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(改訂版)エトルリア語 『なぜエトルリアの亜麻布の書が、エジプトのミイラを包むのに使われることになったのだろうか。』

2022-06-24 | 古代からのつながり

久々にワクワクする記事を読んだ。

NATIONAL GEOGRAPHIC

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/

https://news.yahoo.co.jp/articles/ff0b0e905024aef25b3ab965664d7b787a506a47

 

ヤフーの記事から 

『なぜエトルリアの亜麻布の書が、エジプトのミイラを包むのに使われることになったのだろうか。』

『亜麻布の書は、どの時期にどの神を拝み、どの儀式(酒や生け贄を捧げるなど)を行うべきかを説明していて、エトルリアの水の神ネタンス(ローマの海神ネプチューンと密接な関係がある)や太陽神ウシル(ギリシャ神話の太陽神ヘリオスに相当する)への言及がある。』

 

上の太字は私がしたのだが、

私はこの部分、日本の神にも関係すると本気で思っている。

 

*****

 

エトルリアにはご縁を感じている。

私の初下宿の部屋の棚にイタリアの考古学の本があり、『エトルリア』を初めて知ったのもこの棚だったのだ。

「何でも好きな本を読んでいいわよ~」と言われても、イタリア語は難しくて写真ばかりを見ていたのだが、一番素敵だったのがエトルリア!!なんといってもエトルリアだったのだ。

 

** ** **


高松大学紀要,39.17~47
ケルト民族と日本民族との類同性に関する一考察  高重 進 著  (平成15年)

https://www.takamatsu-u.ac.jp/wp-content/uploads/2018/12/39_017-047_takashige.pdf 

 

上記の論文の註より

エトルリア人は儀式を厳しく行うことによって神々の意志を見抜き,服従し,なだめる必要があると信じていた。

そのための『内蔵占いの書』『雷光の書』『儀式の書』があり,犠牲にされた羊など動物の肝臓を取出して占ったり,雷光の占星術にも長じ,それを行っていた。

その原典ザグレブのミイラに巻かれた『亜麻布の書』が最も長文のものであるとされている。

・・・

ザグレブは、クロアチアの首都。

文書の経緯はNATIONAL GEOGRAPHICの記事にも書かれているが、エトルリア人 平田隆一監修・斎藤かぐみ訳 文庫クセジュより下記に追記しようと思う。(適宜省略しながら・・・)

 

【ザグレブの亜麻布の書】 エトルリア人 平田隆一監修・斎藤かぐみ訳 文庫クセジュ より

文書は数奇な歴史をたどった。このテキストは、もしイタリアにとどめおかれていたならば、現在まで残らなかったであろう。というのもそれは朽ちやすい素材、すなわち亜麻布に記されていたからである。それは古典期ラテン人が記憶に留めている「亜麻布の書物」が書き記された古い素材と一致しており、彼らの先祖はパピルスや羊皮紙が普及する以前にその素材を利用したのである。ザグレブの亜麻布の書が現存するのは、宗教書であったため一人の臓卜師がこれを一世紀にエジプトに持ち出し、ここで何枚かの帯に裁断して、結局ミイラを巻くのに利用してしまったおかげである。このミイラは後一八四八~四九に一人のクロアチア人に買われてザグレブに運ばれた。そのようなわけで、エトルリア語の群を抜いて最長のテクストは、こんにちこの町の博物館に所蔵されている。最も現存は一部に過ぎず…

 

以下は、この本以外の情報からだが、

ザグレブの博物館からオーストリアの研究所?に渡り、解読を試みていたようである。

 

NATIONAL GEOGRAPHICより
亜麻布の書の黒いインクは焼いた象牙から作られていて、タイトルや見出しの赤い文字は辰砂(しんしゃ)と呼ばれる鉱物で作られた顔料で書かれている。エトルリア語の文字の多くは、ミイラ作りに使われるバルサム(樹脂と揮発性油の混合物)のせいで不鮮明になっていたが、1930年代の赤外線写真の進歩によって新たに90行以上が解読され、亜麻布の書の正体が明らかになった。それは、1年間に執り行うべき儀式について詳述した暦だった。 

その後の研究により、この書が作られた場所を特定する言葉や名前も判明した。専門家は、現在のイタリア中部の都市ペルージャの近くで作られたと考えている。亜麻布自体は紀元前4世紀のものだが、文章上の手がかりから、文字が書かれたのはもっと後だったと考えられている。1月を儀式の始まりとしている点は、この文書が紀元前200〜前150年の間に書かれたことを強く示唆している。後者の推定年代が正しいなら、その後まもなくローマ帝国の勢力拡大により失われることになるエトルリア人の生活様式を知る手段になる。 

 

ローマ人が力を持ち始め、エトルリア人たちの肩身が狭くなっていく過程を何かの本で読んだのだが、思い出せない。

塩野七海さん?

これから探してみようと思う。本の題名など何かヒントをお持ちの方は、教えていただけますと有難いです。


中原氏も下記のように、鳥の動き、宇宙の動き、など様々な事象より何かを感じ取って占いをしている。

そして臓卜占は、もっともっと精密に方向性を示すものなのだそうだ。

(太占もそうだったのではないだろうか?)

 

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/22/052300232/?P=3

イタリアのタルキニアにあるエトルリア人の卜占官(ぼくせんかん、鳥の動きを見て公事の吉凶を占った神官)の墓に描かれた紀元前6世紀のフレスコ画。エトルリア美術は、この古代文化に関する重要な情報源となっている。(PHOTOGRAPH BY SCALA, FLORENCA)

 

そう言えば、AMATERASU は現代のイタリア語での AMATA TERRA(愛する 大地)(大地は、地球とも訳せるが、)と、

そのようにも聞こえる。(早口+アクセントはMAとTEにある、によりTAは小さく) 

妄想なのか…

 

日本には亀の甲羅や、鹿の骨で占う、太占があったと思う。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%8D%A0

関係はない???

 

 

 


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