「今回は大変だったねぇ、困ったことがあったらいつでも言ってね、力になるから」
「ありがとう、さっそくなんだけど、困ったことがあるのですよ。夕べはほとんど寝てないし、皆さまの接待でお酒飲んでフラフラだし、おまけに腰と踵が痛み出して歩きづらい。だから、誰かわたしをおんぶするか引っ張るかして家まで連れてって~!」
みんな逃げていきました。なぜだ!?
と、いうわけでやっと一息つきました。ボチボチ再開します。ただ、再開ネタの予定だった特撮話は書きたいことが多くなってきたので後回し、ちょっとだけ葬儀の話をさせてください。
前回お知らせしました通り父が亡くなりましたが、それが先週の木曜日。当然お通夜に葬儀を行わなければなりませんが、「うまく予定を詰めれば土曜日お通夜、日曜日葬式と組めるんでない? 予定きつくても日曜日お通夜は十分できる。それなら弔問客も来やすいから、大勢の人に来てもらえるだろう。こりゃいい塩梅だ]と計画たてていたのですが、連絡した葬儀の担当者さん
「土曜日お通夜、日曜日葬式はともかく日曜日お通夜はやめたほうがいいですよ。月曜日は友引ですから、葬式を嫌がる人もいます」
「でも、お経を頼むウチが檀家やっているお寺の宗派では、友引とか気にしないんですよ、だから大丈夫でしょう」
「でも、来賓の方にはそういう人もいますからねぇ」
と渋い顔。で、お寺に連絡をとると、お通夜だろうと葬式だろうと日曜日はダメ、の一転張り。結局月曜日お通夜、火曜日葬式、水曜日初七日! という後回しの厳しいスケジュールとなってしまいました。ようするに、お寺の方で日曜日は他に用事があるので九に入ったウチの件は後回しにしたい、ということだったようです。父は長年にわたってそのお寺を支えることに尽力しており、その貢献度を考えると一番後回しにされることにはちょっと納得がいかないのですが、スケジュールはお寺最優先ですから仕方ありません。さすがに少し悪いと思ったのか、「初七日は繰り上げで葬儀の後にまとめてやりましょう」と提案してきました。が、後でまとめてと言っても葬儀と一体でやるのではなく、振る舞いを含めて葬儀が全部終わってから場所を改めてやるだけなのでこちとら疲れきったところにまたお経なわけですからもうヘロヘロ。で、冒頭の状態になったわけですよ。
それでも、ここまでは無事済みました。もちろんこれからは各種手続きの山、遺産の分割、そしてなにより恐ろしい相続税が待っているというわけで、どれだけ目減りするかを考えると先が不安で仕方ありません。父がいなくなったことより減った資金で家や店を維持していけるかの方が恐いです。ですが、そこらへんはまぁこちらの話ですので詳しく書くのはやめておきましょう。
さて話はお通夜。土日にできると思っていたアテがはずれ、月曜日となると果たしてどれだけの人が来てくれるやら。母や葬儀担当者の想定した人数は相当の規模で、「こんなに来るの? 土日ならともかく平日だよ。席も通夜振る舞いも余ってどうしようもなくなるんじゃない?」と不安いっぱい。まぁ余るのが普通らしいので仕方ないのですが、わたしの主義としてはそういうムダは嫌いなんで、特に食べ物なんか必要以上に余らせたくないんですけど。
そうした不安と不満の中のお通夜当日、1時間前になっても誰も来ません。さすがに心配になってくると、40分前くらいからボチボチと弔問客が訪れ始めます。誰も来ないんじゃないかという心配さえあったのですが、ああ、良かった、と思ってると・・・。
来るわ来るわ、それから約30分間、エレベーターがほとんど絶えず上下して常に数人以上の人を運んできます。わたしの心配をよそに次々と来る人たち。その人数は当初の想定人数さえ超え、予備の椅子を出してきて通路をせまくしてなんとか座る場所を確保する必要があるほどでした。香典のお返しはかなりギリギリで足りましたが。
お通夜終わって通夜振る舞い。せっかくお酒に寿司、中華洋食のアラカルトを用意しましたので一人でも多くの人に残って食べてもらうため、葬儀の担当者から「バリケードを作るように並んで通夜振る舞いの席へ案内してください」とまで言われていたのですが、席はあっという間に埋まってしまい、逆に「満席みたいなので失礼します」と帰られる始末。用意した食事も酒もどんどんなくなっていきます。わたしら一族は「最後に残ったもの食べればいいか」とお客さんの接待に専念していたのですが、料理は本当にすっかりなくなり、海苔巻き一本に鶏肉とピーマンの炒め物を少し食べられただけでした。余るどころか席をもっと用意していれば、料理も足りなくなったことでしょう。
ちなみにわたしは喪主だったので挨拶をする必要があったのですが、あまりの人の多さにビビってしまい、「ダメだ、口から出せる言葉の量が限界に近い」と予定していた台詞のほとんどを飲み込み、クライマックスと締めの言葉だけ無理矢理絞りだして終わらせる大失態を演じてしまいました。それなのに「言葉に詰まって全部言えない思いが伝わってきて泣けてきた。素晴らしい挨拶だった」などと褒められてしまうのが痛い。いっそけなしまくって~! と穴があったら入りたい心境でございましたよ。
それしにしても本当に大勢に人に来てもらえました。これで驚いた点は、もちろん一つは父の人脈や顔の広さといったところが予想よりもはるかに大きかったというところですが、もう一つは新聞、という今やオールドメディアとしか思われない媒体の影響力です。
父の死に関してはもちろん特に仲の良かった友人知人に取引先の人など、可能な限りは連絡をとって伝えましたが、それには限度があります。関節的な知らせる手段としては、地元新聞に死亡広告を出しただけです。なのに全く伝えていない人も大勢、中には30年ほど前まで近所に住んでいてその時は親しくしていた、というくらい疎遠になっていた人まで来てくださいました。これは新聞だけができた伝達だと思います。タイミングが合わなければ伝達することができないテレビやラジオはもちろん、「自分の興味ある分野の、支持できる方向からしか情報に触れない」という弱点のあるインターネットでも無理だと思います。実際、「情報はネットで十分になったからもう新聞とるのやめた」というわたしの友人たちは、現在に至ってもわたしの父の死を知りません。もちろんわたしの友人ですのであえて積極的に伝える必要はないのですが・・・まぁしょうがないか。おそらくこうした死亡広告などの面でネットが新聞を超えるのは不可能でしょう。とりあえず読む、の新聞だからこそ広告欄にも目がいくわけであり、一つのページ内に見出しがやたら多いせいもあって自然と自分のみたい情報関係以外は視界から外してしまうネットでは同様の効果は期待できませんから。スマートフォンで使える通知アプリなどが仮にあったとしても、毎日見る人は少ないでしょうしねぇ。
ネットがあろうとテレビがあろうとウチは毎日新聞をとっていますし見ています。たまに友人知人の両親の、特に知っている人が死亡広告やおくやみ欄に出ていたり、まして昔の友人その人が出ていたりするととりあえずぶっ飛んで話だけでも聞きに行ってます。まぁ今後はそうした行動は無理になるのですが、こうして大勢の人が新聞のおかげで父のお通夜に来ていただけたことを考えると、やはり新聞、それも地元紙は取った方がいいよ、と人に勧めたくなりますねぇ。
「ありがとう、さっそくなんだけど、困ったことがあるのですよ。夕べはほとんど寝てないし、皆さまの接待でお酒飲んでフラフラだし、おまけに腰と踵が痛み出して歩きづらい。だから、誰かわたしをおんぶするか引っ張るかして家まで連れてって~!」
みんな逃げていきました。なぜだ!?
と、いうわけでやっと一息つきました。ボチボチ再開します。ただ、再開ネタの予定だった特撮話は書きたいことが多くなってきたので後回し、ちょっとだけ葬儀の話をさせてください。
前回お知らせしました通り父が亡くなりましたが、それが先週の木曜日。当然お通夜に葬儀を行わなければなりませんが、「うまく予定を詰めれば土曜日お通夜、日曜日葬式と組めるんでない? 予定きつくても日曜日お通夜は十分できる。それなら弔問客も来やすいから、大勢の人に来てもらえるだろう。こりゃいい塩梅だ]と計画たてていたのですが、連絡した葬儀の担当者さん
「土曜日お通夜、日曜日葬式はともかく日曜日お通夜はやめたほうがいいですよ。月曜日は友引ですから、葬式を嫌がる人もいます」
「でも、お経を頼むウチが檀家やっているお寺の宗派では、友引とか気にしないんですよ、だから大丈夫でしょう」
「でも、来賓の方にはそういう人もいますからねぇ」
と渋い顔。で、お寺に連絡をとると、お通夜だろうと葬式だろうと日曜日はダメ、の一転張り。結局月曜日お通夜、火曜日葬式、水曜日初七日! という後回しの厳しいスケジュールとなってしまいました。ようするに、お寺の方で日曜日は他に用事があるので九に入ったウチの件は後回しにしたい、ということだったようです。父は長年にわたってそのお寺を支えることに尽力しており、その貢献度を考えると一番後回しにされることにはちょっと納得がいかないのですが、スケジュールはお寺最優先ですから仕方ありません。さすがに少し悪いと思ったのか、「初七日は繰り上げで葬儀の後にまとめてやりましょう」と提案してきました。が、後でまとめてと言っても葬儀と一体でやるのではなく、振る舞いを含めて葬儀が全部終わってから場所を改めてやるだけなのでこちとら疲れきったところにまたお経なわけですからもうヘロヘロ。で、冒頭の状態になったわけですよ。
それでも、ここまでは無事済みました。もちろんこれからは各種手続きの山、遺産の分割、そしてなにより恐ろしい相続税が待っているというわけで、どれだけ目減りするかを考えると先が不安で仕方ありません。父がいなくなったことより減った資金で家や店を維持していけるかの方が恐いです。ですが、そこらへんはまぁこちらの話ですので詳しく書くのはやめておきましょう。
さて話はお通夜。土日にできると思っていたアテがはずれ、月曜日となると果たしてどれだけの人が来てくれるやら。母や葬儀担当者の想定した人数は相当の規模で、「こんなに来るの? 土日ならともかく平日だよ。席も通夜振る舞いも余ってどうしようもなくなるんじゃない?」と不安いっぱい。まぁ余るのが普通らしいので仕方ないのですが、わたしの主義としてはそういうムダは嫌いなんで、特に食べ物なんか必要以上に余らせたくないんですけど。
そうした不安と不満の中のお通夜当日、1時間前になっても誰も来ません。さすがに心配になってくると、40分前くらいからボチボチと弔問客が訪れ始めます。誰も来ないんじゃないかという心配さえあったのですが、ああ、良かった、と思ってると・・・。
来るわ来るわ、それから約30分間、エレベーターがほとんど絶えず上下して常に数人以上の人を運んできます。わたしの心配をよそに次々と来る人たち。その人数は当初の想定人数さえ超え、予備の椅子を出してきて通路をせまくしてなんとか座る場所を確保する必要があるほどでした。香典のお返しはかなりギリギリで足りましたが。
お通夜終わって通夜振る舞い。せっかくお酒に寿司、中華洋食のアラカルトを用意しましたので一人でも多くの人に残って食べてもらうため、葬儀の担当者から「バリケードを作るように並んで通夜振る舞いの席へ案内してください」とまで言われていたのですが、席はあっという間に埋まってしまい、逆に「満席みたいなので失礼します」と帰られる始末。用意した食事も酒もどんどんなくなっていきます。わたしら一族は「最後に残ったもの食べればいいか」とお客さんの接待に専念していたのですが、料理は本当にすっかりなくなり、海苔巻き一本に鶏肉とピーマンの炒め物を少し食べられただけでした。余るどころか席をもっと用意していれば、料理も足りなくなったことでしょう。
ちなみにわたしは喪主だったので挨拶をする必要があったのですが、あまりの人の多さにビビってしまい、「ダメだ、口から出せる言葉の量が限界に近い」と予定していた台詞のほとんどを飲み込み、クライマックスと締めの言葉だけ無理矢理絞りだして終わらせる大失態を演じてしまいました。それなのに「言葉に詰まって全部言えない思いが伝わってきて泣けてきた。素晴らしい挨拶だった」などと褒められてしまうのが痛い。いっそけなしまくって~! と穴があったら入りたい心境でございましたよ。
それしにしても本当に大勢に人に来てもらえました。これで驚いた点は、もちろん一つは父の人脈や顔の広さといったところが予想よりもはるかに大きかったというところですが、もう一つは新聞、という今やオールドメディアとしか思われない媒体の影響力です。
父の死に関してはもちろん特に仲の良かった友人知人に取引先の人など、可能な限りは連絡をとって伝えましたが、それには限度があります。関節的な知らせる手段としては、地元新聞に死亡広告を出しただけです。なのに全く伝えていない人も大勢、中には30年ほど前まで近所に住んでいてその時は親しくしていた、というくらい疎遠になっていた人まで来てくださいました。これは新聞だけができた伝達だと思います。タイミングが合わなければ伝達することができないテレビやラジオはもちろん、「自分の興味ある分野の、支持できる方向からしか情報に触れない」という弱点のあるインターネットでも無理だと思います。実際、「情報はネットで十分になったからもう新聞とるのやめた」というわたしの友人たちは、現在に至ってもわたしの父の死を知りません。もちろんわたしの友人ですのであえて積極的に伝える必要はないのですが・・・まぁしょうがないか。おそらくこうした死亡広告などの面でネットが新聞を超えるのは不可能でしょう。とりあえず読む、の新聞だからこそ広告欄にも目がいくわけであり、一つのページ内に見出しがやたら多いせいもあって自然と自分のみたい情報関係以外は視界から外してしまうネットでは同様の効果は期待できませんから。スマートフォンで使える通知アプリなどが仮にあったとしても、毎日見る人は少ないでしょうしねぇ。
ネットがあろうとテレビがあろうとウチは毎日新聞をとっていますし見ています。たまに友人知人の両親の、特に知っている人が死亡広告やおくやみ欄に出ていたり、まして昔の友人その人が出ていたりするととりあえずぶっ飛んで話だけでも聞きに行ってます。まぁ今後はそうした行動は無理になるのですが、こうして大勢の人が新聞のおかげで父のお通夜に来ていただけたことを考えると、やはり新聞、それも地元紙は取った方がいいよ、と人に勧めたくなりますねぇ。
私も同じ境遇で昨年葬儀を済ませました。
認知症の両親を抱え一人で奮闘してまいりましたが「ちゃんと面倒を見ろ」いう親戚の圧力に「お前が引き取れ」と何度言ったことか。
葬儀を済ませた後、相続税がまた大仕事でした。どこに何があるか調べるのが大変ですし、詐欺が多いせいか各種の手続きが非常に厳重で厄介でした。
兄弟とは絶縁しました。親戚とも一部縁を切りました。昔は仲が良かったんですが。あんなのはドラマの世界の話と思ってました。
まあそうですね 年金だとか100M以上減収でしょうね そういうものです 100Mショック恐るべしですw
ギリギリまで自立した生活をがんばってくれるだけで感謝すべきことなんです 日々だらだら行こう と言うほど寝ても起きても長続きしないのは結果忙しいのですよね
新聞はお悔やみ欄と食品スーパーのチラシしか実質役に立っているのかな? 毎日切り取ってファイルに入れるだけで実用書が完成します
とかならないかな母の新聞切り抜きコレクションの整理が大変なので ファイルせず農業用深コン2つも貯めても読み切れないのw
わたしの場合は母が元気ですのでまだ楽でした。自分は商売に専念できましたし、そうした余計な親戚の圧力もありませんでした。
幸いなところ、あらかじめ遺言書も正式なものを作ってありましたので揉めることなく済みそうです。
>kazumaさん
ビジネス上でつながりのある人の縁者だった場合は素早く対処して心象をよくする、は古いですが今でも効果のあるやり方だと思います。まだまだ欠かせないでしょうね。
>emanonさん
年金とかはまぁしょうがないですし、そもそも父の収入ですから。怖いのは収入じゃなくて手持ちの資金の減少です。
スーパーのチラシだけ見られるネットサービスとかもありましたっけ。ただ、紙の方が断然見やすいんですが。