九里 【九里】を探して三千里

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賀茂成助が藤原季仲と、賀茂成継が藤原忠教・難波頼輔とつながっている事

2018-07-04 | 九里バラバラ情報
【賀茂成助】の娘が藤原季仲の妻となり「仲願」を産み、【成助】の息【成継】の娘が「藤原忠教」の妻となり飛鳥井の祖である「難波頼輔」を産む。そして頼輔の孫である【飛鳥井雅経】の妻が【大江広元】の娘であった。

大江広元の娘との間に【飛鳥井教定】が生まれ、教定の妻が【北条実時】の娘か【源定忠】の娘であろうとwikipediaに出ている。

もう一度賀茂氏の古い系図を見てみると、「経遠」が見つかった。この人物が九里の祖の一代前の「経任」であろうかと思う。

その息は懸け次「経久」「経茂」(経重)茂秀(重秀)と続く。

成助の末裔が九里だとし、成継の末裔が飛鳥井となれば、「門員也」の説明がつく。(写真がどうしても言うことを聞いてくれず…横のまま。)



いやいや、これは単に九里の家の者に渡した…という意味の「門員」かもしれず、飛鳥井氏が苦笑をしているかもしれない。
しかし、秘伝などその家にとって大切なものを単なる一武士に貸したり、授けたりするだろうか?

他にもらっている人の名前を見ると、土岐民部大輔・大内左京大夫とあったり、朝倉孝景であったりと、そうそうたるメンバー(といっても前の二人のことは知らないが…)なのである。

なぜ九里伊賀守は今回見つかったもの2通、九里員秀に五部抄1冊、九里門員に(これは借りたのかも?)1通、もらっていたのだろうか。

このことは、藤原季仲の系であった事の証ではないのだろうか?

そうなれば、賀茂の系図中の(経遠)・経久・経茂とつながるラインはイコール九里の祖として近江国御家人井口・中原系図のなかにある人と一致するということになり、飛鳥雅康とも近い所にいることとなる。
大江広元の娘婿であった雅経とも近かったであろうと推測できる。


しかし、横山党などの藤原秀郷との関係もあるようなので、その部分と今回の藤原・賀茂・大江のラインがどこかで交差しているのだと思う。
多分季仲の配流で「常陸」に着たあたりから、だと思うのだが。(これからの課題)

横山・小野・佐伯・波多野・太田・結城・小山・小倉・山内…




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2 コメント

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藤原季仲と言えば (自閑)
2018-07-05 19:34:54
kunori様
藤原季仲と言えば、四条佐井近辺を御堂の痕跡を探した思い出が残っております。
京都市内に平安の面影を探す楽しみが出来て、大変楽しかったです。
北海道は、大雨とか。北海道の梅雨も普通になるように成りましたね。
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急な申し出に応えて下さって (kunorikunori)
2018-07-05 21:31:13
自閑さま
その節は、急な事でしたのに、ありがとうございました。今年、その近くを通りました!
さて、飛鳥井雅経のwikipediaに「鎌倉幕府の招きによって鎌倉へ度々下向し、3代将軍になった実朝と藤原定家・鴨長明との間を取り持っている。」と自閑様のお好きな長明の名前が出てきて、お伝えしたいと思っておりました。
長明も蹴鞠もできたのかもしれませんね。
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