弓と筒
なんだか、大層な題ですが、両方経験した上で気がついたこと、弓から見た筒の射法、弓から取り入れられると思う事柄などを書いてみたいと思います。現代における火縄銃射撃と弓、どちらが射法に置いて原型をとどめているかと云えば文句なく弓でしょう、しかし現代弓道は礼射に重きを置き実戦的では無いと思われます、射撃からこられた方は弓道はあまりご存じないことと思いますので理解している範囲で書いてみます。上記の実戦的では無いは、言い換えると的中至上ではないのです。射撃の方は、?と思われるでしょう、また弓の方も、試合では的中数で決まるのにと私も現役中は思っていました、的中するにもいろいろあるとよく言われていましたが中らなければ何もない、何も成らないとも言います、そこにある矛盾が精神修養になるのかと個人的には思っていました。現代でも小笠原流(正面打ち起)礼射と日置流(へきりゅう)(徒射法)武射系が二大流派です。日置は斜面打おこし、小笠原流(流鏑馬に見られる弓馬術を含む総合的な武術で合理的な馬上の射法ほかにも武家の礼法一般の教授方)流鏑馬の呼称は小笠原流に限られほかは何々流弓馬術と言います、弓馬術にはほかに犬追う物など獣を的に弓馬術を錬磨していました、狂歌に犬を射んとて犬追う物落馬矢数に勝りたりと射手を笑ったものがあり意外と身近で頻繁に行われていたと思われます。重籐弓は小笠原流認許の弓で誰でも引けるという物ではありません。七段教士から) 正面打ちおこしと、違う射法をとっています。弓術指南番の家柄の古老によると戦後、武道弾圧により日置流つまり武射系の弓道人は追放になり、礼射系が主流となり現在に至っております
礼射とはつまり弓射を神事、弓を神器とします国旗の旗竿は弓で籐巻を表現する黒い部分が違え違いに現してあります。おそらく明治以降でしょうが、神武天皇の時代は丸木弓で籐巻きは必要ない、ついでに竿頭の金色の玉はヤタガラス(現在はサッカーのシンボルのほうが有名ですか)を現しています。(武道一般にいえることかもしれませんが特に強い宮中神事の新宮様ご誕生時の鳴弦の儀など)と考える射法です。
武射系統の神話的話は色々あります、ドイツ人哲学者と阿波範士の逸話『弓と禅』や。空気銃と試合して勝ったとか、オリンピックに和弓で出場したなど、つまり国内予選に勝利した、実戦的名人の逸話には事欠きません。(日置流は現在ほとんど見られなくなりました、年に1回宮崎の弓祭りの時に薩摩日置の鎧武者の集団演武が行われており戦陣の弓が見られます。)弓道は道場での体配など古来からの教えがそのまま残っています、火縄銃と弓、両方経験した私は弓の影響からは逃れられないようです、それならばいっそのこと積極的に利用しようと考えが変わりました、近代射撃は門外漢です、そのうちでも体配つまり体の使い方と精神(心気)の安定について少し説明したいとおもいます。