九里 【九里】を探して三千里

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松虫・鈴虫 コトバンクより

2022-06-18 | 雑記

コトバンクには松虫・鈴虫の二人のことが書かれていた。

 

後鳥羽上皇の二人の女房。1207年,法然弟子の住蓮・安楽は密通事件を起こして死罪,法然は四国流罪となった(建永の法難)が,その相手の女房の伝承上の名前。1675年刊の《難波名所葦分船》に松虫塚を載せ,1851年刊の《日本往生伝和解》は二人の年齢を19歳,17歳と記す。これらでは密通は否定され,出家したことが後鳥羽上皇逆鱗(げきりん)に触れたとする。京都東山の鹿ヶ谷(ししがたに)の草庵跡に建立された安楽寺には木像や縁起絵が残る。また広島県生口島(いくちじま)の光明坊の寺伝では,後白河法皇の皇女如念が松虫・鈴虫という二人の侍女に寓居したと伝えている。  

 

松虫・鈴虫 まつむし・すずむし

?-? 鎌倉時代,後鳥羽上皇の女御(にょうご)。
法然の弟子住蓮,遵西(じゅんさい)(安楽房)の説教に感化され,上皇の留守宮中をぬけだしてともに尼となった。これが原因でふたりの斬罪,法然は讃岐(さぬき)(香川県)に流罪となった。承元(じょうげん)の法難(1207)という。京都鹿ケ谷(ししがたに)の住蓮山安楽寺に両尼の五輪石塔(恋塚)などがある。
 
*****

新情報としては、 【正源明義抄】の中に後白河の院の北面武士 安倍判官盛久(遵西=安楽)伊勢次郎左衛門清原信国(住蓮)だという。

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4 コメント

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Unknown (jikan314)
2022-06-18 22:06:51
おお!💡流石
国会図書館の復刻版が有りました。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1246155
葦分けて進む舟にもみをつくし
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ありがとうございます! (kunorikunori)
2022-06-18 22:22:31
《難波名所葦分船》ですね!

難波にもその名が響く松虫の塚
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Unknown (jikan314)
2022-06-19 22:27:52
比企尼が、何故出て来たのか?と不審に思ったが、範頼の妻が、丹後内侍の娘で孫婿となるからですね😃
範頼の子供は、比企尼の嘆願により生き残ったとWikipediaに有りました。
比企尼役の草笛光子さんの名演技でしたね。
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Unknown (kunorikunori)
2022-06-20 08:36:03
@jikan314 Jikan様

もはや諌める事ができるのは、比企尼しかいなかったと言う事ですね。
あんなに兄思いの働き者は、なかなか居ないのに、残念です。

丹後局、迫力満点で観ていた私も緊張しました!笑
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