電化製品も車も、あまりに安いと、そんなに欲しくなくなる。
家や土地は手が届きにくい値段になると、返って何とか手に入れ様と、執着し始める。
物の値段というものは、とても上手く付けてある。
今の自分の収入では、とても買えないがローンを利用すれば、まったく買えなくはない。
そうなると、あまり必要の無いものにも、強い執着心を抱く様になり、その物から心が離れなくなってしまう。
その執着心に心を惑わされ、人生の道筋を狂わされてしまう。
いつの間にか、とても出来ないのに、出来ると思わせてしまう魔法の杖を持たせられ、無理の上に無理を重ね、ものの奴隷になる。
孔子は子路というお弟子さんに「鳥たちの動きを見ていると、その時その場に応じた、執着のない行動をしているね」と言った。
子路はそこへ飛んできた、キジに餌を投げた。
キジは三回餌の匂いを嗅いだだけで、さっと飛び去った。
孔子は「せっかく目の前に投げられた餌でも、必要が無ければそれを食べないね」と。
春爛漫の桜の花。ああ、美しい。花の舞いもたまらない。雲に隠れたり現れたりする名月。ああ、いつまでも眺めていたい…。
私たちは、花にも月にも執着する。
執着心があるから、人生は成り立つ。
仏を思い経を読むのも、執着である。
執着すべき事に、執着の気持ちを起こさなくては、一体何の人生ぞ。
孔子が忠告するのは、自分に必要のないものには、執着してはならぬ、という事なのだ。
「三たび嗅ぎて作つ」ーーちょっと嗅いで、自分に不必要なものからは、さっと去る。
進むべきか去るべきか、執着すべきか捨てるべきか。
人生はそれが一番難しい。