蛇と鏡
蛇は「カカ」「カガ」と呼ばれていた。(吉野裕子「蛇 日本の蛇信仰」)とweb情報にあった。
加加都久利の「カカ」は、ココから来たと思われます。
wikipediaの蛇の記事からピックアップ。
日本の古語ではヘビのことを、カガチ、ハハ、あるいはカ(ハ)等と呼んだ。民俗学者の吉野裕子によれば、これらを語源とする語は多く、鏡(ヘビの目)、鏡餅(ヘビの身=とぐろを巻いた姿の餅)、ウワバミ(ヘビの身、大蛇を指す)、かかし(カガシ)、カガチ(ホオズキの別名、蔓草、実の三角形に近い形状からヘビの体や頭部を連想)などがあり、神(カミ=カ「蛇」ミ「身」)もヘビを元にするという(『蛇―日本の蛇信仰』1979年、法政大学出版局)。
ただし、カガチはホオズキの古語、鏡の語源は「かが(影)+み(見)」、カカシはカガシが古形であり、獣の肉や毛髪を焼いて田畑に掛け、鳥や獣に匂いをカガシて脅しとしたのが始まりであって、それぞれ蛇とは直接の関係はないというのが日本語学界での通説である。
日本:ヘビは太古から信仰を集めていた。豊穣神として、雨や雷を呼ぶ天候神として、また光を照り返す鱗身や閉じることのない目が鏡を連想させることから太陽信仰における原始的な信仰対象ともなった。
もっとも著名な蛇神は、頭が八つあるという八岐大蛇(ヤマタノオロチ)や、三輪山を神体として大神神社に祀られる大物主(オオモノヌシ)であろう。弁才天でも蛇は神の象徴とされる場合がある。
大神神社や弁才天では、神使として蛇が置かれていることもある。蛇の姿は、男根、剣、金属(鉄)とも結びつけられることから男性神とされる一方、豊穣神・地母神の性格としては女性と見られることも多く、異類婚姻譚の典型である「蛇女房」などにその影響を見ることができる。
この他、蛇そのものを先祖とする信仰もみられ、『平家物語』の記述として、「緒方維義の祖先は明神の化身たる大蛇という伝説(緒方家における祖神信仰)があり、その話から武士達が集まった」と記され、祖蛇信仰が権威として利用されたことがわかる内容である。
・・・とまあ、古来の人々は、蛇と鏡が近いように感じていたらしいことが分かります。
~~~*~~~
蛇とは関係ありませんが、鏡の渡という伝承を見つけました。
肥前国東松浦郡
鏡神社のあった近くです。
鏡の渡
昔、檜隈の盧入野の宮『(ひのくまのいおりののみや、現在の奈良県高市郡明日香村檜前)』に天の下を治められた武少広国押楯(宣化天皇:継体天皇の息)のみ世に、大伴の狭手彦連を派遣して、任那の国を鎮めさせ、かたがた百済の国を救援させ給うた。狭手彦は命を奉じてこの村まで来て、篠原の村の弟日姫子を妻問いして結婚した《日下部君らの祖である》。
この姫は顔かたちは端正で美しく、人の世にすぐれた絶世の美人であった。別離の日になると、〔狭手彦は〕鏡をとり出して愛人に渡した。女は悲しみ泣きながら栗川を渡ると、贈られた鏡の紐の緒が断れて落ち、川の中に沈んだ。そのことによってここを鏡の渡と名づける。
平凡社ライブラリー『風土記』より
宣化天皇は、
飛鳥時代から平安時代初期にかけて有力豪族・上級貴族として繁栄した多治比氏がある。また、その末裔に武蔵七党の丹党がいる(同じ武蔵七党の私市党にも多治比氏の末裔とする説がある)。一説に、飛鳥時代の歌人・額田王は宣化天皇の4世孫(玄孫)とも言われる。
ここで、近江国鏡とつながるかもしれない?様な気もします。
~~~*~~~
龍神と鏡はどうでしょうか。web情報より
鏡渡の龍神
山梨県上野原市鶴川
鶴川にかかる鏡渡橋は、川面からの高さは町内第1を誇る橋である。
昔、この橋の下の深い淵に棲みついていた龍が、僧の姿に化身して、毎夜近くの家の娘に会いにきた。どこの寺の僧なのか、だれも知るものがなく、家人は大変心配した。この僧がいったいどこからやって来るのか、調べたいものだと知恵を絞ったあげく、家人はこの僧の衣に長い糸を縫いつけてみた。翌朝、その糸をたぐっていくと、深い淵のわきに茂っている老木の中に消えていた。家人は、これはきっと龍神の仕業に違いないと考えて、その場所に龍神を祭ったところ、それからは、僧は現れなくなったという。
『上野原町誌 下』より原文
~~~*~~~
web情報では、「龍・蛇 = 鏡 = 龍神・蛇神 = 太陽神」という式も書かれておりました。
松浦の鏡神社のHPもでてきました。
http://kagami.or.jp/keidai/ryuujin/
大和国 宇陀 室生にある「室生龍穴神社」鏡との関係は…天の岩戸がここにもあるので、やはり鏡は必要だったのだと思います。
http://www.city.uda.nara.jp/sin-kankou/guide/shrine_temple/s09.html
宇陀は、九里氏が江戸時代初期に住んでいたところです。
~~~*~~~
web上での寄せ集めでした。
次回こそは、『石園坐多久虫玉神社の祭神と竜神(竜王)』をご紹介したいと思います。(田中昭三氏の「記・紀」「大和志」の片塩の都・浮孔の宮考)
蛇は「カカ」「カガ」と呼ばれていた。(吉野裕子「蛇 日本の蛇信仰」)とweb情報にあった。
加加都久利の「カカ」は、ココから来たと思われます。
wikipediaの蛇の記事からピックアップ。
日本の古語ではヘビのことを、カガチ、ハハ、あるいはカ(ハ)等と呼んだ。民俗学者の吉野裕子によれば、これらを語源とする語は多く、鏡(ヘビの目)、鏡餅(ヘビの身=とぐろを巻いた姿の餅)、ウワバミ(ヘビの身、大蛇を指す)、かかし(カガシ)、カガチ(ホオズキの別名、蔓草、実の三角形に近い形状からヘビの体や頭部を連想)などがあり、神(カミ=カ「蛇」ミ「身」)もヘビを元にするという(『蛇―日本の蛇信仰』1979年、法政大学出版局)。
ただし、カガチはホオズキの古語、鏡の語源は「かが(影)+み(見)」、カカシはカガシが古形であり、獣の肉や毛髪を焼いて田畑に掛け、鳥や獣に匂いをカガシて脅しとしたのが始まりであって、それぞれ蛇とは直接の関係はないというのが日本語学界での通説である。
日本:ヘビは太古から信仰を集めていた。豊穣神として、雨や雷を呼ぶ天候神として、また光を照り返す鱗身や閉じることのない目が鏡を連想させることから太陽信仰における原始的な信仰対象ともなった。
もっとも著名な蛇神は、頭が八つあるという八岐大蛇(ヤマタノオロチ)や、三輪山を神体として大神神社に祀られる大物主(オオモノヌシ)であろう。弁才天でも蛇は神の象徴とされる場合がある。
大神神社や弁才天では、神使として蛇が置かれていることもある。蛇の姿は、男根、剣、金属(鉄)とも結びつけられることから男性神とされる一方、豊穣神・地母神の性格としては女性と見られることも多く、異類婚姻譚の典型である「蛇女房」などにその影響を見ることができる。
この他、蛇そのものを先祖とする信仰もみられ、『平家物語』の記述として、「緒方維義の祖先は明神の化身たる大蛇という伝説(緒方家における祖神信仰)があり、その話から武士達が集まった」と記され、祖蛇信仰が権威として利用されたことがわかる内容である。
・・・とまあ、古来の人々は、蛇と鏡が近いように感じていたらしいことが分かります。
~~~*~~~
蛇とは関係ありませんが、鏡の渡という伝承を見つけました。
肥前国東松浦郡
鏡神社のあった近くです。
鏡の渡
昔、檜隈の盧入野の宮『(ひのくまのいおりののみや、現在の奈良県高市郡明日香村檜前)』に天の下を治められた武少広国押楯(宣化天皇:継体天皇の息)のみ世に、大伴の狭手彦連を派遣して、任那の国を鎮めさせ、かたがた百済の国を救援させ給うた。狭手彦は命を奉じてこの村まで来て、篠原の村の弟日姫子を妻問いして結婚した《日下部君らの祖である》。
この姫は顔かたちは端正で美しく、人の世にすぐれた絶世の美人であった。別離の日になると、〔狭手彦は〕鏡をとり出して愛人に渡した。女は悲しみ泣きながら栗川を渡ると、贈られた鏡の紐の緒が断れて落ち、川の中に沈んだ。そのことによってここを鏡の渡と名づける。
平凡社ライブラリー『風土記』より
宣化天皇は、
飛鳥時代から平安時代初期にかけて有力豪族・上級貴族として繁栄した多治比氏がある。また、その末裔に武蔵七党の丹党がいる(同じ武蔵七党の私市党にも多治比氏の末裔とする説がある)。一説に、飛鳥時代の歌人・額田王は宣化天皇の4世孫(玄孫)とも言われる。
ここで、近江国鏡とつながるかもしれない?様な気もします。
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龍神と鏡はどうでしょうか。web情報より
鏡渡の龍神
山梨県上野原市鶴川
鶴川にかかる鏡渡橋は、川面からの高さは町内第1を誇る橋である。
昔、この橋の下の深い淵に棲みついていた龍が、僧の姿に化身して、毎夜近くの家の娘に会いにきた。どこの寺の僧なのか、だれも知るものがなく、家人は大変心配した。この僧がいったいどこからやって来るのか、調べたいものだと知恵を絞ったあげく、家人はこの僧の衣に長い糸を縫いつけてみた。翌朝、その糸をたぐっていくと、深い淵のわきに茂っている老木の中に消えていた。家人は、これはきっと龍神の仕業に違いないと考えて、その場所に龍神を祭ったところ、それからは、僧は現れなくなったという。
『上野原町誌 下』より原文
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web情報では、「龍・蛇 = 鏡 = 龍神・蛇神 = 太陽神」という式も書かれておりました。
松浦の鏡神社のHPもでてきました。
http://kagami.or.jp/keidai/ryuujin/
大和国 宇陀 室生にある「室生龍穴神社」鏡との関係は…天の岩戸がここにもあるので、やはり鏡は必要だったのだと思います。
http://www.city.uda.nara.jp/sin-kankou/guide/shrine_temple/s09.html
宇陀は、九里氏が江戸時代初期に住んでいたところです。
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web上での寄せ集めでした。
次回こそは、『石園坐多久虫玉神社の祭神と竜神(竜王)』をご紹介したいと思います。(田中昭三氏の「記・紀」「大和志」の片塩の都・浮孔の宮考)
多治比と額田は大好物です。
あとこの前宇陀地図みていたんですけど神社で気になる所が数カ所ありましたが龍穴の付く所の場所見てみますね。
麒麟なのか白い龍なのか?どっちでもいいんですけどちゃんと出てきて欲しいです。
そうそう東京では水神さんの祭りがあまりないんでどうしたものか?徳川がとうしていたのか?気になっていたんですけどこの前ご指摘の神奈川のエリアであったようでした。藁蛇を水神さんに供えて川に流すような事があったようなのでなんか嬉しく思いました。我が家の藁蛇いますけど山開きの時に頂いてきた物です、神奈川の水神さんの儀式とは時期が違うんですが時期的にも六月末から七月なので災いを流す意味もありそうですよね。奈良では宇陀ではどんな風習があるか?探してみます。ガガというと鏡なのも経験的にも理解できますし、金属を作る為には風と火と炭と素材の金属も。私が出雲だって思った神社は八岐大蛇伝説の看板があった剣神社ですけど、炭焼もどうも関わる伝説もあるみたいですよ。多治比さんが神奈川にいたらちょっと面白くなりますよ。横穴や5世紀ごろの古墳もありそうなんで超楽しみです。平家絡みで考えると三匹獅子舞もある所ありますよ。
今日ラグビーの番組やっていましたけどスタジアムの周りは結構水害との過去の闘いもある地で川も入り組んでいますから神社仏閣それ以前なら関わるべき一族はいたと思うんですよね。ノーサイドは日本だけみたいですけどこれ出来るのって色々な民族がいないと経験出来ないはず、恵比寿さんの気配もありますね。相撲も本来ノーサイドだったから神事であり、神も絡むはず。
八幡神はノーサイドだけにお金やしがらみで動かないならば今本物が出てこないといけないですよね。九里さん関係にいるのは確かでしょうね。水神を大切に出来るか?コロナもお水で流せるんですから、大切な神に感謝する時期にしたいですね。ほおづき市もも水無月から文月が多いのかな?薬的な物や朝顔とかもこの時期ならではの風習ですかね。徳川は水神さんダイレクトじゃなく薬師として感謝していたようには思いますね。さっきおこまさんが家康にあげた物が気になりましたがヒントになったように思いますね。
しばらくコメント欄見ておりませんでした!!
ごめんなさい!!8つも!!
額田は「ヌカダ」だけではなく、「ゴウダ」と読ませるところがある様です。
たくさんいただいていて、これからじっくりと読みます!いつもありがとうございます~~!