前装銃やモデルエンジニア

前装銃射撃について、大会参加やモデルエンジニアの世界をのぞく

弓と筒(六)

2009年06月07日 17時38分09秒 | 前装銃
砲術の関流では 先目当てと的が合った瞬間に放つとあり、会の長短には斟酌がないようです、弓とはそこのところはちがい会の長短と威力は無関係で(弓は、弓を引く筋肉とはべつに考え、会という動作を造り弓の威力を増すつまり伸び合い、詰め合いと言い表しています決して引き分けの時の矢尺より引くのではありませんがその時間を大事にします。) 瞬間をとらえて、的中を目指すところが弓射との違いでしょうか 弓では調子中りとか言いまして初心者の的中に分類されます、わたしの筒場合い的心付近をうろうろと目当てが動揺しています、無理に止めようとすると余計に動揺しますので後はそれに任せます、するといつの間にか放っています。(弓と禅で それ とは阿波範士がヘリゲル教授に言ったそれです)しかし、それ は危険なサインでもあります。集中と囚われ自分では集中の極みと思っていましたが単に囚われているだけだったことも多くそれは不調の前触れでもあります特徴としては的と自分だけしか判らなくなったり集団演武の間合いに遅れたり、視界が狭くなり的心しか判らなくなります、(弓道ではわざわざ霞的にし的にとらわれないようにしてあります武者系統は星的)修正不能の癖がついたりします。その前にすべてを忘れ意識して積み直すことです。意識して無意識に出来るように練習し、また自ら崩し意識して練習するのくりかえしです。師の教えは次々に来る所作や状況すべてを把握次々に来る動作に集中出来ることが集中だそうですあくまで理想ですが。会の途中に背中から斬りかかられても対処できる事だと言うことです。射撃なら照準中ですか。千手観音は集中の極みを現しているそうです。千本の手をそれぞれに動かし惑うことなく使用するこれが集中と言うことを現しているそうです。目は仏眼あの眠たそうな眼です。たった二本の手さえ思う道理に動かせないのが人間というものでしょか。


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