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九里 【九里】を探して三千里

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肥前基肄郡(きい・ぐん) 古代からのつながり 番外編

2018-04-23 | 紀氏
神功皇后とのかかわりを探っていて、いつも共に行動をしていたらしい「武内宿禰」が「紀氏」の祖であることに今更ながら気が付き、そこを掘ってみることにした。(以前から知ってはいたがピンと来ていなかった。)

紀伊国の「武内神社」の伝承では、http://kamnavi.jp/ki/city/takeuti.htm
(しかし、この著者は生誕は九州説が有力と書かれているし、私もそう思う。)
 近くに武内宿彌誕生井がある。 この当たりで生まれたとされる。紀氏の傍系であったが、本流が途絶えたこともあって本家になった。 数代の天皇に二百年以上仕えたとされているが、子々孫々同じ名前を名乗る事は、商家、役者等にもある。

 日本書記には武内宿彌を祖とする氏族として波多氏、巨勢氏、蘇我氏、平群氏、紀氏、葛城氏をあげている。

天皇家以外の大臣の系譜が詳細に記されているのは珍しいとされている。

権力中枢における紀氏の大きい力を証明するものとの説もあるが、それよりも武内宿彌が限りなく大王に近い存在であったと理解しておく方が正しいと思われる。

 武内宿彌を祖とする各氏族と同じ地名が福岡県の中央部の甘木市の周辺と大和(紀氏は肥前基肄郡と紀伊)に分布している。集団での氏族移動のあったことを示唆している。


日本書記には武内宿彌を祖とする氏族として波多氏、巨勢氏、蘇我氏、平群氏、紀氏、葛城氏が挙がっているそうである。

http://zan35441.on.coocan.jp/sub11-21.html

紀氏との関係は、その後も続き、近江国では「木村氏」として佐々木神宮職を相続し、また日牟禮八幡宮も「創建:伝131年
で、成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが草創とされている、そうである。

以前記事にした際には、なぜ武内宿禰が…と思ったものだが、今では納得もできる。

そして、【木村氏】のみならず、【井氏】【平井氏】【堀氏】【一井氏】(櫟氏)【井上氏】【相賀島氏】【浅小井氏】【深尾氏】
【山田氏】【奥島氏】【馬場氏】【新屋氏】【三上氏】【虫生氏】もその仲間となると思う。

そして、【田中氏】【滋野氏】も、である。

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/s_iked_k.html

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