九里 【九里】を探して三千里

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尾張国丹羽郡浅野庄 と 美濃国浅野庄 共に土岐氏が関わっているのではないだろうか? 

2020-10-15 | 土岐氏

又、土岐氏を再考する機会を得ているのだが、
今回は「浅野氏」に注目してみたい。
この「浅野」という地名と氏名が思わぬことに良峯姓とも関係が出てきそうなのである。

土岐光時のwikipediaには「岐阜県土岐市肥田町浅野に居住し…」とあるが、
美濃国土岐郡浅野(浅野館)
尾張国(愛知県)丹羽郡浅野庄

この二つの「浅野」は30Kmの距離にある。
大体だが、「陶史の森」から「春日部市」の距離となる。

==*==
またまた良峯姓のこのページの登場となる。


http://www.md.ccnw.ne.jp/rekishi_tajimi/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E4%B8%AD%E3%83%BB%E6%9C%AB%E6%9C%9F%E4%BB%A5%E9%99%8D%E3%81%AE%E4%B8%B9%E7%BE%BD%E9%83%A1%E3%80%80%E8%89%AF%E5%B3%AF%E5%AE%B6%E3%80%85%E7%B3%BB%E5%9B%B3%E3%82%92%E9%80%9A%E3%81%97%E3%81%A6.html


元久以後、小弓荘代官と地頭 中務丞国盛の地頭代により、大縣社領の散在する小弓荘内の地は、管理されていく。
ところが、大縣社領の領家が、建保3年 1215年 上皇に近い藤原兼子になり、小弓荘内の神領に対し、今までの慣習を破り、直接 京より使者
を遣わして実地検分をしたようです。
それが、下記年不詳 某申状二通であったようです。丹羽郡司 高光の所領 稲木庄(郡司家の基礎をなす所領)も、土岐一族の手に渡っている。建保4(1216)年以降でありましょう。

承久2(1220)年11月17日に山賊追捕の功により、時の鎌倉幕府執権 北条義時は、方県郡内の貞清郷と重次郷石谷郷)の地頭職に土岐光行を補任したという。( 土岐文書 )
この地域は、もともと土岐一族の同属がいるところであり、あるいは二宮に関わった高範・高国なる人物は、土岐系に関わる人物とも推測できるのでは・・。
光行は、後鳥羽院西面の武士であり幕府御家人であり、新たな大縣社の領有者となった藤原兼子は、後鳥羽天皇の乳母という関係から後鳥羽院に重用された人物であり、土岐氏とも繋がりが強いと推察出来る点、高範・高国は、土岐系の人物ともとれそうです。あくまで仮説でしかありませんが・・・。

原与三郎高国である。

その名はコトバンクにも出てくる。

【原氏】より

…中世武家で,諸流がある。(1)尾張国丹羽郡司良峰氏の一族。高成が二宮(丹羽郡大県(おおあがた)社)大宮司となり原大夫と称したのにはじまる。その子高春は平忠度の伯父であったが,母が上総介広常の妹であったため源頼朝軍に参じた。その後広常に縁座して本領をいったん没収されたが,1184年(元暦1)返付されている。その子高直のとき,地頭職を没収された。高直の甥高信は,堀尾朝綱と畠地相論をしている。高国は二宮社官として二宮田所職をあてがわれていたが,1295年(永仁3)二宮雑掌と地頭職・田所職をめぐって相論している。…

高春ー高直ー
     - 高信…堀尾朝綱と相論
     - 高範…土岐氏とつながりのある人物
     - 高国(原弥三郎高国)…土岐氏とつながりのある人物 (二宮雑掌信氏と相論)

という事は、高直の所領が没収されたのか、婚姻関係か何か理由があって土岐氏に譲ったのか…何かしらあった事になる。
つまり良峯姓原氏と土岐氏はどこかでつながっているのだ、と思う。

それが「富木氏」であったなら、富木→原→土岐となりおもしろい!のだが、どのように調べていくと証拠となるのだろうか…



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