後藤基清の子孫
後藤基清
息四人 基成、基綱、基重、太田基連
以前同一人物かどうかを悩んでいたのが【基明】と【基顕】。この二人は別人であった。
基明の方の系は
基清ー基綱ー基隆ー基秀―基明
基明ー覚曇ー但馬前司ー因幡守ー…と続く。(姓氏と家系第24号参照)
後藤三郎左衛門尉基明 (姓氏と家系第24号参照)
近江後藤氏の祖は「勢州軍記」によれば、播磨国の住人「後藤三郎左門尉基明」とされる。
覚曇は「後藤左衛門入道覚曇」
永徳元年(1381年)東寺百合文書に山内代として「沙弥○○」とあり、端裏書に「後藤さ衛門入道覚曇」とある。
但馬前司は「後藤但馬前司」永田左衛門四郎政国の娘がこの人物に嫁いでいる。
…となっている。
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下記の系図では、
基清ー基綱ー基隆・基政
基政の養子に出雲佐々木の泰清の六男が基顕(後藤六郎左衛門)となる。
基顕の息は、顕清・基貞・顕貞 となっている。
そしてこの系図では上記の「基明」の方は、作州の三星城主となっていく系である。
http://www.eonet.ne.jp/~academy-web/keifu/keifu-tou-goto.html
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基顕 基明 同一人物ではないようなのだが、両人とも近江国とのつながりがありそうである。
基顕は1240年代から1250年代くらいに生まれたと思われ、基明の方はひと世代後
であるが、生きた時代は重なっていると思う。