俺は手話世界の嫌われ者。
多くの人が、「これが当然」とか「これが正しい」と言っていると、それを疑いたくなる。
例えば、手話世界の主流派たちの教えに、こういうものがある。
「講演会の手話通訳に言って、その講演が商品販売のためのものだと判明したら、通訳を中止し、ただちに帰宅しなさい」
言ってることの趣旨は理解できる。
しかし・・・
もし俺が、上記の状況に立たされたら、どうするか。
申請者さんの意向を聞く。
「最後まで話を聞きたい」
とおっしゃるならば、最後まで通訳する。
そして、通訳終了後、つまり「通訳者」の立場を終えてから、申請者さんに、
「この講演、商品販売目的やで」
と話す。うさんくさい印象を持っていたら、それも率直に伝える。
うさんくさい話だから、聞く(つまり、通訳してもらう)必要はありません。
でも、それって、ろう者本人が決めることなんちゃうか?
多くの人が、「これが当然」とか「これが正しい」と言っていると、それを疑いたくなる。
例えば、手話世界の主流派たちの教えに、こういうものがある。
「講演会の手話通訳に言って、その講演が商品販売のためのものだと判明したら、通訳を中止し、ただちに帰宅しなさい」
言ってることの趣旨は理解できる。
しかし・・・
もし俺が、上記の状況に立たされたら、どうするか。
申請者さんの意向を聞く。
「最後まで話を聞きたい」
とおっしゃるならば、最後まで通訳する。
そして、通訳終了後、つまり「通訳者」の立場を終えてから、申請者さんに、
「この講演、商品販売目的やで」
と話す。うさんくさい印象を持っていたら、それも率直に伝える。
うさんくさい話だから、聞く(つまり、通訳してもらう)必要はありません。
でも、それって、ろう者本人が決めることなんちゃうか?