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復興小学校の残り時間

何故か現存する復興小学校のリストなんぞを作っているプラナリアです(汗)。

で、この復興小学校というのは関東大震災で被災した木造校舎を建て替えた
鉄筋コンクリート造の校舎群を指します。
プラナリアはたしか雑誌「建築知識」の連載で四谷第五小学校が紹介された時に
初めて「復興小学校」という言葉を知ったのだと思うのだけれども、
じつはこの四谷第五小学校は厳密には復興小学校ではなく改築小学校と言うのであった。
(木造の校舎で被災しなかったけど、この際だからと鉄筋コンクリート造に改築したのが改築小学校)



まあ、その辺の言葉の定義はさておいて、実は来年は「震災復興80周年」の節目の年らしく
(1930年3月に帝都復興祭という博覧会が行われたそうだ)、
んじゃあ東京では117校建てられたという(狭義の)復興小学校は現在いくつ残っているの、
という話が出てきている訳なんだけれども、どうも20ちょうどしかないということになりそう。
この17パーセントという数字が多いか少ないかは議論が分かれるところですが
20の内学校として使われているのはインターナショナル・スクールを入れて11、
相応の保存改修措置を経て用途転用されているのは3、
どうなっているのか、あるいはどうするつもりなのか良く分からないのが6、
と言うのが今のところの把握状況。

この中には東京都選定歴史的建造物が3件(内学校は2)あるみたいなのだけれども、
これとは別の現役小学校3校がどうやら改築に向けて動いているらしく、なんとも寂しい限り。

あと、横浜の復興小学校は絶滅したと言われているけれども、実は横浜私大医学部の跡地に
校舎の半分と体育館が現存しているというのは一部では良く知られている話だ。
近隣からは空家→廃墟化→怖い・危ない、でこれも解体に向けて動いているようだが、
うう、そんなことでいいのか?横浜市?

写真は待乳山小学校と田中小学校の統合で誕生した東浅草小学校(2008年1月撮影)。
校舎は復興小学校である待乳山小のものを改装して使用しています。
一見普通っぽいけど、微妙にごついのと、玄関廻りのデザインでそれと分ります。
(塀の支柱だけ表現主義引きずっているところがかわいらしい)
地域のキーとなる学校施設なんかは、やっぱりこうやって元の用途で普段使いされていくのがいいよね。

(091110・訂正)
東京都選定歴史的建造物の件数を4→3(3→2)に訂正しました。
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