Kota Yokoyama 『目指すはシャンゼリゼ! 』

SHIMANO Racing 横山航太のブログ

僕が自転車選手になるまで〜2

2018-12-28 20:59:08 | 日記

小学校に上がった僕は低学年の頃はとにかくやんちゃだった。

友達とケンカをしては先生に毎日のように怒られていた、時には親まで呼ばれることも…
教員の息子が問題ばかり起こしていて今思うと両親には肩身の狭い思いをさせていたと思う。笑


そんな僕のスポーツ自転車との出会いはこの頃。
親父が地元のトライアスロンに年一回くらい出ていてそれに出るためにロードバイクを持っていた。
小学校に上がり体も大きくなった僕には補助輪付きから乗っていた自転車はかなり小さくなっていたので見かねてGIANTの24インチのMTBを買ってくれた。

せっかく買ったのなら、と親父と新潟県境付近までサイクリングに行ったりした。
今となっては練習で普通に行くような距離だが小学校1年生の僕には40キロのアップダウンのある道は永遠のように感じたのを覚えている。




小学校2年生になると親父のレースに出てみないか?の誘いにのりMTBレースに出た。
ここから小学校4年生くらいまでは年1くらいでレースに出ていたと思う。



初めて出たレースでは本当に小さいレースであったが優勝したと思う。


この頃は色々スポーツもやっていて冬はアルペンスキーの大会に参加し夏は年1のMTBと地元長野付近でやるマラソン大会に参加していた。




小学校高学年になってくるとだんだんと自転車にのめり込むようになってくる。

僕の学校には学区というのがあって学区の外に子供だけで行くことを禁止されていた。
しかし小学生の好奇心にはそんな校則はなんの役にも立たなかった、僕1人で色々なところを冒険し時には隣の市まで冒険しに出かけていた。
歩きでは当然無理なので自転車でとにかく色々なところを冒険した。



だんだんとレースに出る回数も多くなり小学校5年生からはMTBレースのために練習しだすようになった。

そして小学校6年生では全国小中学校MTB大会で小学校6年生の部で優勝した。


この時はこのレースに勝ちたくて勝ちたくて練習してきて、そのレースで勝てたことが本当に嬉しかったのを覚えている。


ちなみにこの時の二位は岡本隼(現 愛三)。
まさかこの時はナショナルチームとしてヨーロッパを一緒に遠征することになったりアジアツアーの同じレースを走るとは思わなかったwww



この年に初めてロードバイクというものにも乗り始め、ロードレースにも出るようになった。

確か初めて出たのは四日市の全国ジュニアで高学年の部で3位だったと思う。




続くかも……?
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