goo blog サービス終了のお知らせ 

九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

「漱石のことば」と「ジルベール・シモンドンのことば」

2016-04-18 | コラム

一昨日、姜尚中氏の新しい本が北海道新聞に紹介された。

ご本人、熊本地震当日、お仕事でご実家もある熊本に滞在中だったそうである。

その記事の見出しに【生きている限り「途上」】とあった。これも漱石のことばなのだろうか?
それとも姜尚中氏のことば? 本を読んでみないとわからないが、魅かれることばなので、ココに書いておきたい。


この言葉は、同じgooブログにある、哲学者さんが訳されていらっしゃるジルベール・シモンドンに通じると思うのだが、さて、どうだろうか?

ジルベール・シモンドンのほうは、「人間」とは、人間化という一つの個体化過程である ― ジルベール・シモンドンを読む(3)に詳しい記事があるので、ぜひ訪れて読んで欲しい。
http://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/s/%BF%CD%B4%D6%B2%BD



個体が在ることそのことの内に個体の意味はある ― ジルベール・シモンドンを読む(55)も
http://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/ddc365f9872e5f8df31d476eaf4953d7

『生きている個体は、つねに「形成」過程にあり、すっかり出来上がってしまって固定された物に成ることは決してありません。』とも。



そこに日本古来からある生きとし生けるものへの解釈との類似性も感じられるのだが、・・・ 私の思い込みかもしれない。


道元の言葉に「葉っぱの上の小さなしずくの中にさえ月の光が」・・・というような表現があったと思う。(私の記憶の中の言葉で、もしかすると道元の【光、万象を呑む】【光、万象を含む】をどなたかが解説してくださった言葉だったのかもしれない。呑むと含む、一体どちらが正しいのだろうか。私の道元の本何冊かには、両方あるので、わかりませんでした。)

そのしずくの中の月の光に「仏の教え・想い」を見、道元の内部に何かが呼び起こされ、道元の自身の何かが変わったのだと思う。

それが、彼自身の言葉となって、発せられたのだと思う。



さて、

グレン・グールドが大好きだった漱石の「草枕」。

彼は寝室のサイドテーブルにこの本を置いていた。


ラジオで、彼自身の声でこの本の朗読までしている。
しかもはじまりの部分に彼の独自判断により、鈴の音までいれており、熱の入れようが分かる。(カナダのラジオ放送局webのアーカイブスで聞いたので、まだ残っているかもしれない。)

朗読の前の解説では、「私が思うに、20世紀最高の作家のひとりである夏目漱石」と、言っていたような気がするのである。(まだ確かめはしていないのだが、そう言っていたように記憶している。)


文学・思想哲学とは、言葉の壁を突き抜けて、まるで音楽・絵画・彫刻のように感じる合えるものなのだと知った。

文字で書かれている物が、言の葉という宙に浮いた物となって、身体に入り込んでくる…とでも言えるだろうか。



私は、大好きだった母を10代後半で亡くし、高校時代からの付き合いがずっと続いていた大親友を9年前に白血病で亡くした。

私とその二人との間には、それぞれに音楽が介在していた。



特に親友の他界後は、音楽を聞くたびに色々な情景、声色までが思い起こされて、自分にとって一番大切だった、日記のように自分の気持ちを投影(投入)していた音楽が、辛い思い出とも重なりあってしまった。

弾くことにも、聴くことにも、距離をおくようになってしまった。
頼まれた友人の音楽会以外には、足を向けなくなってしまった。


しかし、この春に下の言葉に「あっ」と、自分の成長のための栄養不足に気が付いた。

シモンドンの言う植物の光のエネルギーと要素・内・作用、は人間も同じであると思う。(下から10行目から最後の文章が、素晴らしい!)

http://blog.goo.ne.jp/kmomoji1010/e/2ffb811773284fae4dc8657884d5ba98


光・音・言葉たち・・

宮沢賢治の『すきとおったほんとうのたべもの』であり、

そして、それらがあることで、自分たち人間もまた宇宙の一部と成りえていて、宇宙と交信している生きとし生けるものなのだと実感することもでき、成長もできるのかもしれない。


音楽が無くても生きてはこれた。

でも、私にとっては何かの栄養素が足りない・・・とでもいうのだろうか、そんな状態だったのだろう。
自分であって、自分ではない状態だったのだろう。なにか物足りない、空疎な日々だったようにも思える。


先日、音楽の事を話していて辛くない私がいた。ただ鈍くなっただけかもしれない。

それでもいい、足りていなかったエネルギーをたっぷりと浴びたい、取り込みたい。


~~~*~~~


哲学書を読んだことのない、しかも、読解力も低い私がごく個人的想いと繋がったので、リンクしました。

翻訳されていらっしゃる哲学者さま、もしも全く違う! 勘違い! のようでしたら、絶対にお知らせください。(すぐに取り下げますので、ご安心ください。)










コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クロッカス咲いた! そして... | トップ | ジルベール・シモンドンの哲... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コラム」カテゴリの最新記事