ニュース・コメンタリー (2013年03月23日)
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エッセイ
一冊のエッセイ本が届きました。
”事件記者という生き方”大谷昭宏著
Ⅰ、新聞記者として生きる
①生まれたときから新聞記者に ②「魚のおいしい所」からスタート
③「事件記者」への道
Ⅱ、サツまわり
①泣きたくなるほど好きな町、釜ヶ崎 ②裏社会の掟
③大阪府警捜査一課担当
Ⅲ、忘れ得ぬ事件
①19歳OL殺人事件 ②三菱銀行人質事件
③グリコ・森永事件 ④朝日新聞阪神支局襲撃事件
Ⅳ、読売新聞大阪社会部
①わが師・黒田清 ②「黒田軍団」とは何だったのか
③本田靖春さんのこと
Ⅴ、時代と切り結ぶ
①活動の場をテレビに移して ②メディアと警察、検察
私の愛読書になりました。 私の事件紹介されています
活動の場をテレビに移して(252頁)権力は必ず腐敗する(281頁)
一部抜粋 高知白バイ事件の片岡晴彦さんは、高松高裁が審理もしないまま
一審・高知地裁の禁固一年四か月を支持、最高裁も上告を棄却して刑が確定
加古川刑務所で服役した。この種の事件では仮釈放が認められるのが通例だが、
片岡晴彦さんの場合は「反省の色がない」とされ、満期服役した。
無実の罪で服役させられた者が反省するわけがないではないか。
出所後の2010年八月、高知地裁に再審を請求、現在、審理が行われいる。
再審の扉を開くよう求めた署名も、すでに五千筆を超えている。
私たちが放送してきた冤罪事件は大きく動いて、当然のこととはいえ、
晴れて無罪になった方も、また無罪に向けて大きく前進した方もいる。
私たちができたことなど、まことにささやかなものである。
42,195㌔のマラソンで言えば、最後の195mで声援を飛ばした程度
のものにすぎないかもしれない、その前の42㌔には、冤罪と信じて、まさに
手弁当で熱く菅家さんや桜井さん、杉山さん、そのほかの方々を支援して下さった
多くの人たちがいる。無償で弁護を引き受けてくれた弁護団の方もいる。
私はこの方たちが言ってくれる「メディアの報道があったからこそ」
たしかに、報道というバックアップ、あるいはキャンペーンという側面からの
応援が世論を喚起し、検察を追い詰め、裁判所を動かしたという面はある。
事件に携わる者は、その事件の凶悪さに怒り、犯人は誰なのか、こんな酷い
事をした者は決して許さないという思いで日夜、取材に走る。
被害者とともに憤り、ともに泣く。それは、事件記者が持ち続けなければ
ならない大事な意識である。
それと同時に、権力は必ず誤りを犯す。必ず腐敗する。
そのなかで冤罪事件が起きてくる。冤罪どころか、ありもしない事件をデッチ上げ
括として恥じない体質を持っている。
冤罪事件やデッチ上げの犠牲者の救済に邁進する義務がある。
警察、検察の捜査をチェックし、裁判所の審理を詳らかにする。
それが、事件記者のもう一つの責務であると思っているのである。
まだまだ書きたいのですが、後は書店で購入し購読してください。
見どころ満載、見ごたえのある自伝的エッセイです。
”事件記者という生き方”大谷昭宏著
Ⅰ、新聞記者として生きる
①生まれたときから新聞記者に ②「魚のおいしい所」からスタート
③「事件記者」への道
Ⅱ、サツまわり
①泣きたくなるほど好きな町、釜ヶ崎 ②裏社会の掟
③大阪府警捜査一課担当
Ⅲ、忘れ得ぬ事件
①19歳OL殺人事件 ②三菱銀行人質事件
③グリコ・森永事件 ④朝日新聞阪神支局襲撃事件
Ⅳ、読売新聞大阪社会部
①わが師・黒田清 ②「黒田軍団」とは何だったのか
③本田靖春さんのこと
Ⅴ、時代と切り結ぶ
①活動の場をテレビに移して ②メディアと警察、検察
私の愛読書になりました。 私の事件紹介されています
活動の場をテレビに移して(252頁)権力は必ず腐敗する(281頁)
一部抜粋 高知白バイ事件の片岡晴彦さんは、高松高裁が審理もしないまま
一審・高知地裁の禁固一年四か月を支持、最高裁も上告を棄却して刑が確定
加古川刑務所で服役した。この種の事件では仮釈放が認められるのが通例だが、
片岡晴彦さんの場合は「反省の色がない」とされ、満期服役した。
無実の罪で服役させられた者が反省するわけがないではないか。
出所後の2010年八月、高知地裁に再審を請求、現在、審理が行われいる。
再審の扉を開くよう求めた署名も、すでに五千筆を超えている。
私たちが放送してきた冤罪事件は大きく動いて、当然のこととはいえ、
晴れて無罪になった方も、また無罪に向けて大きく前進した方もいる。
私たちができたことなど、まことにささやかなものである。
42,195㌔のマラソンで言えば、最後の195mで声援を飛ばした程度
のものにすぎないかもしれない、その前の42㌔には、冤罪と信じて、まさに
手弁当で熱く菅家さんや桜井さん、杉山さん、そのほかの方々を支援して下さった
多くの人たちがいる。無償で弁護を引き受けてくれた弁護団の方もいる。
私はこの方たちが言ってくれる「メディアの報道があったからこそ」
たしかに、報道というバックアップ、あるいはキャンペーンという側面からの
応援が世論を喚起し、検察を追い詰め、裁判所を動かしたという面はある。
事件に携わる者は、その事件の凶悪さに怒り、犯人は誰なのか、こんな酷い
事をした者は決して許さないという思いで日夜、取材に走る。
被害者とともに憤り、ともに泣く。それは、事件記者が持ち続けなければ
ならない大事な意識である。
それと同時に、権力は必ず誤りを犯す。必ず腐敗する。
そのなかで冤罪事件が起きてくる。冤罪どころか、ありもしない事件をデッチ上げ
括として恥じない体質を持っている。
冤罪事件やデッチ上げの犠牲者の救済に邁進する義務がある。
警察、検察の捜査をチェックし、裁判所の審理を詳らかにする。
それが、事件記者のもう一つの責務であると思っているのである。
まだまだ書きたいのですが、後は書店で購入し購読してください。
見どころ満載、見ごたえのある自伝的エッセイです。