九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

鏡作氏が疋田氏とつながる 【日置田】だという!

2020-11-13 | 古代からのつながり

このページがおもしろい!
鏡を作っていた氏族であったと勝手に思っている「九里氏」にも大いに関係がありそう。

http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/kagami1.htm


途中から疋田氏の名が出てきている。

『姓氏家系大辞典』の記事から考えると、国名の加賀は鏡に由来しそうな感じがある。たしかに鏡は加賀見とは書くが、これまでそうした考えを私はもつことはなかったが、加賀に鏡庄があり、伯耆の名和氏の族に鏡氏があって、それが出雲国島根郡加賀郷より起こるかという記事を見れば、なるほどそうなのかと思われてくる。北陸に繁衍した利仁流藤原姓の斎藤流の系図を『尊卑分脈』に見ると、「疋田左衛門尉以成-千田九郎以房-鏡斎藤六以家……」という記載があり、千田が芹田物部の芹田に通じ、疋田が天孫族に縁由が深い「日置田」であるが、芹田郷が加賀国加賀郡の地名として『和名抄』にあげられるから、鏡斎藤氏は加賀に起こったとみられる。千田・疋田は、現在は金沢市域の河北潟の南方に近隣して見える(ちなみに、越前国坂井郡でも現・あわら市疋田と坂井市丸岡町千田が近隣する事情がある)。
 『和名抄』には、摂津国菟原郡覚美郷も見えており、「覚美」はカガミで、凡河内国造の領域にある地名である。この比定地は神戸市東灘区御影あたりで、御影は鏡そのものや三上祝等の祖神・天御影神に通じ、当地には綱敷天満神社がある。近くの灘区国玉通には菟原郡式内社の河内国魂神社(五毛天満宮)があって、ともに凡河内国造が奉斎したとみられる。三上祝の系図には、崇神朝頃の人として大加賀美命という名も見える。三上祝も凡河内国造もともに、意富伊我都命の後裔氏族だから、鏡作氏の系譜も同様に位置づけるのが穏当なところであろう。麻気神社は、近江国の式内社でも高島郡の「麻希神社」(高島市マキノ町牧野の山神社に比定される)として存するから、鏡作氏は近江に縁由が深いといえよう。
 以上の諸事情からすると、近江の三上祝の初期分岐として鏡作氏が発生したとみるのが自然である。

上から順に読んで行った方がよくわかるので、ご興味のある方は、是非すべてを読んでいただきたいと思う。

銅鐸と云えば、清原氏も関係しているので、やはり清原氏と斎藤氏はどこかで(祭祀関係で)繋がっていたのだと思う。

===*===

更に疋田斎藤氏の祖の弟から始まる「河合斎藤氏」ここに「木田氏」がいる。
忘れないうちにmemo的に置いておく。(福井県史)



===*===

以前高島の日置神社を調べたが、「日置田」と関係ないだろうか?
何でも関係があると思い込みすぎか…笑





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大江通景 以成 藤原爲盛  | トップ | 「トキ」とは「日の出」を現... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

古代からのつながり」カテゴリの最新記事