耕福米

【耕福米】を通して美しいふるさとの建設に寄与したい・・・団塊世代の第2ステージ。四季折々のできごとをここに綴ります。

耕福米耕作人は、今日は村の稲作の事始め寺山堰の水門の掃除をしました。

2024年03月16日 18時40分00秒 | 美味しい耕福米

今日は、朝からとても良い日になりました。風も余り吹かず、堤外の河原で多くの皆さんが集り水門の掃除をしました。

 我地区は、入間川から取水をしています。・・・これは慣行水利権として、我々の先祖がこの地域に住みだして入間川と云う名前の付く前から稲作をしていたのでしょう。・・・国交省・建設省・内務省?等々の頃から、我々の先祖は慣行水利権として国から認められていました。・・・関係7団体は、協同で水源を確保してきたのでしょう。

 現在では、一番広い耕作地を持つ府川地区・北山田地区は52haは井戸でパイプラインを田んぼに張りめぐらして稲作を大々的にやってきました。しかし、我地区と寺山地区は、この寺山堰の水利を利用して来ました。・・・数年に1回は、入間川の渇水により田んぼを潤す水が全然なくなり田んぼは梅雨の水を待つしか田んぼの作業は出来ませんでした。

 我が福田地区でも、屋敷続きの田んぼを持つ大百姓は屋敷に井戸を掘り田んぼを続けて来ています。・・・残念ながら、15反位の土地を持つ地主の田んぼは井戸がありませんでした。そこで、里山が中心の田んぼは渇水だと大変なことになっていました。

 仕方ないので、里山の代表はクラウドファンディングで50mの井戸を掘りました。私の兄弟や子ども孫も、賛同してくれて資金を出してくれました。・・・こんなクラウドファンディングなんて、福田の我々には分かりませんでした。

 こんな思いで、我々は入間川の渇水でも田植えが出来るようになりました。そして、里山の代表の働きにより「多くの皆さんが楽しい農業」が出来るまでなりました。・・・・・この下の写真は、本日のメインイベントの写真です。

  ここに、揚げる写真は作業の順番が違っています。写真は、入間川の右岸からの写真です。左岸には、後付けの魚道が設置されていています。この魚道を溢水していると入間川の水は十分流れていることです。

  全員で25名位出てくれたでしょう。

  堰板を一枚づつ、取り除いて行きます。堰板は、4か所あります。この最初の濁流で、胸までの長靴なので足をすくわれて転び長靴に水が入り危なかった方もいます。

  私は、この濁流に入れません。息子が、助っ人に来てくれました。これ←半袖が息子。

  寺山の方で、今回初めて見るです方です。Sさんの息子さんです。

  濁流に足をすくわれた方は、立ち上がりました。

  来ると、直ぐに魚道下のチェックをしている息子。小さく写っています。魚大好き人間で、魚道のチェックかな?

 このような作業をして、いよいよ春になり作付けの準備になります。4月に入る前には、耕耘も数回しています。クロの草も伸びてきました。クロ草刈りもしなくてはいけません。クロ草が伸びると、手間は余計にかかります。・・・青いツナギの清ちゃんの作業を参考にしてやれば、田んぼは全て良しになります。

 我が地主の北側に、1反位の田んぼがあります。お墓のところの田んぼは、清ちゃんの田んぼです。皆さん良く見てください。この時期にしなければならないことは、清ちゃんの田んぼを見れば乾かない田んぼは、クロの周りは、溝が掘ってあり田んぼが乾くようにしてあります。特に里山の田んぼは、武ちゃんの前の田んぼです。南側に新築住宅が建ちました。排水路は、コンクリート製になりました。配水口が、塩ビ管で作られています。この排水口に水が溜まりましたら流れるようにしておかねばなりません。大雨で水が溜まるからです。・・・里山の皆さんは、このブログを見た方は教えあってください。・・・もう皆さん何年百姓をやっているのかね?と云われますよ。

 今夜で、ブログ開設から6201日になりました。・・・もう17年あと少しで、18年になります。スマホ前は、ガラ携帯で山に入るときは電波の届く場所で一旦アップして、帰りまして経過を入れていました。山でも民家が見える場所であればアップ出来ました。私の拙い文章をガマンして、覗いてくれる方もいます。家を離れた子ども達が、お父さん今日は何しているのかな?こんなことで長女が作ってくれました。・・・毎日更新なので、アップするまで寝られません。居眠りで、24時を回りそうなときは「題名だけで、アップ」していました。そして、次の日朝一で中身を打ちます。

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