中原師任 ー 貞親(尾秋時時の息) ー 広宗(この人が広忠と宗政の父)
広忠は(忠順・広季)ー(親能・広元)…と続き、カッコ内は兄弟である。
下記は宇都宮氏となった中原氏である。
宗政は宗家ー宗綱ー朝綱…と続く。
宗綱の弟に宗房がおり、孫が信房となる。


稚拙とは思うが、当ブログ内の「中原の系図 の中の 宇都宮氏との接点」の(1)~(4)で、それぞれの事跡について簡単に調べてある。
さて中原氏のどこかに嫁いでいると思う中原久経の母だが、系図内には見当たらない。しかも「経」や「久」の通字の人物がいない。
とすれば、京都にいる時に、近江国の中原に嫁いだか?
こちらは「経」が通字でもある。
久経の息か甥かと思われる「政経」も伊香郡に逼塞していたらしく(政恒法師)鎌倉幕府に出てこい…という文書も残っているため、やはりここに帰結するのか。
素直に考えると年代的にも「経任の父=賢清」が当たりそうなのだが。賢清という名を僧名として見ると、東寺観智院の蔵本「真言付法血脉 仁和寺」(高野山密教文化研究所 紀要)にある。
しかし、それが中原久経とは断定できない。が、文治三年は1187年で、鎌倉殿御使の二年後となる。年代的にはぴったりである。

もしくは、系図には出ていない経任の兄弟としての久経という可能性もある。
久経が1145年生まれとした場合は経久(1175年生まれ)は息カ甥となると思う。