前装銃やモデルエンジニア

前装銃射撃について、大会参加やモデルエンジニアの世界をのぞく

砲術古書伝

2009年06月03日 10時43分19秒 | 前装銃
引用は日本武道全集によります。原文のままですので、読み辛いのですが
何度も読めば意味は通じると思います。

高島流砲術秘書伝 玉薬の事
平日一々程良き所の薬の分量を極む。分量過ぎたる薬は害あり。如何となれば。燃立事
なしに夥しく口元に落ちて、是に依て玉を進むべき所の物を減ず。
少なき薬も害有り。此害力にも早さにも及ぶ。我砲術家にて極めたる薬は玉の重さの三分の一なり。時としては玉に過分の力を与ふるにりあり。然れどもまた多く小分の薬を是として、是を撰び 求むる事もあり。 たとえば船軍の時に過分力を持たる玉を以て船を打たるは、是を打穿つに足る程の早さを持ちたるものよりは、効能少なき事を称せり、
玉の力の強きは時に速に塞ぐ事のなる穴を作るに斗りに過ぎず、力の劣りたる玉にて打時は、大なる破れを造りて、彼が道に出遭ふ物は砕けてそこのふ事を記す。とべり打ちはいつも小薬なり。的の遠近に随てその分量を定むべし。

伊勢流 錬の事
佐伯毛利家の始祖伊勢守高政は若年より砲術に志し、その学理を研鑽すると共に熱心に鉄砲の修練に励んだ。壮年のころ、鉄砲の練習に費やした弾薬の量は三、四年の間に十反帆船一艘ぶりほどにもなったと伝えられ、常に人々に、「これぐらいの玉薬をうち捨てなければ、腕は上達しない物だ」と語っていた。
では十反帆船とはどのくらいの積載量だったのか?十反帆船は判りませんが、七反帆船で
27トンだそうです。仮に正比例するとすれば38.58トンとなり四年で消費するとすれば一年9.645トンで1日27キロとなります。侍筒なら十匁の三分の一約12グラム2250発になります。3匁なら7200発、是が毎日ということです。
百射を以て習といい、千射を以て錬と言うという言葉のままです。読まれての判断は各々にお任せします。

荻野流  相玉之事
相玉は薄き紙一重包み壱放打、次は能々拭きり打なり。拾放の間は三度づつ筒の掃除なしでは打連ぬもの也。能とのへ打時は中り十分也。然共戦場は急を用ゆるによって劣玉を用。劣玉は3匁五分の相玉ならば三匁三四分にする也。これを用ゆれば一より十迄筒の掃除無くして打払也。相玉にては中り十分、劣玉にては中り七分也。三分損あれども肝要の場、至極急を打つとき相玉は槍前迄五放なら打るまじ。皆中にても五つの中り也。劣玉にては十放打払ふべし。しかるときは七つ中る。是三分の勝也。爰を似劣り玉を用いるなり。
此勝負明なり。

井上流 膝台 釣り合いの規矩
膝台に用也。左の手の内、前の方に鉄砲をのせ、指根の所を少すかし、人さし指だけたか指のさき台の矢穴を中墨にとりて、そとあて、小指さがりにひずませ、またあひ広くる也右の大指を頬の間に置て、右の手に少しも力を不レ入 顔計にて押へ候に、左の手出過ぎ候ても、又手前へ寄しても釣り合い悪く候。釣合候てよき所に、左の手を定め、顔にて
押付る心持をいふ。あたる所の極意是肝要也。口伝

引の心持ちの事
手にて挽ば前へ付き、さかる心にて挽ば後ろへ切り、顔にて押心あればこす物也。
此両様をはなれ、ゆび先計にて引きおとす事肝要なり。あたる所は、目当を星へふりあわせんとおもう計にて、挽とも引不ともなく、無念無想の理也。

荻野流  引相心を強く引は後ろの事
引金を指にて引心持のこと也。故は心にてもたれて強く引けば台かふを引だす故必後へ着くもの也。 
指にて強く引は前の事 指にてしたるく強く引ば台を引込故前へきるるもの也。
以上は心の直し也。未熟之内の直方にてはなく、半程稽古至りて前後の切れなどいづるとき用が心持ちなり。初心之内は害に成也。惣而心の持様此段にて委し

合伝流武学者徳田□興
それぞれに利方あれど武芸には まずは鉄砲を最上とせよ 合伝流軍歌 真田幸村九度山にて潜居中に鉄砲の練兵を研鑽その根拠となる軍歌です。
九利『火戦々法における九つの利点』 実戦のことで参考になりませんが、8番目の消火には、一尺程度に切った切り火縄を三本程度持を携行し一本は火縄通しに予備として指しておくとあります。火縄通しは予備の火縄のためにあるのでしょうか?

荻野流 玉相之事
此玉相は小筒の相玉劣りと云とは訳違うふなり。世上にて紙一へんの透ありてもいずれへ
尾付出れば夫だけの切れに成という一種はあれ共、世上此理斗になつみて外の工夫なき故に、至極相玉を吟味して餅糊等をつけ張廻し、とくさ むくの葉をかけて至極すきのなき様さして打事を肝要とする也。如レ此 するは大筒には大き成害也。流儀にては玉相かたきを不レ好也。百目より二三百目迄は常の薄半紙二返包にてよし。四百目以上は半紙三
四篇包みてよし。近くは薄く、遠きは厚がよし。右篇数は先づ遠き方の積り也。紙厚薄
にて篇数違うなり。玉は巣口を出、暫之間は直行き先きにては切れるもの也。然を玉相を
有余なくして玉いれて大いに切れ出るもの也。此所を合点して、遠町等別而玉合有余すべきこと也。

田付流 眼見広遠事
目に近き見当の溝の細きを専用と見るをきらひたる詞なり。先のねらい物に目を付置て、其間へ筒出れば、おのづから目当は合なり。若筒うごいてわきへよるとも、夫に目をうばわれ、的に目を付おけば、筒はおのづから的へ立かへるなり。亦ねらい物のうごきはたらくも同事なり。物に目をうばわれ、きらめかず、のどかに見わたせば、筒とねらいものとうごきあいて、目にあいきたるなり。波のうへ船の中これなり。此筒左の手にてさしあはすると思へば、筒先はねあがる 右の手にてさしあぐると思へば、本を持上る。故に筒先
下り目当不レ合、鉄砲は只一顆の玉のごとく心得、両の手にてさしつくるなり。扨叉左
の目をとぢて見る事わろし。筒より下のものは、みえぬなり。常両眼にてねらいならふべし。顔もうつむきすれば、笠甲につかえて目見へず。目を見はりぬれば、早くくたびれ、ほこり火も入なり。庭前の花を見るごとくの眼情よきなり。