「若しくは」なので、どちらかだ!という意味とすれば、別に同一人物でなくともよい。
両人とも同じような立ち位置で働いていたという事かもしれない。
頼春は左近蔵人
頼遠は左近将監
…という事は、頼春は「正中の変」の後も、そのまま働いていたことになる。
しかも、尊卑分脉系図には頼春も「左近将監」とある。(建武二年)1335年
1342年に狼藉で誅されているはずの頼遠なので、其の跡を頼春が継いだという事のようである。
解決した!
其の頼春は、1324年のあと1335.1336年位までは文書があり、確認できる。


建武三年の文書は頼遠ではなく、頼春のものであろうと思う。
