前装銃やモデルエンジニア

前装銃射撃について、大会参加やモデルエンジニアの世界をのぞく

歯ぎしりではなく歯切り

2009年06月17日 19時34分20秒 | モデルエンジニア
久島氏の本でご存じの平行ホブに挑戦しようと図面をこれまたおなじみ
鍋キャドで書いてみました。偏心値を求めようと作図したのでごちゃごちゃしてますが・・・ 次回は現品アップ予定しています。浸炭剤がまだ入手出来ていませんが無いなら工具鋼でやってみるつもりです。

ジョンさんの時計

2009年06月16日 12時50分27秒 | モデルエンジニア
ジョンさんの所から製作参考書を個人輸入して、もう何年になるか。忘れるほどですが、今、購入していてよかったなーとつくづく思います。月に1回ペースで製作記を更新したいと思って投稿、我と我が身に叱咤激励、何せ。根っから不精者で。おまけに、分○症かと思えるぐらい気が散りますので・・・・

現在は、インチ図面をミリに全面書き直しています。写真は表紙のみです。

(一)弓と筒

2009年06月09日 11時36分05秒 | 前装銃
弓と筒
なんだか、大層な題ですが、両方経験した上で気がついたこと、弓から見た筒の射法、弓から取り入れられると思う事柄などを書いてみたいと思います。現代における火縄銃射撃と弓、どちらが射法に置いて原型をとどめているかと云えば文句なく弓でしょう、しかし現代弓道は礼射に重きを置き実戦的では無いと思われます、射撃からこられた方は弓道はあまりご存じないことと思いますので理解している範囲で書いてみます。上記の実戦的では無いは、言い換えると的中至上ではないのです。射撃の方は、?と思われるでしょう、また弓の方も、試合では的中数で決まるのにと私も現役中は思っていました、的中するにもいろいろあるとよく言われていましたが中らなければ何もない、何も成らないとも言います、そこにある矛盾が精神修養になるのかと個人的には思っていました。現代でも小笠原流(正面打ち起)礼射と日置流(へきりゅう)(徒射法)武射系が二大流派です。日置は斜面打おこし、小笠原流(流鏑馬に見られる弓馬術を含む総合的な武術で合理的な馬上の射法ほかにも武家の礼法一般の教授方)流鏑馬の呼称は小笠原流に限られほかは何々流弓馬術と言います、弓馬術にはほかに犬追う物など獣を的に弓馬術を錬磨していました、狂歌に犬を射んとて犬追う物落馬矢数に勝りたりと射手を笑ったものがあり意外と身近で頻繁に行われていたと思われます。重籐弓は小笠原流認許の弓で誰でも引けるという物ではありません。七段教士から) 正面打ちおこしと、違う射法をとっています。弓術指南番の家柄の古老によると戦後、武道弾圧により日置流つまり武射系の弓道人は追放になり、礼射系が主流となり現在に至っております

礼射とはつまり弓射を神事、弓を神器とします国旗の旗竿は弓で籐巻を表現する黒い部分が違え違いに現してあります。おそらく明治以降でしょうが、神武天皇の時代は丸木弓で籐巻きは必要ない、ついでに竿頭の金色の玉はヤタガラス(現在はサッカーのシンボルのほうが有名ですか)を現しています。(武道一般にいえることかもしれませんが特に強い宮中神事の新宮様ご誕生時の鳴弦の儀など)と考える射法です。

武射系統の神話的話は色々あります、ドイツ人哲学者と阿波範士の逸話『弓と禅』や。空気銃と試合して勝ったとか、オリンピックに和弓で出場したなど、つまり国内予選に勝利した、実戦的名人の逸話には事欠きません。(日置流は現在ほとんど見られなくなりました、年に1回宮崎の弓祭りの時に薩摩日置の鎧武者の集団演武が行われており戦陣の弓が見られます。)弓道は道場での体配など古来からの教えがそのまま残っています、火縄銃と弓、両方経験した私は弓の影響からは逃れられないようです、それならばいっそのこと積極的に利用しようと考えが変わりました、近代射撃は門外漢です、そのうちでも体配つまり体の使い方と精神(心気)の安定について少し説明したいとおもいます。
           

(二) 弓と筒

2009年06月08日 11時50分46秒 | 前装銃
    弓術の射法は八節から成ります。
 
1足踏み  2胴造り 3弓構え 4打越し 5引き分け 6会 7離れ 8残心

1.足踏み
八節とはつまり竹のように射術が連続して行われ、節のように動作があると言うことです。とくに前装射撃に重要なのは足踏みと胴造り、会(照準) 離れ 残心 心気の安定でしょう、 次は打越しと会。 離れ残心は前装射撃に通用すると考え、具体的に比較しながら進めたいと思います。前装の実際は射の前に装填や火縄の状態の整えなどが有ります。それは弓射においては射場にはいる前の弦張りや弦の手入れ矢の甲矢乙矢(はや おとや) 甲矢は右回転 乙矢は左回転します、鏑矢 上差矢 は四枚矧で矢の根は雁又なので回転しません)調べににています。ここにおいて動作は前後します。装填が終わり火皿に口薬が盛られて火蓋を閉じ火縄を火鋏につけてから足踏みを、行います。弓射では的割りで。両足の親指を的の中心線に合わせ。広さは矢尺(のど仏から左手を伸ばした中指の先までの長さ)に踏み開きます。足の角度は60度 ここで広さが問題になります、力行の弓射とちがい、前装は筒の重量があるのみで。弓射は弓の重さと言うよりは張力が一般的に16キロ~24~5キロ右手の(中指、人差し指に押さえられた親指の根本)と左手の手の内に絶えず掛かります。気のゆるみが有れば、そく戻り(縮む)弓から負けますその場合い弓本来の力が出ません、絶えず力行がもとめられそれは弓射の良否に反映し 正射正中となります。簡単に言うとまずは威力有る矢を放つ事(礼射においても) しかも的中することが求められます。 以前は女性は肩幅が足踏みの広さでした、現在は性別は無く矢尺です。前装においては肩幅で良いのではと思い実行しています。その時に弓射では三重十文字と言う決まりがあります、会、前装では照準しているときになりますか、その姿勢を上から見下ろしたとき両肩を結ぶ線と腰の線と足の親指を結ぶ線が平行に成っていることが求められます。現代射撃では右足を前に踏み出して姿勢を取っている方を見かけますが、右肩に銃床があるためと思います。是は是で合理的かと 前装は頬付けのみですから、右足は踏み出す必要はないとおもいます。姿勢については、弓は自然体を強調し遠的時の、のき胴が唯一後ろへ反るのを許されるぐらいです。的の方に突っ込むのも前に屈む後え、そるのも宜しくありません、中胴が基本です。簡単にいうと姿勢良く立った時のあり方です。その姿勢を基本にすべての動作が行われます、基本体型 縦横十文字などなどです。射撃より動作や射型が射の良否に占める割合が大きく動作の乱れは不調不中の原因に直ちにつながります。そのため第三者に常に見てもらう必要がありますそのためにも第三者が一目で分かる術で行う必要があります。心得のある人にはすぐに乱れが判る射法が 弓術の在り方でさもなくば孤流(我流)を引くと言われます。さて筒の重量を受け的を照準している上半身は弓を引き絞って的付けしている時と違って動揺は弓とは大違いに動揺します。(筒の照準がと言い換えても良いかと)弓は的に着いたら全く動揺しないものです、(老齢の射手や強すぎる弓を引くと、まれに右手や全身がふるえる方も少数見受けられます)なぜか、しばらくはわかりませんでした、現在も確たる答えは出ていませんが、単に筒を持って構える事に習熟していないのか? 極め尽くされた弓術と違い明治維新とともに亡びた前装射法は伝わっていないのか、これっといった現代における砲術教本は現在の所、知りません。弓は第五巻まで教本は出版され、毎月の月間紙まで発行されています。弓は現在なお進歩しています、弓の場合い上半身だけでなく下半身も連動して弓の張力を受け(力み無く)張り合っています。筒の場合上半身は上から下え重量を受けているだけです。体全体で力行している感覚は有りません、弓は、上半身の力を下半身につまり左手(押し手)の肘を張り右手(勝手)の肘を意識し両肘の力を腰え吐く息とともに胸を張り肩胛骨を合わせ腰に力を落とすと離れ(矢を発すること、それまでに時間にして最低6~10秒)が生まれます。これが現代弓道が目指す射です、筒は現代射撃のように体の外側に堅い殻と言っていいスーツを着ないのですから体をリラックスさせる射法は成り立たないのではないのでしょうか?体全体を骨法、筋力用い安定させる弓射に学ぶべきではないでしょうか?

(三) 弓と筒

2009年06月08日 11時49分29秒 | 前装銃
筒の時も似たような感覚が最近あります。それのきっかけは簡単なことでした、年1回の古式大会の時、珍しく胴着に袴を着け筒を放つた時(番筒の立射の時でした)筒を矢の様に感じ左手と右手(押し手 勝手)で少引っ張るように両肘を感じ胸を張りながら腰え、吐く息と共に力を落とします、と。射が生まれました、覚えぬうちに発砲していました(重量そのものを腰にが近い感覚です)きっかけは袴と帯でした帯がなければ胴造りが出来ない袴を着けなければ袴腰の基、(袴の腰板が背骨に着くことにより自然体が、自然に出来る)正しい姿勢が取れないと正しい呼吸が出来ない 呼吸が正しく出来ないと胴造りが出来ない、集中(腹式呼吸)呼吸と共に集中する武道の基本さえ守れない。やっぱり筒も武道です、私の場合い胴着と袴と帯を着用すると条件反射的に弓の動作が蘇ってくるようです。

(四) 弓と筒

2009年06月08日 11時48分06秒 | 前装銃
2.胴造り
胴造りは現代生活においては無縁の動作でしょう、日本人が着物と縁遠くなってその感覚を想像することさえ難しい物と思います。まずズボンにバンドでは全くむりです。(広さも位置もだめです位置は大相撲のまわしの位置です。)帯を締めるところからはじまります。胴着の上に帯を締めますがその時にさわらぬ息を詰めとありますつまり胸前に浅く息をする、丹田(臍の下)に息を込め帯を感じて(10割の息を7~8割のところまで帯で締める)弓では道場に居るときはいつでも胴造りがもとめられます、胴造りができると呼吸は、吐く息を細く長く、吸う息は早く深くとなります。つまり集中に最も適した呼吸法です、宮本武蔵は京の五条の大橋を一息で渡りきったそうですつまり吐く息の長さを言った物でしょう、息を吐いている限り臨戦態勢、(物陰に潜んで息を殺してと言うのも息合いをきどられんため)集中力の高さと言い換えてもいいかとおもいます。大リガーの野茂も松坂もイチローも松井もここぞと言うとき息を大きく吐き、力身をほぐし、集中しているのを映像としてよく見ますが動作にはいると息は、してるのかどうか判らなくなりますがその判らない息こそ集中のための息合いです。私も初心の時は息合いがと注意され息の仕方が判らなくなり、戸惑った記憶がありますが(呼吸だけでなく立った姿勢が出来てない歩き方が出来てない今まで人間だったのかと思う様な指摘を受けずいぶん戸惑いました最も小笠原流の所作は武家の所作ですから戸惑うのも当然かと。)息合いをおぼえるのも大変でした、すべての動作は吐く息で始まります、一力一息 動作と息が合わないと見る間に顔が赤面します。これこそ息が合わないの見本。 人間最後に息は吸う物だそうです、息を引き取る、息を吹き返すで助かったになりますが、外人は最後には息を吐くで旅立つのだそうです。

(五) 弓と筒

2009年06月07日 17時39分14秒 | 前装銃
3・弓構え
筒では、火蓋を切る所になります、

4.打越し 5.引き分け
弓では、前面.45度に持ち上げ云々となりますが、番筒では私は意識して眉毛の高さぐらいに持ち上げ(吐く息とともに、放つまで吐く吐ききらない)頬付けに筒を持って行きながら左手を若干滑らせながら的付けします。動作の目的は胴造りに適した呼吸法を守るため、に行います、

5.引き分け
目の高さから目当てが的に付くまでで筒を矢のように引きのばします。その動作で体全体の詰め合いが出来るように感じます。しかしこのことは弓術の心得がなければ会得出来がたいかとおもはれます。簡単に言うと両肘を意識し胸を張る。

6.会 7.離れ 8.残心
会(かい、弓を引き満ちて伸び有っている時。 射撃では照準中) 短いのは駄目だと言われます、筒はどうでしょうか筒は弓射とちがって的中にこそ本領があります、弓射は道場内の所作すべてが美意識にとぎすまされています小笠原流、武家の作法指南の家の流派でさすが徳川宗家の流派です。 お能のようでもあります、

弓と筒(六)

2009年06月07日 17時38分09秒 | 前装銃
砲術の関流では 先目当てと的が合った瞬間に放つとあり、会の長短には斟酌がないようです、弓とはそこのところはちがい会の長短と威力は無関係で(弓は、弓を引く筋肉とはべつに考え、会という動作を造り弓の威力を増すつまり伸び合い、詰め合いと言い表しています決して引き分けの時の矢尺より引くのではありませんがその時間を大事にします。) 瞬間をとらえて、的中を目指すところが弓射との違いでしょうか 弓では調子中りとか言いまして初心者の的中に分類されます、わたしの筒場合い的心付近をうろうろと目当てが動揺しています、無理に止めようとすると余計に動揺しますので後はそれに任せます、するといつの間にか放っています。(弓と禅で それ とは阿波範士がヘリゲル教授に言ったそれです)しかし、それ は危険なサインでもあります。集中と囚われ自分では集中の極みと思っていましたが単に囚われているだけだったことも多くそれは不調の前触れでもあります特徴としては的と自分だけしか判らなくなったり集団演武の間合いに遅れたり、視界が狭くなり的心しか判らなくなります、(弓道ではわざわざ霞的にし的にとらわれないようにしてあります武者系統は星的)修正不能の癖がついたりします。その前にすべてを忘れ意識して積み直すことです。意識して無意識に出来るように練習し、また自ら崩し意識して練習するのくりかえしです。師の教えは次々に来る所作や状況すべてを把握次々に来る動作に集中出来ることが集中だそうですあくまで理想ですが。会の途中に背中から斬りかかられても対処できる事だと言うことです。射撃なら照準中ですか。千手観音は集中の極みを現しているそうです。千本の手をそれぞれに動かし惑うことなく使用するこれが集中と言うことを現しているそうです。目は仏眼あの眠たそうな眼です。たった二本の手さえ思う道理に動かせないのが人間というものでしょか。


弓と筒 (七)

2009年06月06日 22時23分24秒 | 前装銃
心気の安定
心気の安定は呼吸に有りますここでの呼吸は自然体の上に胴造りされた独特(現代人にとって)の呼吸方法です、呼吸しないときはないのです。呼吸法さえ覚えれば常時、集中していることになります。(常在戦場の侍にとっては当たり前かもしれません)呼吸さえ乱れなければ狙う時間も充分なくらいは伸びるようです。呼吸を止めて安定を図っても瞬間を逃せば、動揺が大きくなり収まらなくなります。吐くの息を覚える事が良いのかと思います。台木が頬に付いてから吐けば良いのでは? 息合いを覚えると動作中に乱れなくなり正しい、集中もできその度合いも高くなります。

膝台
弓ではつくばい(蹲い)と言う射法が参考程度に教本にありますが危坐(片膝を付けつま先立ってすわること)から右足を踏み開くと全く逆で、詳しくは述べてありません。

引くと放つ 
弓では、師からは引いてみなさいと言われます、引き収まればおおよそ射の善し悪しがきまり(骨法 筋力正しく収まれば)。的中さえ決定づけられます、ちょっと打って見なさいとは言われません、筒は放つと云うそうです。放つ瞬間中り所がきまるのには納得できます。

弓と筒

2009年06月05日 11時32分09秒 | 前装銃
馬上筒 私の現在使用中の馬上筒は原則両手打ちです。それを片手で使用するための考えを書いてみます。
馬上筒の射法は現在暗中模索の段階です。弓の方から考えてみます。弓の押し手の使い方、がほぼ同じではないかと思います。実際は左手と右手で違います、馬上筒は右手で構え、その筋肉の使い方は弓の押し手の詰め合伸び合がそのまま流用できます。弓では最初に手の内を決める3.弓構えにその動作が詳しく述べてありますがここは斜面打越しがより近いので斜面打越しを参考にしたいと思います。打越しの動作に入る前に弓を持っていた左手の手の内をいよいよ射に適した持ち方に替えます押し手として機能するべく握りを替えます。親指を開き親指で弓を支え、そのため少し引く。人差し指をゆるく曲げ中指と小指を意識し薬指は遊ばせ中指薬指小指は弓の握りの中心線に爪をそろえるように置きます(爪揃えや薬指を浮かす紅葉握りなど)、そして左前下に肘を張りながら弓を押し開きます、(肘を張るのは右手左手を腰を中心とした円運動と、とらえるために肘が弱いと円運動にならない)そして弓は大三を取ります。筒は水平まですので(大三は考えなくて結構です腕が水平までが筒の動作ですから水平より高く持ち上げると理解されればいいです)その時押し手は弓を文字どうり押し開きます。肩根より親指を的を突く様にのばします。この時の肩から手の内までの動きがが馬上筒の射法にほとんど通用すると思いますが馬上筒の握りはどれもが個人の注文に合わせてあるかのように個性的です。流派に沿った物も見受けられますがその利方はよく分かりません現在使用中の馬上は田付流に近い間工学的な形状の台木ですが何とか手の内が決まれば後は一切手首は動かさないで狙い、その上下は肩根から動かして行います。その動作を装填が終わり火蓋を切った筒を構える所から行います。人差し指は緩く曲げ、このとき引き金にはさわりません、押し手の人差し指は弓でも遊んでいます。火蓋を切り照準に入るとき力み無く親指を的に突き出すように肩根から伸ばしひじを張ります。(力みがこないくらい)弓では親指で中指を押さえ弓を捻るのですが(弓構えの後は、弓は握っていません弓自体の反発力を活かすには押すしかないので押し手と言います。)馬上筒の場合い捻りは必要有りませんもっぱら親指の根元で筒を押さえる様に持ち全体を的に突っ込む様に肩根からのばしています、火縄の調子も程良く整い手の内が決まれば的の下よりゆるゆると揚げ(弓の打ち起と同じ動作で)照準位置まで来れば放つ、もちろん胸を張る様にし胴造りに関連させ全身を使うべきですが足踏みとの関連などこれからの課題です。是がやっと見つけて現在行っている馬上筒の射法です。馬上より短い短筒は又違う射法が有るのでしょうが、短筒は経験有りませんので、又の機会に譲りたいと思います。もう一つの問題は左手の運動です、未だに答えが出ていません、馬上に有れば手綱を持っているのでしょうが、これからの課題です。
今馬上筒については研究中でもあります、古文書にも一々詳述されていませんが探しても居ます、肝心なところは口伝になっているのが残念です 新たな考えに変わりましたら又書いてみたいと思っています。弓の経験が無い方には難解かもしれませんが悪しからず。

弓と筒

2009年06月05日 11時29分38秒 | 前装銃
最後に、久しぶりに弓道教本を読み返して驚くほど砲術との共通点が多いのに気がつきました、長篠の合戦屏風に有る筒の構えを見ると皆、弓の押し手のように左手を使っています。良く聞く鳥打ちの筒が伝わったので頬付けしかないとか反動を受け流すためとか、鎧を着用しているために頬付けまでしかない台木であるとかの説を聞きますが、優れた物を取り入れるはずで肩付け法に利方が有れば鎧などは簡単に解決つくはずです。頬付け筒をえらんだ理由のひとつには弓術からの影響が有ったのではと個人的には思いを深めています、弓からは容易に火縄銃に移行しやすかったのでは、武芸百般に通じたと云う言葉が有りますが武士の目的は常に勝利で得物は一つに限らず常に勝利を目指すもので目的が勝利ならその時その時に適した得物を使用できなければならず違和感なく弓から筒えと錬磨に励んだのではないのでしょうか?それには頬付けの方が射法において利点が有るとの判断があったのでは、弓と筒の二種の混成部隊が絵巻に見られます。自分の得物が故障したときなど自由に戦死者の得物で戦うのは十分想像できることです。

弓と筒 鉄砲伝来

2009年06月05日 00時22分55秒 | 前装銃
1543年(天文12年)の鉄砲伝来『イゴノヨミナカワル』という 軍事上の革命が起こりました、私の想像ですが最も敏感に反応したのは弓術指南が家業の侍達では無かったのでしょうか拒否反応と正確な分析、実利 虚像と実像 名誉は弓に譲り(徳川家康 戦国の世の最終勝利者でも東海一の弓取りといいあらわす)実利の武器としては、鉄砲の時代に変わり、心ある弓術家は鉄砲を極める事に心は移ったのではないでしょうか。
しかし語呂合わせにしても言い得て妙です。

砲術古書伝

2009年06月03日 10時43分19秒 | 前装銃
引用は日本武道全集によります。原文のままですので、読み辛いのですが
何度も読めば意味は通じると思います。

高島流砲術秘書伝 玉薬の事
平日一々程良き所の薬の分量を極む。分量過ぎたる薬は害あり。如何となれば。燃立事
なしに夥しく口元に落ちて、是に依て玉を進むべき所の物を減ず。
少なき薬も害有り。此害力にも早さにも及ぶ。我砲術家にて極めたる薬は玉の重さの三分の一なり。時としては玉に過分の力を与ふるにりあり。然れどもまた多く小分の薬を是として、是を撰び 求むる事もあり。 たとえば船軍の時に過分力を持たる玉を以て船を打たるは、是を打穿つに足る程の早さを持ちたるものよりは、効能少なき事を称せり、
玉の力の強きは時に速に塞ぐ事のなる穴を作るに斗りに過ぎず、力の劣りたる玉にて打時は、大なる破れを造りて、彼が道に出遭ふ物は砕けてそこのふ事を記す。とべり打ちはいつも小薬なり。的の遠近に随てその分量を定むべし。

伊勢流 錬の事
佐伯毛利家の始祖伊勢守高政は若年より砲術に志し、その学理を研鑽すると共に熱心に鉄砲の修練に励んだ。壮年のころ、鉄砲の練習に費やした弾薬の量は三、四年の間に十反帆船一艘ぶりほどにもなったと伝えられ、常に人々に、「これぐらいの玉薬をうち捨てなければ、腕は上達しない物だ」と語っていた。
では十反帆船とはどのくらいの積載量だったのか?十反帆船は判りませんが、七反帆船で
27トンだそうです。仮に正比例するとすれば38.58トンとなり四年で消費するとすれば一年9.645トンで1日27キロとなります。侍筒なら十匁の三分の一約12グラム2250発になります。3匁なら7200発、是が毎日ということです。
百射を以て習といい、千射を以て錬と言うという言葉のままです。読まれての判断は各々にお任せします。

荻野流  相玉之事
相玉は薄き紙一重包み壱放打、次は能々拭きり打なり。拾放の間は三度づつ筒の掃除なしでは打連ぬもの也。能とのへ打時は中り十分也。然共戦場は急を用ゆるによって劣玉を用。劣玉は3匁五分の相玉ならば三匁三四分にする也。これを用ゆれば一より十迄筒の掃除無くして打払也。相玉にては中り十分、劣玉にては中り七分也。三分損あれども肝要の場、至極急を打つとき相玉は槍前迄五放なら打るまじ。皆中にても五つの中り也。劣玉にては十放打払ふべし。しかるときは七つ中る。是三分の勝也。爰を似劣り玉を用いるなり。
此勝負明なり。

井上流 膝台 釣り合いの規矩
膝台に用也。左の手の内、前の方に鉄砲をのせ、指根の所を少すかし、人さし指だけたか指のさき台の矢穴を中墨にとりて、そとあて、小指さがりにひずませ、またあひ広くる也右の大指を頬の間に置て、右の手に少しも力を不レ入 顔計にて押へ候に、左の手出過ぎ候ても、又手前へ寄しても釣り合い悪く候。釣合候てよき所に、左の手を定め、顔にて
押付る心持をいふ。あたる所の極意是肝要也。口伝

引の心持ちの事
手にて挽ば前へ付き、さかる心にて挽ば後ろへ切り、顔にて押心あればこす物也。
此両様をはなれ、ゆび先計にて引きおとす事肝要なり。あたる所は、目当を星へふりあわせんとおもう計にて、挽とも引不ともなく、無念無想の理也。

荻野流  引相心を強く引は後ろの事
引金を指にて引心持のこと也。故は心にてもたれて強く引けば台かふを引だす故必後へ着くもの也。 
指にて強く引は前の事 指にてしたるく強く引ば台を引込故前へきるるもの也。
以上は心の直し也。未熟之内の直方にてはなく、半程稽古至りて前後の切れなどいづるとき用が心持ちなり。初心之内は害に成也。惣而心の持様此段にて委し

合伝流武学者徳田□興
それぞれに利方あれど武芸には まずは鉄砲を最上とせよ 合伝流軍歌 真田幸村九度山にて潜居中に鉄砲の練兵を研鑽その根拠となる軍歌です。
九利『火戦々法における九つの利点』 実戦のことで参考になりませんが、8番目の消火には、一尺程度に切った切り火縄を三本程度持を携行し一本は火縄通しに予備として指しておくとあります。火縄通しは予備の火縄のためにあるのでしょうか?

荻野流 玉相之事
此玉相は小筒の相玉劣りと云とは訳違うふなり。世上にて紙一へんの透ありてもいずれへ
尾付出れば夫だけの切れに成という一種はあれ共、世上此理斗になつみて外の工夫なき故に、至極相玉を吟味して餅糊等をつけ張廻し、とくさ むくの葉をかけて至極すきのなき様さして打事を肝要とする也。如レ此 するは大筒には大き成害也。流儀にては玉相かたきを不レ好也。百目より二三百目迄は常の薄半紙二返包にてよし。四百目以上は半紙三
四篇包みてよし。近くは薄く、遠きは厚がよし。右篇数は先づ遠き方の積り也。紙厚薄
にて篇数違うなり。玉は巣口を出、暫之間は直行き先きにては切れるもの也。然を玉相を
有余なくして玉いれて大いに切れ出るもの也。此所を合点して、遠町等別而玉合有余すべきこと也。

田付流 眼見広遠事
目に近き見当の溝の細きを専用と見るをきらひたる詞なり。先のねらい物に目を付置て、其間へ筒出れば、おのづから目当は合なり。若筒うごいてわきへよるとも、夫に目をうばわれ、的に目を付おけば、筒はおのづから的へ立かへるなり。亦ねらい物のうごきはたらくも同事なり。物に目をうばわれ、きらめかず、のどかに見わたせば、筒とねらいものとうごきあいて、目にあいきたるなり。波のうへ船の中これなり。此筒左の手にてさしあはすると思へば、筒先はねあがる 右の手にてさしあぐると思へば、本を持上る。故に筒先
下り目当不レ合、鉄砲は只一顆の玉のごとく心得、両の手にてさしつくるなり。扨叉左
の目をとぢて見る事わろし。筒より下のものは、みえぬなり。常両眼にてねらいならふべし。顔もうつむきすれば、笠甲につかえて目見へず。目を見はりぬれば、早くくたびれ、ほこり火も入なり。庭前の花を見るごとくの眼情よきなり。