爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

視野を広げて生きる

2022-03-22 14:25:43 | 日記
考えが人生を作る。

私たちは考えによって、思い通りの人生を実現しようとする。

それには、まず自分の考えをしっかり持ちなさい。

そうすれば、貴方は貴方の人生を前向きに生きられる…。

現代の人は頭で考える事に、自信を持ちすぎてしまった。

そして、毎日自分の口から、自分の考えを吐き出して、ひっきりなしに文句を言っている。

冷静に考えてみれば、人生というものは自分の考えた通りに行く筈がないのに、その通りにいかないと、不快さが極度に高まる。

たまには自ら手を下して、頭に浮かんでいる自分の考えを、スパッと捨てないと、不測の運命に出会うと、たちまち途方に暮れてしまう。

考えが強すぎる人は、新しい運命にうまく対応出来ない。

人生が自分の考え通りに行っている時には、そのままで良い訳だが、考え通りに行かない時には、自分の考えを捨てさえすれば良いのだ。

もし自分の考えを捨てたいのなら、他人の事を深く敬し、思いやってやる事だ。

「仁を求めて、仁を得たり」と、孔子は言っている。

仁の心の思いやりの心は、生まれた時から自分の心に内在している。

でも、その心は競争の生活をしている内に消えてしまう。

他人を思いやる心を失うと、だんだん孤立し自閉の世界に落ちていく。

自己愛だけでは、スカッと爽やかな毎日が送れない。

私たちはもう少し「貴方のため」「皆んなのため」に目を向けた方が良い。

そうする事が、実は自分の心の中に、思いやりの「仁」の心の求める事になる。

求めればどんどん育って行く。




自分を過信しない

2022-03-19 19:17:27 | 日記
貴方の人生を作っているのは、貴方の頭の中に湧いてくる想い。

貴方の人生は、貴方の想いによって、展開してきた。

現代人は、神や仏への信仰はしなくなったが、その代わり自分の想いを信仰している。

一億、二億の人たちが、皆んな自分の想いに執着して、なかなか相手の想いを受け入れない。

少しでも想いが違うと、もう相手の想いに納得出来ない。

自分の想いを大切をするのは結構だが、自分の想いだけが絶対であると思うのは、すこぶる傲慢である。

もし自分より強大なものに、自分の想いを打ち砕かれると、心が痛み憂鬱になり、閉じこもってしまったり、暴走したりする。

「君子は徳を懐く」と孔子は言う。

人間の「想い」を軽視はしないが、自分の想いではとても及ばない、目に見えない偉大な力によって生きている事実を、こざかしい常識を捨てて、見直してみなさい…と。

この世界は、決して人間だけで生きている訳ではない。

あらゆる生命を生かしているのは、「想い」ではない。

あらゆる生命の元は、自然の生成力(徳)である。

若い頃に私は、自分の生命が宇宙と同じ生命だと言われても、まったく信じなかった。そんな筈はない。

自分の生命は自分のモノであって、他の何物でもないと想っていたが、よくよく考えてみると、父のその父、その父のまた父…。

母の母、その母の母…と繋がって生き継がれてきたのだ。

その生命を生み育て、継続させたのは太陽であり、空気であり、水であり、光であり、大地自然であり…これを纏めれば、宇宙の生成力であった。

その恵みを一切忘れ果てて、人間だけが王者の様に想い、振る舞ってはならない。




「自分の価値」を見直す

2022-03-17 08:05:07 | 日記
「自分は大したもんだ」と胸を張って、自信を持って生きる事も、大事な事だが、一方では常に「自分は大したもんじゃない」と一歩引き下がって、遠慮して生きる事も、大切なのだ。

人間は人の力だけでは、一瞬たりとも生きては行けない。

風の力、水の力、緑の力、太陽の力…。

つまり自然と宇宙の命が無くては、どうしても生きられないと言う事実を、自身が感じれば、成功しても思い上がる事はない。

「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」

これは孔子の言葉の中で、最も重要な言葉だ。

孔子の人生の目標は「道」、つまり宇宙の偉大さを知り、その真理を体得し、宇宙の心である謙虚で誠実な真心と思いやりを持って、良縁のある人に尽力する事であった。

それには、まず相対的な人の価値を超越して、宇宙の道理の素晴らしさを自得する事であった。

人たるもの、もし宇宙の生命の道理を悟る事が出来たら、いつ人生の終わりを迎えてもよい。

道理を知って、この世を生きる。

これが孔子の人生哲学であった。

尊大なエリートがやって来て「今の会社が自分を評価してくれない、だからどこか他の職場を探したい」とげっそりと、やつれた顔でやって来た。

私はこう答える。

「転職する前に、考えなくてはならない事がある。
君の苦しみは、会社の評価と自分の評価が違うだけじゃないのかな。
会社では君への評価を正しいと思っている。
でも君は正しくないと思っている。
転職した処で『自己評価』と『他人評価』のギャップを超越しないと、悩みは尽きないね」…と。

天道には、相対の評価はなく、絶対無欠だ。

もっと、世の中の相対の評価を超越して、絶対宇宙の世界に自由に生きたい。



光をいっぱい浴びる

2022-03-14 05:01:26 | 日記
徳とは宇宙の生成力である。

この広い大宇宙に満ち溢れ、ものを生み、ものを変化させる偉大なる生命源である。

徳の大きな力は、目には見えない。

肌で感じられない。

どこでどう働いているのか、人間にはまったく分からない。

見えない。分からない。掴めない。

しかし、この偉大なる力がある。

この力が無ければ、宇宙の運行はない。

この力が無ければ、自然の美しい変化もない。

この力が無ければ、生きとし生けるものは、あッという間に全滅するが、この力には名を付けられない。

何と言っていいのか、分からない。
有るには有るが、名がない。

現代の科学者たちは、この偉大なる宇宙の生成力に対して「サムシング・グレート」と、仮に名付けている。

「何か分からないが、偉大な力」という意味なのだ。

孔子はこれを仮に「徳」とか「直」と言っているに過ぎない。

この徳を、堅苦しい世間のしかめっ面をした「道徳」などと理解しては困る。

徳は人間の倫理よりも、もっと広く、もっと大きく、かつ強烈な力である。

この宇宙の大自然の生成力を、大空に両手を広げ、この身いっぱい受けて生きていると、不思議と悩みや苦しみが消えていく。

これは理屈ではない。宗教でもない。

宇宙や大自然の中で生きている事を実感し、感謝すると、自分の中に眠っていた宇宙の生成力が目覚めるのである。

そして少しずつ、自分の生きる機能を高めてくれる。

「徳を執ること弘からず」

孔子はこの宇宙の恵みを、広く大きく身に受けて感謝しないと、苦悩の多い人生になると、忠告している。





無理に仲良くしない

2022-03-09 23:11:06 | 日記
徳とは、自然や宇宙の生成力である。

徳には、天徳、地徳、人徳の三つがある。

その内のもっとも偉大なものは、天徳である。

天、つまり宇宙の生成力そのものである。

生成力とは、ものを生み育て、ものを変化させ、ものを運行する力である。

化育力ともいう。

太陽がキラキラ輝き、月も地球も火星も金星も、その周りを決められた速度で、決められたコースを巡っている。

これら誰の力によるものか。

天徳の力による。

この天徳が地球の自然に働いて「地徳」になる。

つまり大自然の生成力となる。

山に緑が茂り、川が流れ、川には魚が泳ぎ、空気が流れて風となり、美しい花が咲き、おいしい実がなる。

これは宇宙の生成力が、地球の自然の中で働いていてくれてある「地徳」である。

また天徳が、人間に働いて「人徳」となる。

孔子は「天が徳を予に生ぜり」という。

美しい花が見られる。
かぐわしい香が嗅げる。
ケーキを食べればうまい。
音楽を聴いて楽しむ。
歩く、立つ……これは皆んなに天の生成力が人間の中で働いているのだ。

同じ自然の生成力で生きているのだから、お互いに相手を認め、繋がりを密にしたいが、現実の問題として、自分を強引に支配しようとしたり、意地悪な事をしかけたり、騙したりする人も結構いる。

一緒にいても少しも楽しくない。

こんな合わない人と、無理に仲の良い人間関係を保つ為の努力をし続けていたら、自分はヘトヘトに疲れる。

そんな時には、その人をサッパリ捨ててみる。
それは仕方のない事だ。

ただ、その時に相手を恨むのはやめる。

皆んな同じ、自然の生成力で生きているのだから、許そう。