エリクソンってなんだかすごく大変な育ち方をした人なんだなあ… ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8…
どこかの元知事とか変な市長とかのケースでもそうだが国内で日本語ベースで、発言が国際的に引き起こしている波紋と無関係に言葉尻だけで「擁護」したりするのは意味がない。ことは外交に関わり、特定第三者に対して明確に否定的な意味合いの内容を現に語っているのだから当然責任は問われて然るべき。
それは政治家の責任というよりその意図を曲げて伝えているマスコミの責任ではないかと思う。
アイデンティティの拡散というのも、本当に病的でどうにもならないのから、ちょっとペシミスティックな人まで、いろいろいる。
頭の中が偏向しているとどんなふうにまじめに読み取ろうとしても偏向した内容しか読み取れないんだな。
ただ、麻生さんのいい方も皮肉に過ぎるよね。わかる人にはわかるんだけどさ。揚げ足を取りたい人にはいくらでも取れる。それが麻生さんの「ぶっちゃけ」の魅力なんだけど。
それまでの文脈から、とにかく喧噪のなかで論議することの否を述べて、だから静かに論議して静かに冷静に検討して行こうよ、ということが基本線なわけだ。それは靖国参拝とかも同じ。
つまり、憲法や靖国に代表される国家とはどういうものかという位置づけは自分たちのあり方の問題であって、静かで冷静な議論が必要だ、と言ってるわけだ。
反対意見ももちろんあるだろうから、それは感情的にならずに、冷静に本質を追究していけばいい。もちろん考え方自体が対立していることは確かだから、でもその対立点を明らかにすることは静かにやってもできることだと。
つまり、政治とは喧噪の中で喧々囂々議論すべきという団塊世代的な考え方に半ば異を唱えて、自分たちの本質についてはもっと何を大事にすべきか深くまでしっかりと考えようよと言っている。
だからそういう問題を政局化し、騒ぎ立てて議論することが正しいということしか習ってこなかった人たちには右も左も麻生さんのいうことが本当には理解できてない。マスコミは騒ぎ立てないと自分たちが疎外されると思っているからとにかく政局にしようとしている。
つまり、哲学とか信念の問題は、大騒ぎして検討する問題ではないんだ、と言ってるわけだ。
ナチスを見習えなんて言葉、悪ふざけに決まってる。という文脈を、共有しているくせに共有していないふりをする人たちが多すぎる。いや、世代や文化が違うともう全然そんなふうにとれない人もいるかもしれないけど、なぜまず『真意』を取ろうとしないんだろう。
結局ね、きっと世界のどこかで、そんな生意気な奴らには原爆落としてやればいいんだ、みたいなことを言ってる政治家とかは絶対珍しくないんだけど、そんなこといちいち表に出てこないんだよ。出てきたら日本の被爆者団体なりそういう人が大騒ぎするんだけど、表に出てこないから知らないだけで。
だいたい、麻生太郎がそういう笑えない冗談を言う政治家だって、最初っからみんな知ってるのに。そういうセンスがあるからこそドイツの財務相をやっつけたりすることもできるんだよ。
ホントはね、誰かが誤解しない発言なんて、全然破壊力がないんだよ。
みんなそんな飽き飽きするような官僚の答弁ばかり政治家に喋らせたいのかな?
そういうものを「失言」ととらえてそれを報道上の資源としようとするさもしいマスコミと、政局上の資源としようとするさもしい政治屋たちが多すぎるんだよ。