人物。

学校の寄宿舎が汚れているこ
とに憤り、雑巾がけを一人で
始めたところ、同志が次々と
参したのが団体創設の始まり
であったという。

運命を変えるのは心の持ち
よう。
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『創業121年』

「桃太郎さん」ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月26日 05時06分10秒 | owarai
【コラム:】
たまには、落語家のなりそこ
ないが小咄を・・・・、
桃太郎さんの話を知って
いますか?

ある日、おじいさんが山に
柴刈りに、おばあさんが川
に洗濯に行きました。

と、川上から大きな桃がドン
ブラコ、ドンブラコ。

家に持ち帰っておじいさんと
二人で大きな刀でタテに切ろ
うとすると、なかなか切れな
い。

「どうしたんだろう」
力をふりしぼっても、刀はくい
込んだままびくともしない。

よく見てみると、なんと桃太郎
中で両手をあわせ、真剣白刃取
りをしていたのだった・・・・。

こんなオチのつく話が好きなん
ですが、もう一つ。

一人の罪人が、刑務所で
「お前に三つの部屋を用意して
ある。一つを選んでそこで罪の
償いをしろ」といわれ、部屋を
みた。

一番目は火あぶりの刑の部屋。
熱くてとてもたまらない。

二番目は水ぜめ。これでは息
もできないというので、ここ
もパス。

三番目の部屋を見ると、もの
すごいにおい。なんと、コエ
ダメになっていたが、ここに
は人が多数いた。

首から上がコエダメから出て
いるだけだが、みんなのんき
そうにタバコまで喫っている。

タバコ好きなその罪人は、慣れ
ればにおいなんてがまんできる
と思い、迷わず三番目の部屋を
選んだ。

さて、自分も首までコエダメに
つかってタバコに火をつけよう
とすると、見張り番が来て、

「さあ、休憩は終わり。
みんな沈んで、沈んで」―--。

最後はきれいに謎かけを、、、

朝顔の鉢植えとかけて
 猫の色ごととく
心は、屋根でつるんで花さかす“

お後がよろしいようで。

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『創業121年』

「恥ずかしがり屋のあなたへ」ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月25日 05時01分53秒 | owarai
【コラム:】
『目指すはスパイの暗号文』
ブリッジというトランプ・ゲーム
がある。日本ではそれほどなじみ
がないが、西洋では多くの人が
楽しなんでいる。

商社マンだったので仕事の都合で
覚えたのですが、

ブリッジにはいくつかの種類が
あるが、コンラクト・ブリッジ
は四人で行うもので、二人一組
になってペアを組む。

ゲームというよりも、ペアとの
間に秘密の言葉を交わす高度な
頭脳試合という感じだ。

ペアの発言を頼りに進められる
ゲームの様子は、お遊びという
というにはあまりにも真剣だっ
たからだ。

静寂の中にビットやパスなどの
言葉が響き、カードがなめらか
に出されていく。

そうした不思議な光景を見ている
と、恋の楽しみにもそれと似た面
があるのかもしれないと思ってし
まう。

恋の濃度が深まっていけばいくほ
ど、相手と自分の間に交わされる
秘密の言葉、つまりはビットに似た
ものが増えていくからだ。

人に見せない一面をなぜか
あの人だけに見せてしまう。
反対に、私だけにはさらけ
だしてほしいと思う。

これが恋なのではなかろう
か。

だから、恋人たちは二人だけ
の内緒ごとを作りたがるし、
自分たちだけしかわからない
秘密の言葉を増やしたいと
望むものだ。

こうした二人の間で交わされ
るラブレターは、当然、わけ
のわからない言葉の独壇場だ。

他の人には通じなくても、二人
の間だけわかり合う言葉が躍
っていればそれでいい。

ラブレターの中では、隠語は
多ければ多いほどいい。

たとえ、他の人にはさっぱり
わからなくても、恋人同士の
間でだけは立派に意志が通じ
合う単語が並んでいる。

それこそがラブレターとして
望ましいものだと、僕は思う。

ちょうど、スパイが敵の目を
あざむくために発信する暗号
のように。

ネット犯罪が多い現代、
目指すはスパイの暗号文。
それがラブレターの理想なの
ではあるまいか。

※恥ずかしがり屋の女性へ
言いにくいこと、会うとどう
しても言えないことがあった
ら、ラブレターを書こう。

ラブレターを使えば、心のうち
をどんどん出すことができるの
だから。

“ラブレターの中では、私、
照れくささを捨てることに
決めました。

あなたへの思いを打ち明ける。
そんな大切なときに、照れて
なんかいられないと思ったか
らです。

だから、何を書いても、私のこ
と「恥知らず女だ」なんて、思
わないでね“。

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『創業121年』

[出逢いも 心の中で ブリュー・ミュージアム 佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月24日 05時53分30秒 | owarai
【コラム:】
昼のうちから、ずっと気になっ
ていた。けれど、彼はこちらに
気づいていない。

貸しボート屋のパラソルの下で、
客がくると手際よく応対し、て
きぱきとポートを渚まで運び、

オールをはめこむ。膝元まで
水に入りながら、海へ客を乗せ
たボートごと押し出す。

特別、目立つ様子ではないが、
時とりの表情があどけなく、さ
わやかだった。

一緒にきていた女友達は、ボート
屋の青年になんて目もくれず、
もっと派手に騒いでいる男だけの
グループなどに周波を送っていた。

特にそのグループのなかのひとり
が、二宮和也に似ているといって。
目当てはその子らしい。

いつもの夏のパターンだ。渚のかけ
ひき。陽気にくり広げる、ノー天気
なゲーム。若さにまかせた、海なら
ではの解放感。

私は、今ひとつ、いつも乗り遅れた
感じでぼんやり水平線をながめ、
寝そべっている。

けれど今年は、最初からそのボート
の青年が、気になり始めた。

みんなの趣味とはズレているの
だろうけど、彼の動きを見ている
のは楽しかった。

私はなんとなく手持ち無沙汰に、
みんなから離れて夕日を見ていた。

海はハレーションがきれいだった。
泳いでいる人影も黒い点になり、
波打ち際は、逆光のシルエットに
なる。

気がつくと、あの彼が、海に入っ
ていくところだった。

今日一日の
仕事から解放されたのか、大きく
伸びをして、波をひとつひとつ
かわしながら、腰のあたりまで
水につかった。

思いがけなく、彼が、目の前の
波打ち際にひょっこり現れた。

いつ戻ってきたのだろう。少し
荒い息をして、腹筋が上下した。

視線が合って、彼はにっこり笑
った。そのまま近づいてくる。
私はあわてて、うつむいて爪先
で砂をいじっているポーズを
作った。

彼は、仕事中の口の利き方より
も気軽な調子で声をかけた。

そばで見ると、糸きり歯がアク
セントのように目立ち、さわやか
な笑顔だった。

「ずいぶん泳ぎ、うまいんですね。
すごく速くて、水すましみたい」

「やあ、まだ宿へ戻らないの?」

「明日、まだいるんでしょ。俺、
午後ヒマだから、ボートただで
乗せてあげる。
いや?女同士のほうがいい?」

私は思わず、違うというふうに
首を大きく振った。
「じゃ、明日ね」

彼は、砂を蹴るように走ってい
った。そのあとを小犬がじゃれ
て、ついていく。

暮れかかった海辺で、そこだけ
スローモション・フィルムのよ
うな絵柄に見えた。

彼はこちらを向いて、手を振っ
た。私も手を振り返し、
・・・水すまし、糸切り歯・・・

と、つぶやき、渚に背を向けて
から、思わずほほえんだ。

・・・・・・・・・・・・・
夏のプロローグ 気がつくと
しなやかに心は踊る

その年のまっさらな思いでづ
くり

ワンショットでいい 飾るシー
ンも

それがいつか 大きく季節を
超え たくさんのドラマを

生むかもしれない

揺り返す波の ストップモーシ
ョンのように

出逢いも 心の中で 一時停止
した情景

出来れば 絵葉書のように 
壁のピンで止めたい

胸騒ぎも 予感も 出来れば
凪いだ海のように

おだやかな 包みこむような
恋であってほしい

誘惑ほどに 大げさじゃなく
さざなみほどの

ときめき きらめきの心で・・・

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『創業121年


「してあげられる幸せ」を大切にブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月23日 05時07分30秒 | owarai
【コラム:】
幸せには三つあることを
知っていますか?

一番目は、やってもらう幸せ
です。皆さんが赤ちゃんのと
き、お腹がすけば泣いたし、

おむつが濡れれば泣きました。
するとお母さんが飛んできて、
おっぱいを含ませたり、

おむつを替えたりしてくれま
した。

皆さんは幸せでした。これが
やってもらう幸せです。

二番目は、自分でできるよう
になった幸せです。字が書け
るようになった。一人で自転
車に乗れるようになった。

サッカーがうまくなった。こ
れが自分でできる幸せです。

なんでも自分でできるように
なると、偉くなった気がして
嬉しいものです。

でも、その次があるのです。
それは、人にしてあげられる
幸せです。

人がしてほしいことをしてあ
げれば喜ばれますね。

そんな人は頼りにされます。
してあげる幸せは三つの幸せ
の中でも最高のものです。

私たちは、いまだに「して
もらう幸せ」ばかり求めて、
絶えず不平不満ばかり言って
います。

「してあげられる幸せ」を
噛みしめたいものです。


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『創業121年』

「泥棒たちの“メイン・バンク”」ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月22日 05時30分35秒 | owarai
【コラム:】
ドストエフスキーの『死の家
の記憶』に、六十歳ぐらいの
小柄な老人が登場する。

彼は非常に開放的な性格で、
陽気でよく笑う。

静かな明るい笑いで、子ども
のような素直さがあふれてい
る。

舞台は監獄だ。そして獄内の
人はほとんどが泥棒だったが、
ほとんどがすべての囚人が
彼に金の保管を頼むように
なった。

では他人を一度も信用する
ことなく生きてきた泥棒が、
なぜ彼を信用したのだろう
か?

人から信用されるには笑顔
も大切ではあるが、それだ
けで信用が生まれるもので
はない。

この老人は、まず相手を信
じる人だったから信頼を勝
ち得ることができたのです。

相手から何かを得る前に、
まず相手を信じる人だった
から信頼を勝ち得ることが
できたのです。

相手から何かを得る前に、
まずこちらから何かを与え
ることが、人間の交わりに
おいては最も大切なことです。

信頼されるためには、まず
相手を信頼しなければなりま
せん。

人から信頼される人は、人を
信頼する心の強い人です。

信頼されることの少ない人は、
人を信頼することの少ない
人だとも言えます。

それが「エコーの法則」です。
「他人を信頼するには、相手
が誰であろうとすべての人を
信頼するしかありません。

前提として、最も身近な自分
自身を信頼すること」ことです。


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『創業121年』

「木の芽時」ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月21日 04時38分27秒 | owarai
【コラム:】
『今日の営業16:00で
終了。ごめんなさい』。


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『今日の営業16:00で
終了。ごめんなさい』。
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「木の芽時」
日本の四季は春夏秋冬に
はっきり分かれているが、
その間に微妙なニュー
アンスをもつ一時期がある。

春だけをとりあげても、初春、
早春、晩春といったように、
その言葉を聞いたとたんに

それぞれの季節の雰囲気から
精神に及ぼす感じかたまで
伝わってくる。

それは季節をこまかく分類し
ているのではなく、お互いに
目に見えぬ糸でつながりつつ、

自然に春が育って行く様を表
しているのである。

中でも「木の芽時」というのは、
ものみな萌える春を象徴する
言葉として独特のもだろう。

もともと春は張るから出た言
葉で、和歌の序詞(じょことば)
として、「木の芽もはるの何々」
といったように用いられてきた
が、

やがて木の芽といえば山椒の
花や芽を意味するようになり、
樹木から茶の若葉に至るまで
そう呼ばれるようになった。

したがって木の芽時という時間
は、短いし、長いといえば早春
の終わりごろまら晩春までつづく
のである。

昔から木の芽時は、健康によく
ない時期といわれて来た。
木の芽が動く時は、人間の心身
も不安定になるからで躁うつ病
の人にはこたえる。

一年中でももっとも美しいこの
季節には魔性がひそんでいるら
しい。

昔の人々は長い経験からそうい
うことを知っており、多くの神
社や仏閣で、「鎮花祭」や「御
霊会(ごりよえ)」が行われた。

京都の今宮神社で現在も行って
いる「やすらい祭」も、花鎮め
の行事の一種で、

「やすらい花や」(花よ、静かに
お休みなさい)と囃しながら踊
ることによって、

物の怪をなだめるとともに、人
心の不安を排除したのである。



『創業121年』

『信頼の「山びこ」効果』:ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月20日 05時30分55秒 | owarai
【コラム:】
ノートルダム精心学園理事
長の渡辺和子さんが、

「なってほしい相手の姿、
つまり信頼に値する姿は、
当方の信頼によってのみ
実現できる」と、

次のような体験をもとに
語っています。

あるとき、一人の学生から
葉書が来た。
「先生の靴は、誰が磨くの
ですか。いつ見ても光って
いますね」と書いてあった。

それまでは何の気なしに、
汚れたと思ったら磨いてい
たのが、その手紙を受け取っ
た後は、

光った靴を履いていなけれ
ば申し訳ないという気持ち
になったから不思議だ。

私は山の手線で座れると、
向かい側に座ってらっしゃ
る方の靴を自然と見ており
ました(笑

イタリヤの女性は、男性の
靴下をチェックしその人を
判断していました!?
余談ですゴメンなさい。

本題に戻り、たとえば人から
「あなたは穏やかな人ですね。
いつもニコニコしていて明る
いと、もっぱら評判ですよ」
と言われたら、

その後、嫌なことや腹の立つ
があっても、努めてにこやか
にしていようと努力するはず
です。

しかし、人は期待に応えて生
きることを忘れてはいけませ
ん。

北朝鮮に誘拐された横田めぐみ
さんのお父様、横田滋さんは
いつも穏やかに救いの手を
国民にお願いされております。

人を信頼することによって、
信じ合う心をお互いにつくっ
ていくことです。

信頼できる部下や友がいない
と嘆く前に、自分が人を信頼
しているかを自問してみよう。

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『創業121年』

「最初に“手招きする人”が肝心」ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月19日 05時28分12秒 | owarai
【コラム:】
「人の心は生まれながらにして
善悪はない。善悪は緑に出会っ
て起きるものだ。

たとえば、仏道修行の心を起こ
して山に修行に入るときは、山
の中は静かでいいが、俗世間は

煩わしいことがいっぱいでよく
ない、と思う。

ところが最初の気持ちがどこか
へ飛んでしまって、退屈になっ
て山を出るときは、山の中は駄
目だと思う。

これは取りも直さず、心には、
一定の形があるわけではなく、
緑というものにめぐり会って、

どのようにも変わっていくもの
である、ということだ。

そういうわけだから、善い縁に
会えば心は自然とよくなるし、
悪い縁に近づけば自然に悪くな
る。

自分の心が最初から悪いと思っ
てはいけない。ただただ、善い
縁から善い縁へと、そちらの緑
に従っていくべきである」

子どもの非行などがよく問題に
なりますが、これも「縁」が原
因でしょう。

最初から悪い子がいるわけでは
ありません。

まず最初の交わりとなる親がど
ういう人格か、付き合う子がど
ういう子かが問題なのです。

日頃の身近なことにも気をつけ
てやることが大切です。




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『ほんとうの名前は何か』ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月18日 05時07分35秒 | owarai
【コラム:】
『ほんとうの名前は何か』
むつかしくいえば、『汝自信を
知れ』のひと言につきると思う
が、

案外人は自分のほんとうの名前
を知らないもので、会社で課長
とか部長とか呼ばれている間に、

それが名前の一部のようになり、
それをヌキにすると本来の自分
ではないような気がする時があ
る。

仏教では死ぬと戒名を貰うが、
これも背後に「ほんとうの名」
という思想を持っているから
だろう。

だが、最近はお布施によってい
かようにも変えられるそうだか
ら、アテにすることはできない。

昔は元服という儀式があって、
前髪を切り落とした。

これは首を斬ることの象徴的な
行為であり、その時子供は死に、
大人に再生し、子供の名は捨て
られて、大人の名前がつけられ
る。

牛若丸が義経に生まれ変わるの
である。

現代にも成人式というものがあ
るが、選挙権のおみやげ付き
で成人になっても、元服の感動
は得られまい。

それは儀式ではなくて、おまつ
り騒ぎの一種にすぎないからで
ある。

人生の節目節目で行われた儀式
を失って以来、人間は不幸にな
ったのではあるまいか。

現代の大人たちが、いつまでも
子供の殻をひきずっているのは、
早くに親離れをするだけにも
劣るし、

会社に入れば会社が親がわりに
なって面倒を見てくれる。
一生ほんとうの名前を知らない
名無しの権兵衛で終わるのは
当然のことといえよう。



野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業121年』

「心の床の間に一輪の花を生ける」ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2016年05月17日 05時34分55秒 | owarai
【コラム:】
座敷に床の間があるのとない
のとでは、落ち着きがぐんと
違ってきます。

空間的な余裕だけでなく、そこに
花や書画があれば、私たちの心を
和やかにしてくれます。

同様に、私たちの心にも床の間を
設け、余裕を持つことが大切だと
言った人がいました。

心の床の間とは、わずかな時間で
もいいから自分の日頃の心を振り
返り、考える時間を持つことだと
思います。

そして、心の床の間に生ける花や
掛ける書画として、読書や話を聞
いたりして感動した短い言葉を、
自分の心の緑(よすが)として
記憶しておくことです。

自分を支え、リードする言葉を
見つけて、日々の生活をするなら、
自然に自分の人生が楽しく生き生
きとしてくるはずです。

臨済禅師は、「随所に主となれば、
立処皆真なり」と教えています。

いつ、どこでも、自分がやる気に
なって事に当たるなら、あなたも
あなたのいる所も、ともに充実する
という意味です。それが楽しく生
きるコツです。
野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業121年』