九里 【九里】を探して三千里

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山内一豊の養女は「安東郷氏の娘」  安東郷氏の妻は「山内一豊の姉」 だそうだ。さらに郷氏の娘は「乾和宣の室」となる。

2021-01-29 | 山内・伊賀・深尾・下河辺・野本・結城

山内一豊を調べ始めたところ、安東氏とのつながりが見える。
この安東氏は遡ると「伊賀氏」。
美濃国へ渡った「伊賀光資」の系であった。(途中稲葉氏と成るがまた伊賀氏に戻り、その後安藤氏、更に後に安東氏と成る。…その後また伊賀氏と成る。)

つまり、このような戦国の世に有ながらも(戦国の世だからなおさら?)藤原秀郷流とのつながりを大事にしていることがわかる。

安東郷氏を調べると「天正8年(1580年)、兄・守就らと共に信長の勘気を蒙り美濃武儀郡に幽居。はじめ親族の稲葉良通(一鉄)が扶助をしてこれを支えたが、信長の勘気が収まらず、次第に扶助しづらい状況となったため、美濃安藤氏の家臣も多く浪人となった。」とある。

安東郷氏の娘が乾和宣の室となったのも、もともと武儀郡にいた乾氏裔とのつながりがあってのことだったのではないだろうか?


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%9D%B1%E9%83%B7%E6%B0%8F


安東郷氏の息に「山内可氏」がいる。
元亀2年(1571年)、美濃国本巣郡北方七間の城主・安東郷氏の子として誕生した。 一豊の甥である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%86%85%E5%8F%AF%E6%B0%8F

===*===

美濃安藤氏(途中から安東氏)の系図(wikipediaより)



系図によると山内保氏は深尾氏(深尾苞実の三男)で、1600年中ごろから、深尾氏と山内氏は頻繁に婚姻関係・養子関係を結んでいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%86%85%E4%BF%9D%E6%B0%8F

http://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who8-18860

「當家は近江源氏眞野太郞定義の嫡男刑部行信の後にして六世を經て深尾重良に至り高知藩祖山内一豐に仕へ其客臣となり土佐國佐川一萬石を食む更に十世を經て重先(鼎と稱す)に至り維新の際勳功あり其孫重孝明治三十九年特旨を以て華族に列し男爵を授けらる卒するに及び嗣子なし」

この深尾重良の妻は安東郷氏長女と…なっている。

この辺りから、私的にはすごいことがわかってきた! 長くなるので次の記事へ。



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