徳とは宇宙の生成力である。
この広い大宇宙に満ち溢れ、ものを生み、ものを変化させる偉大なる生命源である。
徳の大きな力は、目には見えない。
肌で感じられない。
どこでどう働いているのか、人間にはまったく分からない。
見えない。分からない。掴めない。
しかし、この偉大なる力がある。
この力が無ければ、宇宙の運行はない。
この力が無ければ、自然の美しい変化もない。
この力が無ければ、生きとし生けるものは、あッという間に全滅するが、この力には名を付けられない。
何と言っていいのか、分からない。
有るには有るが、名がない。
現代の科学者たちは、この偉大なる宇宙の生成力に対して「サムシング・グレート」と、仮に名付けている。
「何か分からないが、偉大な力」という意味なのだ。
孔子はこれを仮に「徳」とか「直」と言っているに過ぎない。
この徳を、堅苦しい世間のしかめっ面をした「道徳」などと理解しては困る。
徳は人間の倫理よりも、もっと広く、もっと大きく、かつ強烈な力である。
この宇宙の大自然の生成力を、大空に両手を広げ、この身いっぱい受けて生きていると、不思議と悩みや苦しみが消えていく。
これは理屈ではない。宗教でもない。
宇宙や大自然の中で生きている事を実感し、感謝すると、自分の中に眠っていた宇宙の生成力が目覚めるのである。
そして少しずつ、自分の生きる機能を高めてくれる。
「徳を執ること弘からず」
孔子はこの宇宙の恵みを、広く大きく身に受けて感謝しないと、苦悩の多い人生になると、忠告している。
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