前装銃やモデルエンジニア

前装銃射撃について、大会参加やモデルエンジニアの世界をのぞく

弓と筒

2009年06月05日 11時32分09秒 | 前装銃
馬上筒 私の現在使用中の馬上筒は原則両手打ちです。それを片手で使用するための考えを書いてみます。
馬上筒の射法は現在暗中模索の段階です。弓の方から考えてみます。弓の押し手の使い方、がほぼ同じではないかと思います。実際は左手と右手で違います、馬上筒は右手で構え、その筋肉の使い方は弓の押し手の詰め合伸び合がそのまま流用できます。弓では最初に手の内を決める3.弓構えにその動作が詳しく述べてありますがここは斜面打越しがより近いので斜面打越しを参考にしたいと思います。打越しの動作に入る前に弓を持っていた左手の手の内をいよいよ射に適した持ち方に替えます押し手として機能するべく握りを替えます。親指を開き親指で弓を支え、そのため少し引く。人差し指をゆるく曲げ中指と小指を意識し薬指は遊ばせ中指薬指小指は弓の握りの中心線に爪をそろえるように置きます(爪揃えや薬指を浮かす紅葉握りなど)、そして左前下に肘を張りながら弓を押し開きます、(肘を張るのは右手左手を腰を中心とした円運動と、とらえるために肘が弱いと円運動にならない)そして弓は大三を取ります。筒は水平まですので(大三は考えなくて結構です腕が水平までが筒の動作ですから水平より高く持ち上げると理解されればいいです)その時押し手は弓を文字どうり押し開きます。肩根より親指を的を突く様にのばします。この時の肩から手の内までの動きがが馬上筒の射法にほとんど通用すると思いますが馬上筒の握りはどれもが個人の注文に合わせてあるかのように個性的です。流派に沿った物も見受けられますがその利方はよく分かりません現在使用中の馬上は田付流に近い間工学的な形状の台木ですが何とか手の内が決まれば後は一切手首は動かさないで狙い、その上下は肩根から動かして行います。その動作を装填が終わり火蓋を切った筒を構える所から行います。人差し指は緩く曲げ、このとき引き金にはさわりません、押し手の人差し指は弓でも遊んでいます。火蓋を切り照準に入るとき力み無く親指を的に突き出すように肩根から伸ばしひじを張ります。(力みがこないくらい)弓では親指で中指を押さえ弓を捻るのですが(弓構えの後は、弓は握っていません弓自体の反発力を活かすには押すしかないので押し手と言います。)馬上筒の場合い捻りは必要有りませんもっぱら親指の根元で筒を押さえる様に持ち全体を的に突っ込む様に肩根からのばしています、火縄の調子も程良く整い手の内が決まれば的の下よりゆるゆると揚げ(弓の打ち起と同じ動作で)照準位置まで来れば放つ、もちろん胸を張る様にし胴造りに関連させ全身を使うべきですが足踏みとの関連などこれからの課題です。是がやっと見つけて現在行っている馬上筒の射法です。馬上より短い短筒は又違う射法が有るのでしょうが、短筒は経験有りませんので、又の機会に譲りたいと思います。もう一つの問題は左手の運動です、未だに答えが出ていません、馬上に有れば手綱を持っているのでしょうが、これからの課題です。
今馬上筒については研究中でもあります、古文書にも一々詳述されていませんが探しても居ます、肝心なところは口伝になっているのが残念です 新たな考えに変わりましたら又書いてみたいと思っています。弓の経験が無い方には難解かもしれませんが悪しからず。

弓と筒

2009年06月05日 11時29分38秒 | 前装銃
最後に、久しぶりに弓道教本を読み返して驚くほど砲術との共通点が多いのに気がつきました、長篠の合戦屏風に有る筒の構えを見ると皆、弓の押し手のように左手を使っています。良く聞く鳥打ちの筒が伝わったので頬付けしかないとか反動を受け流すためとか、鎧を着用しているために頬付けまでしかない台木であるとかの説を聞きますが、優れた物を取り入れるはずで肩付け法に利方が有れば鎧などは簡単に解決つくはずです。頬付け筒をえらんだ理由のひとつには弓術からの影響が有ったのではと個人的には思いを深めています、弓からは容易に火縄銃に移行しやすかったのでは、武芸百般に通じたと云う言葉が有りますが武士の目的は常に勝利で得物は一つに限らず常に勝利を目指すもので目的が勝利ならその時その時に適した得物を使用できなければならず違和感なく弓から筒えと錬磨に励んだのではないのでしょうか?それには頬付けの方が射法において利点が有るとの判断があったのでは、弓と筒の二種の混成部隊が絵巻に見られます。自分の得物が故障したときなど自由に戦死者の得物で戦うのは十分想像できることです。

弓と筒 鉄砲伝来

2009年06月05日 00時22分55秒 | 前装銃
1543年(天文12年)の鉄砲伝来『イゴノヨミナカワル』という 軍事上の革命が起こりました、私の想像ですが最も敏感に反応したのは弓術指南が家業の侍達では無かったのでしょうか拒否反応と正確な分析、実利 虚像と実像 名誉は弓に譲り(徳川家康 戦国の世の最終勝利者でも東海一の弓取りといいあらわす)実利の武器としては、鉄砲の時代に変わり、心ある弓術家は鉄砲を極める事に心は移ったのではないでしょうか。
しかし語呂合わせにしても言い得て妙です。