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金メダルをたぐり寄せた羽生結弦選手の「運命」と「意志」

2014-02-15 16:34:03 | 時事・海外
ワールド・フィギュアスケート 62
新書館


【金メダルをたぐり寄せた羽生結弦選手の「運命」と「意志」】

ソチ・オリンピックで、羽生結弦選手がフィギュア男子で優勝し、金メダルを獲得した。

冬季オリンピックでの日本選手の金メダルは同じフィギュアスケート、女子で優勝した荒川静香選手以来、8年ぶりのことだそうだ。

テレビでも何度も繰り返し放送されているので、ニュースやネットでは見ているのだけど、実際の映像はまだ残念ながら見ていないのだが、凄いなと思う。

しかし、人間には幸運というもの、持って生まれた運のようなものがあるなあと思う。

羽生選手が並外れた努力で今日の結果を手にしたことに関しては全く異論がない。しかし、オリンピックでの優勝、金メダルというものは、努力だけでは届かない、何か幸運のようなものも必要であるように思われる。

羽生選手は、ここ数年期待の若手ではあったが、今シーズンが始まるまでの日本選手のトップは明らかに高橋大輔選手だった。しかし今シーズンの羽生選手の成長ぶりは凄まじく、全日本を制したかと思えばグランプリファイナルでずっと勝てなかったパトリック・チャン選手まで破って優勝してしまった。

この勢いは、ジュニアからシニアに代わったばかりの頃の浅田真央選手を思い出す。彼女の勢いもすばらしく、グランプリシリーズを次々に制していくかと思ったら、ついにグランプリファイナルで優勝してしまった。2005/2006年シーズンのことだ。

しかし、彼女はオリンピックには出られなかった。わずかに年齢制限に届かなかったからだ。彼女の最初のオリンピックトライはその4年後、2010年ということになった。

14歳でのグランプリファイナル制覇。それは偉業だ。しかし、そのシーズンの日本選手の最高の出来事は、トリノ・オリンピックにおける荒川静香選手の金メダルになったからだ。浅田選手の偉業は、忘れられたとは言わないまでも、後景に退いてしまったことは否めない。

浅田選手はその後も世界のトップ選手であり続けた。しかしバンクーバー・オリンピックを制したのは、ジュニア時代からのライバルで、急激に調子を上げてきたキムヨナ選手だった。

このオリンピックで浅田選手がどれだけの成果をあげられるかは分からない。もちろん日本のトップであることは間違いないし、世界でもトップクラスであることもまた間違いない。しかし団体戦での不調は重圧の重さを感じさせた。浅田選手には重すぎる重圧を取り除いて、個人戦では最高のコンディションで臨んでもらいたいと切に願う。

羽生選手は、その急激な成長期とオリンピックが重なると言う、選手にとってもっとも幸運な偶然がぶつかった。滑るたびに前の自分を更新していく、その鮮やかさは、どんな選手でもいつでもあるものではない。まさに【化ける】という言葉がふさわしい。その今シーズン最高の【化け】を羽生選手はソチのショートプログラムで見せたのだ。

先に述べたようにフリーの演技を私はちゃんと見ているわけではないのだが、ネットで今まで見ていたところによると、選手たちは一人の失敗が次の選手の失敗を呼ぶという悪循環が起こったようだ。その中で失敗を乗り越えて最後はまとめた羽生が、失敗を取り戻せなかったチャンを上回ってついに優勝。勝利の女神は羽生に微笑んだのだ。

選手なのだから練習することも努力することも当たり前のことなのだろうけど、羽生はほかの選手にない経験をしている。それは、東日本大震災で被災したという経験だ。震災で自宅が全壊し、避難所暮らしの時期もあった。そのなかでスケートをやることの意味を問い続け、自分のできることはスケートで期待に応えること、とはっきりと自分の道を見いだしたと言う。

仙台で練習中に起こったというあの地震は、本当に恐ろしいものだっただろう。被災したリンクは使用できず、全国を転々として練習したと言う。それは一流のスケート選手にとって、というよりも一人の人間にとって、生きるのにぎりぎりの状況だったに違いない。

逆に言えばそのとき、生きてスケートをできることの意味や喜びを、誰よりも感じたのだと思う。だからこそ、最後に来てオリンピック優勝という最高の栄誉を、勝利の女神は彼に与えたに違いない。

ただ、その人生に何が起こるかというのは、やはり運命だとしか言いようがない。報道されているところによると日本代表のフィギュア選手たちの人生も、それぞれ一筋縄では行かない道を辿ってきている人が多いようだ。だからその意味では、運命を「持って生まれてきた」ということそのものが、彼の運の強さにおいて無視できないことなのだろう。

もちろん、「持って生まれてきた」だけですべてが終わりではない。人間は運命を持って生まれてきているけれども、それと同時にどう生きるかは全くの自由だからだ。

羽生選手は金メダルを手にし、それを「日本人として誇りに思う」と言いながら、それでも自分の演技への不満を強く持っている。つまり、まだまだ向上する意欲に満ちているのだ。そして「笑顔がありませんが」と言われて、「自分が被災地に何をできたかと思うと喜べない」という。拠点を仙台からトロントに移したことで、自分が十分に「被災地を背負って」戦うことができなかった、と自分自身への不満を持っているのだろう。まだ、仙台でも、やれたのではないか。もっと、被災地のためにできたのではないか。その思い。それはこれからも彼が、被災地のために尽くしていく、大きな原動力を持っているということを意味している。

つまり彼は、フィギュア選手としても、また人間としても、まだまだ限りなく前進していこうという意欲に満ちていて、「こんなところ」ではまだまだ満足できないのだ。

それは、「大欲」と言っていいだろう。

自分自身にももっともっと多くのものを求め、そして被災地のために、自分を支えてくれた人たちのために、もっともっと大きなものをお返ししたい。その欲の大きさ、望みの気高さが、彼の自由意志であり、持って生まれたもののすべてを生かして、この「幸運」をつかんだのだと思う。

すばらしい人間であり、選手だと思う。

羽生結弦選手の金メダルを、心から讃え、祝福したい。
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