九里 【九里】を探して三千里

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突如、迷路に入ってしまった。 頼春・頼遠・頼員 の問題。

2021-01-16 | 土岐氏



土岐頼遠若クハ頼春ナルベシ

この時代一人がいくつもの名前を持っていても不思議ではない。
また、土岐氏は人数が多いため、同名の者もいるかもしれない。

頼遠=頼春、と成るならば、頼春=頼員であるとの「正中の変」の人物はどうなるのだろうか?

頼遠は頼貞の息で、酒に酔ってではあるが、駕籠の中の天皇に不遜な言葉を投げかけた「婆娑羅」な人物と思う。この人が、若いころは「頼春」であった…?

もしくは、同じ名前が嫌で、途中で変更したなどとも考えられる。

先の「正中の変」の土岐頼〇は、頼員で、読みが「よりはる」なので、「頼春」かもしれない、と誰かが考えたのかもしれない。

それとも、頼員=頼春=頼遠と、同一人物という事もあり得るのだろうか?

系図は様々で、どれも少しずつ違うので、私には判断ができない状態である。


===*===

東京大学の史料編纂所DBでわかった事は、

頼遠と道謙、ともに行動していること。


web情報でわかった事は、

頼遠の息子たちは厚見郡の隣の本巣郡に移り土着したと伝わる。

一方、1352年頃の頼夏たちは近江国舟木庄に隠れ住み、その後「土岐庄」に移り住んだこと。
(群書類従)‥‥美濃国の船木庄ではなく「土岐庄」!!


尾張国の前野氏と近くなる。(私のつぶやき)


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